倉庫を片付ける。
お店の近くに倉庫を借りていた。
町会長の好意で格安で借りていた。
その倉庫が建て壊しするそうだ。
昨年末に告げられていた。
忘年会を控え、あまつさえ多忙を極めていた時期だった。
自分じゃ、自分たちだけじゃ片付けは無理だとわかっていた。
業者を手配した。
閉鎖した後楽園店で余った皿、調理用具、グラス。
余分にストックしていたお節の箱。
イス、冷凍ストッカー、冷蔵ショーケース、ロッカー
配達用の弁当箱1ケース。
はては、商店会で使っていた交通規制の立て看板。
業者が来た。
手際が良い。トラックで来て小一時間。
パッパッと運び出す。
・・・・
なぜだか胸が締め付けられる。
食器のひとつひとつに。
グラスのひとつひとつに。
イスや調理道具のひとつひとつに。
けっこうなお金をかけて購入した数々。
購入した当時をひとつひとつに思い出す。
どこかで思い切らなければ、この倉庫内の数々は片付かない。
断捨離だ。
わかっているのだが、胸はキュンとする。
片付ける人たちがいなけりゃ、潤んでいた目から・・・。
う~ん・・・・。
キュンキュン・・。
幾度となく戦ってきた戦利品。戦い抜いた戦利品。
時分の身体から武器や鎧を剥ぎ取られる感覚・・。
断捨離だ。
ひとつひとつ心からの断捨離だ。
腹減った
今度の風邪は実にしつこかった。
間隔はだいぶ空くようになったが咳はまだ続いている。
ただ鼻水が出なくなっただけでもずいぶんと楽になった。
背中の痛みもない。ま、身体は普通に戻ってきた。
お正月3が日そしてそのあとの6~8日の連休すべて寝ていた。
売上や支払いのことを考えると不安は募ったが、どうにもこうにもやる気がでない。ケセラセラ。どうにでもなれ、という心境だった。
風邪の引き始めは、忘年会がピークになろうとしていた12月20日頃だったと思う。実に半月は風邪と付き合っていることになる。
身体の元気が戻ってくると、日常的に腹が減ってくる時間が増えてきた。
げんきんなものだ。身体がパワーを求め始めてきているのが感じる。
うん、うん、この調子だ。
さてさてこの元気をどこに出そう。
料理にも、会社のことにも、商店会のことにも、気が回り始めてきた。
ただ、お客様の数がついてこない。部分的に忙しくなることはあっても売上の数値の伸びは鈍い。まだコロナの最中だった去年すら下回っている。
さもありなん。あれだけ休んだんだもん。納得はするが、月末の支払いなど考えると、焦る・・・。
こういう時は呑もう。
すると妻が
「調子に乗ってるんじゃないよ!自分の歳を考えないさいよ!」
まったくだ。そのとおりだ。
じゃあ静かに、ちょっとずつ呑もうかね・・・。
2024年元旦
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
厨房に入りほぼ1年が過ぎました。
振り返れば30年ぶりの厨房勤務は、やっぱりきつかった。
調理勘を取り戻すのに数ヶ月。この数ヶ月で体重は5kgほど減。
そういう私を気遣ったのか、コロナの余韻(?)か、お客様の数が伸び悩みます。特に6月~9月ころの閑散ぶり。私の身体には優しかったが、急激に資金はなくなっていく。別な意味での心労は増えていきます。
12月は半ば過ぎから忘年会らしい繁忙さになってきました。
が、同時に身体への負担もかかり、ヒシヒシと(もう若くない・・)ということを思い知らされました。70歳は体力勝負の歳じゃない!
追い打ちをかけるように風邪に罹患。熱や咳はおさまったものの大晦日の仕事終了以後、ほとんど布団の中に伏せってました。
さてさて新年はいかがな一年になりますやら。
資金面でも年齢面でも「廃業」を頭の片隅に入れながらの操業。
(ま、何とかなるだろう・・)的な見通しで頑張ってみます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
お客様だけが心の支えです。
風邪ひいた
風邪を引いた。
寒気が止まらない。
(ヤバいな・・・)
厨房で鍋を振れるは私だけ。料理が止まる。
忘年会はピークを迎えている。
どう考えても今は休めない。
寒気が止まらない身体でランチの準備がほぼ終えた。
が、ランチだけでも休もうか・・・という考えに至る。
よくよく考えると、これがベストな方法に思える。
ランチの客数は40名様前後。売上で4万円ほど。
これさえ思い切れば最小限度の被害(?)で押さえられる。
出社してきたスタッフにランチ休業を伝える。
早めに教えれば良かったけど、ギリギリまで迷っていた旨を伝える。
私の身体の替えがいないことをみんながあらためて知る。
いつもは冗談で
「社長が走り回っている会社は危ないんだ。社長が遊んでいるくらいの会社の方が安心だ。」
と話す。社長が遊ぶことを容認しているわけじゃないが、一理あると思っている。
うん、ランチ休もう。身体があって、仕事が出来る。
フラメンコダンサー
昨夜閉店時間を過ぎてからある女性が来た。
長嶺ヤス子さん。
まだ現役のフラメンコダンサーだ。ただ旬はとうに過ぎている。88歳。
YouTubeでもウィキペディアでもすぐに見つけることが出来るくらい著名なダンサーだ。
さすがに容姿は年齢を隠せないが、88歳とは思わせないくらい元気だ。
年に数回、福島猪苗代湖の実家から公演のために東京に出てくる。
つい最近舞台を見に行った。
スペイン人の男性ダンサーと踊るのだが、ステップは少ない。
なぜここまでして踊るのか、と思うが、彼女のフラメンコに対する情熱はすごい!ダンスを通して自分に対しての厳しさをとことん追求している。
この方の前では、私が自分に対しての甘さを思い知る、というより突き詰められる。
また女性としての一面を彼女は前面に出す。
フラメンコでの、女性を表現するのに、いくつになっても「女性」が必要なんだと思う。枯れてないのだ。
お店は閉店し、火を落としていたために、彼女を誘って二人で近所のイタリアンに飲みに行った。
「このお店は私が一番落ち着けるお店です。そして美味しいです。」
ヤス子ちゃん(こんな呼び名が好きなようで、私もそう呼ばさせて貰っている。)も気に入ってくれたようで、カウンターに並んで座り
「私と飲むの、初めてだわね。楽しい?」
としなを作る。
二人でワインを傾け、乾杯。
やがて料理がでて来て食事が始まる。あまり食べられない、と言うが、このお年にしては食欲旺盛だ。あれだけ動き回る仕事柄、女性とはいえ筋力は必要なのだろう。そういえば背筋もピンとしている。
以前私のお店で食事をされた折、酔った勢いでヤス子ちゃんの胸に私の手を引っ張る。触らせる。
ビックリしたのと、他の方の手前、あわてて手を引いたのだが、おっぱいは豊満だった。
イタリアンでの楽しい時間はあっという間に過ぎる。
このイタリアンも閉店が近づく。
来る前から雨が降っていたのだが、傘をさし彼女の滞在先のホテルまで送っていく。自然とヤス子ちゃんは私に腕を絡ませてくる。欲するがままにしていたが、ロマンチックではなく、介護・・・と言っちゃヤス子ちゃんに失礼か。
ヤス子ちゃんを送り届け、ホテルにきびすを返すと、安堵のため息がホーッと。
ため息は白い色に変わって、冷たい小雨の中に 消えていく。
少しは気を遣っていたようだ。
怖い手紙来てるよ
妻が手紙を持ってきて言う。
「怖い手紙来てるよ。」
手紙は「東京地方裁判所」から。
何か訴えられる・・・という心当たりはない。
開封した。
紙が三枚。その一番上には
「破産手続開始通知書」とある。
????
数行下に
破産者 株式会社○○○○
代表取締役□□□□
会社名も代表取締役の名前も、どこかでみたような・・・
思い出すまで数秒。
あ!
歓ファンが平日毎日弁当を配達しているコンビニがある。
セブンイレブンとかファミマとか違って、ビル内に設置された、ビル専用の小さなコンビニだ。
弁当個数は惣菜を含めて10個ほど。メニューは週単位で毎日変わる。
そのコンビニの会社名が今回の倒産会社名だ。コンビニの屋号でなかったためにすぐにはわからなかった。
精算は末締めの翌月末払い。
妻が月末である今日、銀行で記帳してきた通帳を確認する。
振り込まれてない。
えっ、えっ?
てぇことは、支払って貰えないのは2ヶ月分。
小さなコンビニで、個数も少ないのだが、月単位でまとめるとほぼ10万円ほど。1週間ほど前にコンビニ店長から、ビルのメンテがあるのでしばらく弁当はお休みさせてください、と伝えられていた。今月はいつもの月より受注数は少ない。だが、2ヶ月分あわせて15万円ほどにはなる。
えっ、えっ!
今日は当社の給料日と家賃の支払日だ。
今月は用意してあるが、・・・・
困る・・・どうしよう・・・
文面をあらためて見る。
債権者案内とあり、弁護士名や債券内容の確認、債権者案内状の地図も同封されている。
当社もコロナ禍が終わっても厳しい毎日が続いている。他人事とは思えない。
なるほど、倒産とはこういう手続きが始まるのか・・・。
胸がキューッと締め付けられる。
前述したが、今日は給料日。社員の給料は準備して渡すだけにしてある。
今月も無事に終わる。給料を渡して終わる。
ありがたい・・・と胸を締め付けられつつ、ホッと胸をなで下ろす。
同窓会
先週日曜日高校の同窓会があった。コロナ禍を経て四年ぶりの同窓会だ。
毎年毎年開催していた同窓会、おそらく14~15回ほど回数を重ねていた。
遠く離れた鹿児島、加治木という町の高校同窓会。私らの学年の総数は420名程度だったはずだ。それが9クラス。
同級生は関東近辺に連絡取れていた人数で40名程度はいたと思う。そのうち毎年20名前後が集まってきた。多いときで30名近くが集まった。
今回17名。
ほぼ四年ぶりに見る顔、顔、顔・・・。
涙が出てきたくなるくらい嬉しい顔、顔、顔・・・。
打算を考えなくてもいい、心が一番素直になるメンバーだし、私が一番元気を貰えるメンバーだ。
心は一瞬で鹿児島、加治木の高校時代に戻る。
調理人に辞めて貰ったために、会の冒頭から私は厨房にて仕事。
みんなには申し訳なかったけど、みんなの胃袋状態は考えずに、料理は早め早めに作って出していた。
男女ほぼ半数ずつ。クラスの違ったメンバーでいっしょに机を並べたことのないメンバーもいたけど、ひとつの教室にいる錯覚を覚える。今では思い出しもしない勉強にいそしみ、ひとつの事をいっしょに「覚える」「考える」という共通の作業をしていた連帯感が蘇る。
年齢的に亡くなったメンバーのことも必然的に話題に上がる。
そしてさほど遠くない、10年、20年くらいの未来に、私も、ここに集まるメンバーもその仲間入りを順次するのだろう。
でも、でも、だから、だから、みんなの顔を見つけることができたこの時間がいとおしい。
全員が70歳になって、私も70歳になって、またみんなの顔が見たいから、またみんなから元気を貰いたいから、もう少し、もう少しだけ頑張ってみようと思う。
物価高騰。家計に響き、まっさきにお父ちゃんの小遣いが減らされる。その小遣いの使い道で外食が一番最初に経費削減される。
難局は続く。
「頑張る」意思は良いとして、こんどは「頑張る」具体的な方法をみつけねば。
足腰
お昼ランチを召し上がりに来る近所のお客様がいる。男性86歳。
会社が近所で自宅から車で通っていらっしゃる。
ここ一年の間にめっきり体力が落ちてきた。
見ていても危なっかしいヨボヨボ歩き。ホールを担当する女性(この人も76歳なのだが・・)が、お店の外にこのお客様を見つけるとドアを開けにすぐに駆け寄る。知ってか知らずか、そのお客様が杖を片手にエッチラホッチラとお店に近づいてくる。
遠くから見ていてもズボンの中の足の細っているのが分かる。筋肉がずいぶんと落ちているのだろうな、とわかる。
カウンターに一人座り、注文はいつも麻婆豆腐。堅い物が喉を通らない。
こちらも他のお客様の麻婆とは違い、辛さは抑える。ご飯の量は半分程度。
自宅は八王子と聞く。八王子から毎日車通勤。会社の社長だから高齢でも定年はない。でも仕事してるのかな?たぶん会社に来ることが生き甲斐というか生きる術になっているだろうと推察する。
この方を見ていると、なるほど、歩くことも仕事することも食べることも生きることも、全てに体力、筋肉が必要なのだとわかる。
今、自宅のある6階までなるべく登っている。
建物の入口の段差を含めると6階までちょうど100段だ。
上がりきった頃には、ハーハーと息切れする。それでも筋力維持に必要かと思い頑張っている。厨房での仕事は立ち仕事だが、腕力は使っても脚力はほぼ使わない。
現役は当分続きそうだ。だから筋力脚力を含めた体力はまだまだ落とせない。
頑張るべし!
古稀
誕生日が来た。
70歳になった。
70歳になった他の方たち同様70歳という実感はまったくない。
お祝いをくださった方たち、どうもありがとうございます。
何のお返しも出来ませんが、残った余生をもうしばらくおつきあいくださいませ。
誕生日が日曜日だったせいか、お祝い品のほとんどが土曜日の21日に届いた。
そのお祝い品を持って、誕生日前夜は新宿ゴールデン街で過ごした。
理由があったわけではない。おそらく30年はおつきあいしている行きつけのお店だ。この店のママのお友達でもあり、歓にもきてくれた水森亜土ちゃんのイラストが所狭しと飾ってある。その絵に囲まれて、お客は家内と二人だけ。
お祝い品のケーキとチョコレートをカウンターに広げ、このお店のママと三人で祝った。お酒は持参の「白州」。香りの好きなウイスキーだ。「芳しい」という表現がピッタリくる。
封を切り三人でまずは乾杯。そしてケーキ入刀。カメラに収め贈ってくれた人に画像で報告。
数日前から右奥歯が痛い。左奥歯の1本もかぶせ物がとれくぼみがある。
左で噛めば物が挟まり、右で噛めば食べ物が神経を刺激する。
貰ったケーキの柔らかさが今日はありがたい。チョコレートは口の中でとろけるのをしばし待つ。
これもまた70歳の誕生日らしい、、、と言えば、らしくもある。
70を過ぎても満身創痍の戦いが続く。
明後日からの戦いに備える戦士に、しばしの休息になった。
最低賃金
知らなかった。
ついこの前まで1,072円だったのが、1,113円!
商売がきつかった。
それでも最低賃金1,072円になった時に、全員の最低時間給を1,100円にした。
精一杯だった。
他の店舗に比べて上げ幅は大きくないんだろうな、と従業員に恐縮しつつギリギリの1,100円で折り合って貰った。
「働けるところがあるから満足ですよ。」
と言ってくれる。建前かも知れないが、この一言で心の負担は軽くなる。
ありがとう。
新聞は読んでいたのだが、1,113円になったというのは見逃していた。
経理を預かる妻と話した。
「1,200円か・・・」
「いや、まだ、1,150円でいいんじゃない。」
「そうか・・」
そういえば、先日のブログで近所の飲食店のアルバイト募集を取り上げた。1,350円での募集におったまげたと書いたのを思い出した。
どこかまだ他人事だったのだろう。
1,113円の記事を見て、「自分事」だということを悟る。
経営はきついが、厨房の募集を考えた。
私が身動き取れないのだ。何より調理に追われて、クローズキッチンに籠もる毎日だ。
そんな状況で、全体を、先行きを見通せない。
目隠しして走っている状態だ。先が見えないから精神的に焦る。
だから厨房から離れる時間が今はとても欲しい。たまに客席に赴いてお客様と話しをするも、新規客が来たとたんに厨房にもどらなければならない。
私も中途半端だが、話し途中で離れる私をみて、お客様もきっとモヤモヤしていることだろう。
私が厨房に入ることのデメリットは多い。
なんとか厨房を離れる工面したいと思うが、今の売上を考えると・・・。
悩みは尽きない。
そういうなかでの最低賃金1,113円の記事。
鼓動が、心拍数が急に上がってきた。