お酒ダメなの?

三回目の緊急事態制限が始まり4日目。
初日は日曜日で歓もお休み。
月曜日。ランチ営業。相変わらず低調。いたしかたない。
が、問題はお酒を出せない8時閉店のディナー。

三組のお客様がいらっしゃった。
それぞれ二名ずつの計6名様。
すべて近隣の顔なじみのお客様ばかり。

「お酒ダメなの?」
たたみかけるように
「ビール一本だけ、ね」
女性のお客様からの頼み・・・・
うーん、よけいに断れない。
他のお客様にも伝播。

「紹興酒、デキャンタで。」
「レモンサワーとハイボール。」

はは、こりゃ、無理だ。営業しながらお酒だけ提供しないって。

知っているお客様ばかりだから良いけど、フリーのお客様が来て、この状況をみたら・・・・。

と、こうなった。
不自由おかけします、お客様。
2週間ほどのご辛抱お願いします。

けど、家賃変わらず、人件費ほぼ変わらず。
お金、持つかなあ・・・・・?

禁酒令その2

私の所属する「医大通り商店会」でも波紋が広がる。
会員から
「どうするんですか?」
「時短要請でなく休業要請って、ランチも休まなきゃいけないんですか?」
「補償はどうなってるんですか?」
「今回の(禁酒)処置、大き過ぎますよ。お店を閉めろと同義語ですよ。」
動揺が走り、反発もあり、虚脱感があり、・・・・・。

わかる。その気持ち実によく分かる。
知人の議員に電話を入れ詳細を聞いた。
「いや、申し訳ありません。ホント申し訳ありません。今回の知事の決断に関しては今はそれしか言えません。」
小池都知事のスタンドプレーに対して、自民系列のこの議員の苦々しい顔が、電話を通して見えてくる。その上で
「お酒は提供しません、という文言を入れてランチ営業してください。それでOKです。夜もアルコール類提供しない旨を告知していれば営業はかまいません。」
との返事。

会員に電話でもSNSでも伝えた。
最低限の営業できることがわかり、一様にホッとしている。
ホッとした表情を見るにつけ、みんな歯を食いしばり頑張ってきていたことを感じる。
小池都知事、この辺の機微は理解できないな、きっと。
水に落ち溺れている犬を棒の先でつついてさらに沈めようとしているようなもんだよ。

もう一つ。「消灯令」
8時以降の、街灯以外のネオンや看板の消灯。
他に考えることないの。こういうことを言う小池都知事に換言する人いないの?
裸の王様になってない?
関西3県に対して関東は東京都だけ。関東4県(都、神奈川、埼玉、千葉)で足並み揃えるんじゃなかったの?
賢しい顔していると思っている百合ちゃん、都民は賢いでなく「小賢しい」と思ってるよ。
私は百合ちゃんに「休業要請」したい。この人が休めば都民はきっと安心する。

ポスターを二つ作った。
「緊急事態宣言につきアルコール類は提供できません。」
の文言を大きく、そしてその脇に小さく
「酒類は置いてありますが、販売しておりません。勝手に飲まれる場合は罰金を申し受けます。罰金は店舗で徴収します。」
もう一つのポスターには
「販売するお酒類はありません。が、茶湯、白湯、般若湯はあります。」
と書いた。

大手ホテル系のレストランがアルコール提供はナシとするかわりに、ルームサービスでのアルコール種類は充実させるそうだ。
ホテル側が、部屋飲みは大丈夫という判断を示したのだ。
だとすれば、レストラン側だって席を個室として区切り、グレーゾーン解釈の元・・・・・・・。

こんな「小賢しい」ことをついつい考えてしまう。
そのくらい今回の「禁酒令」「消灯令」はインパクトが大きかった。
いっそまとめて「戒厳令」とでもしておけば。コロナとの戦争中でもあるし。

禁酒令

都はアルコール提供全面停止で緊急事態宣言を調整中とのニュース。
はぁーっ。(カラッ・・)
八時閉店だってかなりきついのに。お酒を出すな・・・・だと。(カラッ、コロッ・・)
4月25日か26日から、5月9日頃まで・・・(カラッ、コロッ、カラコロコロコロ・・・)
もう駄・・・
(ガラガラコロカラコロコロ・・・)
ああ何かが崩れていく・・・。

そこまでは行かないが、身体の力がプシューッと抜ける感じがする。
脱力感半端ない。

ゆり子、いい加減にしろ。抱いてやんないぞ。(千葉県の知事候補者みたい。

都内の飲食店は、少なくとも私の周りの飲食店は、ギリギリの状態で店舗を維持、持続を模索しているのに、最後の(心の)砦が陥落しそうな今回の迷プラン。
「お願い。お願い。」と建前はお願い口調だけど、都民を駒あつかいしているよね、百合ちゃんは。えらくなればなるほど、発する言葉はめちゃくちゃ重たいんだけどなぁ。自分の言葉の重みがいかばかりかと試しているみたい、百合ちゃんは。
もしかして百合ちゃん、下戸?

飲食店のアルコールを禁止したとして。
・それを完全に守るお店はどのくらい。
・お客様からお酒を求められて完全にお断りできるお店はどのくらい。
・コンビニや酒屋での販売はどうするの?
・かろうじて細々と営業を続けているクラブ、バー、スナックはどうなるの?
・路上だとか公園だとか駐車場だとか飲食店以外での飲酒はどうする?
・酒屋やコンビニの売り上げ補填は?
・今でさえ撤退する居酒屋が後を絶たないのに、閉鎖を迫られる飲食店は間違いなく増える。
・だから飲食店に納品している酒屋だけでなく、八百屋、肉屋、魚屋、間違いなく売上ダウンする。これらのお店にも一律60万円?それはないでしょ。

もしかして緊急事態宣言下の補填額はすべて国まかせ?
人の金だから使い放題と思ってる、百合ちゃん。
ちょっとずるくない?
百合ちゃんが都知事になってから、築地移転やオリンピック招致での二転三転する施策で都の予算激減してるけど、これに貴方が判断を下したコロナの出費(国費だとしても)を加えると、百合ちゃんの渾名、「傾国」とか「傾城」とかに変わるよ。きっと。

百歩譲る。
百合ちゃんの決断で、コロナは収まるんだね。
効果出てくるんだね。
毒で犯された部位(らしい飲食店)を切って捨てることで、命が助かるんだね。

よし!
死ぬを覚悟で頑張ろうジャン。
コロナで死ぬのか、それ以外で死ぬのかわかんないけど。
都から借り入れた○千万円の資金と枕を並べて討ち死にだあぁ!

悪魔のレシピ

先日親しい友人との会食が歓ファンであった。
というか私が呼び寄せた。それぞれに数回飲んだりしたことのあるメンバーで、男二人、女二人の組み合わせ。が、けっして合コンではない。楽しい飲み仲間の集いだった。

趣向を凝らした。
「悪魔の食べ合わせレシピ」(講談社1200円)という本を入手した。
読んでみて面白かったので、このメンバーで試食しようと考えた。
みんなには内緒だ。

本のレシピは40種類程度。その中からピックアップして。

1、生ハムと「アイスの実」
アイスクリームで売っている「アイスの実」を生ハムで巻いたもの。
アイスの甘さと生ハムの塩加減がうまいことバランスが取れると、これは美味しい。

2、バナナ&しらす
皮をむき厚くスライスしたバナナの上にシラスを置き、万能ネギを色つけでおいたもの。バナナを厚く切りすぎて、シラスの塩加減が少し負けてしまった。

3、顆粒インスタントコーヒー vs 麻婆豆腐
コクを出すためにインスタントコーヒーを使う手法はある。普通に麻婆豆腐を作り、お客様の目の前でインスタントコーヒーを振りかけた。ただ目分量だったために多く振りかけた人の麻婆はとても苦かった。

4、昆布の佃煮とバターピーナッツ和え
コンビニで買ったバターピーナッツをビニール袋のまま、その上から包丁の背で叩き、粗みじんに。それを佃煮と和えた。昆布のしょっぱさとピーナッツの食感が、うん、これはつまみに美味しい!

5、鯛とキウイソース
肉のハナマサで黒鯛を買ってきた。大きな鯛で名札には一本釣りと書かれていたが、710円。安!
これを薄く刺身にしたてた。キウイはマッチ棒の頭くらいに細かく切って刺身にソースとしてかけた。キウイの酸味が鯛と絡み合って、うん、美味しい!甘くなかったキウイが逆に幸いした。

6、巨峰と大根おろし。
江戸時代の和食文献に「はじき葡萄」という名であったメニューらしい。はじき葡萄は上から菊花をまぶすのだが、これはワケギで代用し、酢醤油をかけて出した。
いける!

7、明太子と千切りリンゴ
皮をむきマッチ棒の長さに切り、袋をとった明太子と合わせる。
これまたリンゴの甘さと明太子の塩加減が合う。

8、納豆プリン。
小鉢に納豆をあけプッチンプリンをダイレクトに置いた。インパクト大。
付属でついていた調味料は使わず、プリンを崩し納豆と混ぜ食べた。インパクトが大きくしばらくは味覚がついて行かなかったが、時間とともに(これもありだね。)と思える。地方によっては納豆に砂糖を入れると聞いた。なるほど!

9、ゆで卵と蜂蜜。
コンビニに買いに行ったのだが蜂蜜がなくメープルシロップで代用。半熟ゆで卵を半割にし君の部分を中心にシロップをかけた。デザートだ。
本にも書いてあったが、確かに黄身の部分は天津甘栗だ。黄身だけを目隠しをしたら栗と言われて違和感はない。

飲み物は、最初はビールだったが、途中からワイン煮代わる。赤にも白にも合う。
メンバーから「中華を食べたかったのに・・・」という一言がついたが、表情を観察すると、食べ合わせの意外さに面白く楽しんでいたようだ。
簡単なレシピだけを見繕ったのだが、作る立場の私も面白かった。

またやろうっと。

マンボウ喰っちまおうぜ!

魚のマンボウはかわいいが、12日にも始まりそうなマンボウはまったく可愛くない。こんなことするよりワクチンを早く入手、接種しろ!
諸外国(先進国)と比較しても確保率も接種率も圧倒的に低い。低すぎる。
これは政治の怠慢ではないのか。
国民に、飲食店に、我慢を強いるだけ強いて、挙げ句の果てに送別会だ、宴会だと。
・・・・・・・。

言いたいことはいっぱいあるけれど、また来週から営業短縮8時まで。
確かに、8時まで営業は、私の立場でも仕事終了後に呑みに行くところがない。
一般の会社員だって、飲食店が8時で終わるのであれば家に直帰する方が多いだろう。そういう意味では非常事態もマンボウも効果があるのだろう。

でもねえ、このまま行くと立ち上がれないよ。たぶん。
倒産件数は減っているそうだけど、自主廃業や閉店は増えているそうな。
お役所や議員の方、ここら辺の正確な数値も表に出してくださいな。
当然、飲食店に勤務する方たち(ほとんどバイトかパートの方たち)の失業数も教えてください。

厨房とホールを預かる女性と相談の上、コース料理の新メニューが上がってきた。
面白くない。何の変哲もない。
(そうか・・、考えつかないんだ・・)
言われることには素直に従ってくれて、それはそれで大変ありがたいのだが、「無難」な生き方をしているのだ。
悪いことではないのだが、コロナ禍の様な非常事態には逆に強い押し切りが必要になってくる。

急遽ミーティングをした。


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コロナ禍で、テイクアウトやデリバリーの需要が増えている。
お店の基本的なスタンスを変える必要性を強く感じている。
「今のままでは駄目。」「従来のやり方では通用しない。」
まず現状を変えることが、お店の維持につながるということを肝に銘じて欲しい。

●提案1、コース料理について

提出して貰ったコース料理は、何が特徴なのか、お客様に何を食べて貰いたいのか、お店側としてお客様に伝えたいのかがわからない。
三千円コースだろうが、五千円コースだろうが、1万円コースだろうが、メインディッシュは絶対必要だ。
もっと言えば「一品豪華主義」的なものが欲しい。
でないと、遠くからのお客様を呼び寄せきれないと感じているから。
有名店や高級店が、名前でもってデリバリーやテイクアウトに手を出している。
歓ファンのように立ち位置が中途半端なお店は一番苦しい立場に追い込まれる。
歓ファンでないと食べられる料理が欲しい。

例)
○【揚げや鯉の甘酢あん掛け】ビジュアルでお客様を圧倒できるもの。
・鯉の丸揚げなどは大昔流行って今更と思うかも知れないが、逆に今出しているお店は少ない。鯉が泥臭いのであれば、割と安価で入荷できるスズキなどを代用してみては。

○【北京ダック】
ダックは皮を食べる料理だが、ダックを鶏やウズラに変え、丸まるを揚げるなり、蒸すなりしてはどうか?

○【ソフトシェルクラブ】
鉄板ジュージューもOKだし、揚げるだけでも面白いと考えている。なるべくそのままで出しナイフフォークをつけて出す、あるいはその場で切り分けるの見せ場を作る。

土鍋麻婆がいまだに人気商品なのは、土鍋をグツグツ状態で出す手間暇をお客様が買いに来ていると私は思っている。土鍋も麻婆も単体ではさほど珍しくないが組み合わせで一手間掛けることで人気が続く。少なくとも近隣でグツグツしている麻婆は食べることが出来ない。

●提案2、五目焼きそばについて

歓の一番人気メニューは何かと尋ねたら、あるいは一番売れている料理と聞かれたら・・・?たぶん五目焼きそばだ。
でも今の焼きそばは、美味しくてもごくありふれたあんかけ焼きそばに過ぎない。
この焼きそばに関しては、もっと豪華で良いと思う。
現在高い原価率で推移しているが、焼きそばに関してはもっと原価を掛けてかまわないと思う。焼きそばが人寄せになるし、お客様に来店して貰えれば、ついでの「注文」は増える。

○素材
・今の様な四角い片で切るのではなく、白菜などは棒状で切る。
・材料的に安いが存在感のあるモヤシ、大根(細切り)、玉葱、筍(細切り)を使う。
・切り干し大根を使っても面白いと感じる。
・冷凍アサリも安価であり、歯ごたえ、コクともに申し分ない。

○仕込み
・肉(鶏or豚肉)を細く切り衣をつけて揚げておく。
・あんかけ直前に入れこみ、揚げたカリカリ感をだす。(カツカレー)

○調理
今と同様パイ皿に一人前ずつ仕込んでおき、注文が入ってから素揚げするのではなく湯通しする。替わりにごま油や葱油などで脂肪分を補う。油通しをしないことで油の節約になり、常に沸いているお湯を通すことでガス代金の節約にもなる。厨房が油まみれになることを防げる。料理そのものも低カロリーに抑えられる。
研究の余地ありと思っている。
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テイクアウト屋デリバリー業務、そしてECサイトと、コロナ禍でもやれる方法は探しているし、実行段階に移っている。
失敗するかも知れない。けど今のままでもお店は終わっちゃうよ。
同じく終わるんだったら、やれること全部やっちまおうぜ!
そうして、マンボウを食っちまおうぜ!

スマホ

春が逆戻りしたかの様な、今日は冷たい雨。
ランチタイム、12時前後に半分(14名)ほど埋まり、後30分ほどノーゲスト。
1時過ぎにお客様がポツポツ・・・そして二回目のノーゲスト。
コロナで、この雨で、仕方ないかぁ・・・と、感染防止で開け放たれたドアからお客様のいない店内に流れ込む冷気に余計寒々となる。

やることのない手持ち無沙汰に、ついついスマホに手が伸びる。
(いや、止めよう、スマホは)
ノーゲストの店内で本を開く。
本のタイトルは「スマホ脳」
まだ読み始めたばかりなので詳細は不明だが、きっとスマホを使いすぎるとこうなるよという、生物学的な見地を説明した本だ。

パソコン、スマホと一日に扱う時間はいかほどだろうか。
今日みたいに雨で、ヒマで、どこにも出かけられそうもなく、予定もないとなったら、きっと半日は触っているのじゃなかろうか。
だから、心のどこかで自重している自分がある。

小さい頃から身体を動かすのが好きだった。チョロチョロ動き回って落ち着きのない子だった。
高齢になった今でも、休みの日は動き回る日が多い。
6階にある自宅に、エレベーターを使わず、一日最低でも階段を2往復する。
老いて細くなった太腿の筋肉を今以上落としたくない。
いつかリタイアして自分の時間をもっと使える様になったときに、山へ行きたい・・・。山に登るだけの脚力は残しておきたい。その一心だ。

事情が許せば、山に住んでも良いと思っている。
そしてその時にはスマホは捨てる。
(息子たちや知人に)何らかの連絡手段は必要だと思えるので、固定電話や郵便物が届く程度は確保しようと思っている。パソコンなどメールを受け取れるものも最低限必要かも知れないが、スマホは勘弁して貰いたいと願う。

スマホを使う様になって、いや、スマホから使われる様になって、自分という存在や「生きる」という妙味が薄まってきた感じがする。
リアルタイムで流れてくる情報。無意識に求めるリアルタイム情報。
これがないと落ち着かない自分に、
(やっぱりちょっとおかしいよね)
と思うし
スマホに頼る自分の立ち位置に
(やっぱり自分という居場所が見えなくなっているよね)
そして一番肝心なことが、一番見つめ合わなければならない妻の顔を覗く回数が、スマホを操作することで少なくなっているのだ。

時間は有限だ。
その有限な時間の使い方には優先順位がある。
時間が無限に感じていたときは、様々な可能性を自分に見ていた。
今でも自分にいろいろな可能性は見ている。
しかし時間は有限だ。
可能性をしぼる必然がある。

スマホが出るまでは人は進化していた。
スマホは、人の進化を必要としていない。
むしろ・・・・・・。

見猿、聞か猿、言わ猿、謝させ猿

レジ前に小さな猿の置物がある。
親指大の置物だ。
誰が置いたか知らない。
たぶんお礼を言っているお猿だ。

掌をそれぞれの場所に置く「見ざる聞かざる言わざる」は知っているが、お礼をしている猿は知らない。
両手をついて丁寧にお礼を言っている様だが、私には平謝りに謝っている猿に見える。この猿、なぜか私にとって同類に感じる。

齢、今年68歳になる。
どんなに若作りをしても身体の衰えは隠せない。
顕著に出てくるのが、頭だ。
禿や白髪ではない。
中身が、頭の中身が老化・・・というより衰退しているような・・・

玄関先に、ほとんど毎朝、妻がまとめていたゴミが置いてある。
目に入っているはずなのに、スルーしている。
「どうして目に入らないの!」

家で食事を取る。魚だとか鶏だとかの骨を近くにあったゴミ箱に入れる。
「駄目ぇ。骨用のお皿を置いてあるでしょう。そこに入れて。後でまとめて生ゴミで出すから。」

お店で。
コンビニで100円コーヒーを買って来て、パソコン前に座って飲む。
お店の相棒の女性から、取っ手のついたグラスお茶を目の前に”トン”と置かれて
「ここに置いてあるお茶は誰のですか!」

「伝票がないんですけど、アスクルに頼んで貰えましたか?」
えっ?
「言ったじゃないですか。残り少ないから頼んでくださいねって。」

その都度、謝る。謝るふりをする。
その回数、増えた。
些細なことで、些細なミスが多くなってきた。
私の中では軽微なのだが、数が多くなると、軽微さに重さが加わり「軽」でなくなる。

この猿、なんか親しみが湧く。
私の代わりに頭を下げてくれている。
身体を小さくして・・・・・。

些細なミスで、些細な謝罪が、身体まで些細にしてくれる。
そして両手をついて謝ってくれる。
謝らさせてくれるから、謝猿。
私の分身だ。

緊急事態宣言から時短要請へ

3月25日木曜日・・・平日。
ランチ数20名。うち4個はTakeoutなので実質的に来店されたお客様は16名様。
平日コロナ前のランチが60個~70個だったので隔世の感がある。
コロナ禍が小さくなっているか増えているか関係ない。経営的には緊急事態がまだ続いているのだ。

厨房も手持ち無沙汰。
今日の夜の予約はある。6名様。
開店当時からの、濃いお客様だ。
そして定年退職という大きな区切りの送別会。
だがそれのみ。人通りを推察するに夜の予約以外のお客様は期待薄。
これは長引く。ワクチンが出回ったとしても経済回復は長引く。

ま、ヒマなのだ。限りなくヒマなのだ。
私の気持ちを率直に書く。

悲観もしてないし、追い詰められているわけでもない。
ホントに気持ちの上では淡々としている。
なるようにしかならん。
そういう気持ちなのだ。
現時点で打つべく手は打っている。それが効果があるかは別にして。

歓に古参になってきた女性がいる。
前勤務先からだと30年以上の付き合いのある女性だ。
今、歓はこの人抜きでは運営していけない。
それほど私は信頼している人なのだが、本日夜の営業前に少しだけ話す時間があった。
内容は、新入社(現時点では日雇い)した調理師のことについてだった。
コロナ禍で新規雇用はまだリスクが大きい、という質問だった。
「ええ、それはわかってます。雇用を増やすのはもっと先が現実的だというのは。」
「でも、攻勢に出るとしたら、その戦力を準備するとしたら今からやらないと間に合わない。。その準備を今やらないとしたら、逆に店を閉める準備をしなければならない。」
「どちらにしても苦しい選択です。やれところまでやって・・そんな気持ちです。」
と伝えた。

文面だけ読むと、悲壮感あふれているが、冒頭で書いた様に、私の気持ちは淡々としている。
その中で状況次第で、良くなれば(攻め時であれば)攻め、悪くなれば撤退を考え、と戦略も変わってくると思う。
そのタイミングを、判断を間違えないよう、気を配るだけのことだ。

だから、楽観も悲観もしてない。だから苦しくもない。
もし苦しくなるとしたら手元資金がなくなりかけた頃合いか。
もう少しだけ時間が残っている。


送別会があった

長らく宴会などなかった緊急事態宣言。
気がつけば歓送迎会シーズンまっただ中の三月。師走の次の繁忙月だ。
なのに今月の送別会は今日の1件のみ。
その送別会も11名で貸し切りにしてくれと。
会社から宴会のすべてに中止命令が出ているためだ。
40名は入る店舗に、パラ・・・パラ・・・パラ・・・と2~3名で席を囲む。
「定年で辞める方もいる。会社は禁止しているが、このまま別れるのは忍びない。」
という申し出だった。
宴会が壊滅状態の毎日。断る理由もなかった。
私に
「でも今日の宴会は他の部署にバレても苦情が出るから、絶対内緒だよ。」
宴席の仲間内の挨拶でも
「今日の送別会はありませんから。間違っても明日会社で”送別会”などと口走っちゃ駄目ですからね。」
と幹事さん。
いろいろと普段とは違う気遣い。こりゃ、たいへんだ。

宴席が終わりに近づき、主客に各人から送辞を送られる。
そして主客のご挨拶。
残ってる方々へ 力強い言葉で会社の行く末を 託していく。
他人の会社ながら羨ましくなる。
この会社、上場会社だから規模も大きい。
私の会社とはとても比較にならないのだが、ついつい自分の会社と比べている。
私には後事を託せる社員がいないのだ。

信頼できるスタッフはいる。
しかし今、歓のスタッフは一番若いものでも55歳だ。
その者とて、このコロナ禍でいつまで雇用できるか、実に不鮮明だ。
薄々気づいているのだが、スタッフの高齢化と比例する様にお客様も高齢化している。見えない閉塞感を感じる。

レジ脇に日めくりの「今日の一言」が飾ってある。
3月24日の一言は
「喜んで貰えることを喜ぶ」
飲食はこの言葉が一番実感できる職業だと私は思っている。
その回数もほぼ毎日だ。
だから私はこの飲食が好きだ。
でも後に続く者を育てられない。
これが悔しい。

送辞や答辞を聞きながら、会社のあり方、飲食のあり方をあらためて思う。
日本中が貧乏であり、職そのものも多くなかった時代に「食いっぱぐれがない」安定した職業だった。若手も多く集まってきていた。

私の勤務時間。朝8時半には来ている。弁当業務があるとき(1週間に3日程度)は6時30分に出社している。
途中休憩があったにしても終わるのは深夜11時というのはざらにある。
仕事に対する拘束時間は実に15時間あまりある。
生産性が悪いのだ。
勤務効率が悪いのだ。

一生懸命働く人たち、せめて私が関わる従業員に関しては出来る売る限りのことをしてやりたいと思う。
しかし一昔前と違って、生産性や効率が悪くなっている。

生産性を高められたら、給与もアップ。勤務時間も縮小。
それを見つけるのが私の仕事。
・・・・・・・
糸口さえ見えない。できるかな?




木くず

21日日曜日。
一日、強い雨にさらされた。
おかげで恒例の夫婦散歩も出来ず一日中家の中で捕らわれた状態に。

月曜日。ちょっと早めにお店に出てきた。
家にいるのに飽きたから。
お店の前にはどこから飛んできたのか、ベニヤ板の木くずが4個、5個と散乱している。あらためて昨日の強風強雨を教えられる。

鹿児島で過ごした少年期。
台風は毎年数個やってきた。それが当たり前だった。
ラジオやテレビから流れてくる台風状況を聞きながら、竹や板材で雨戸を固定させ、家に向かって飛来するものを防いだ。
年に数回の台風のたびに、雨戸を固定するのが当たり前の行事だった。

雨戸の外に吹き付ける風。打ち付ける雨。
合間を縫って雷音が響く。
親の心配をよそに子供心はワクワクし、雨戸に耳をつけて外の様子をうかがっていた。
今朝の木くずを見るにつけ、あの当時に負けないくらい、昨日の風雨の強かったのを知らされる。

場所も時間もまったく違っている。
だから「この程度の雨・・」と思ってしまう。
家も強固になった。道路もアスファルトになり草木が多い茂っている面積は少ない。木製の雨戸もサッシに変わった。風で吹き飛ばされる心配はない。雨戸の隙間から雨が滲んでくる事も考えられない。
「家も環境もあの当時より格段に良くなっている。

全体的には良い事なのだが、失ったものが一つある気がする。
「恐れ」
災禍の一つ一つを克服してきた人の歴史がある。
克服してきたから、これからも克服できると感じる。

東日本大震災。今回のコロナ禍。
明日は何があるか判らないとまざまざと見せつけてくれた。
恐れがなくなると人は慢心に包まれる。
よくよく考えてみれば地球の中心にはマントルがあり、マグマが渦巻いている。
そのマグマが固まった地表で我々生物が生きている。
何一つ安泰なものはないのだ。

「恐れ」が心の中で薄まっていくと、自然に対しての畏敬の念も薄まってくる。
ちり取りで拾い集めながら、
(どこか油断してないか?)
と木くずが自分に問うて来る。