兄弟

私は男兄弟の長男だ。
次男は鹿児島に、三男は世田谷区に、それぞれ健在だ。
兄弟それぞれに三人ずつの子供がいる。
その子供に孫がいるのだが、正直数は把握していない。
兄弟はそれぞれ67歳、65歳、63歳になる。
兄弟の嫁たちも還暦を過ぎた。

コロナ禍で支給された給付金が手つかずで残っていた。
コロナ禍でお店は存続の危機にさらされている。
まだお互い元気なうちに会っておこうか、という話しになった。
長男だから私が音頭を取り、給付金とGO TO トラベルを使って、鹿児島に残っている弟夫婦を招待した。
一昨日の土曜日のことだった。

年齢はともかく、弟たちは老けている。少なくともビジュアル的には私が一番若い。頭髪も下に行くほど禿げている。
羽田に車で迎えに行った。東京でのコロナ感染を心配しているだろうな、と思った。空港までの行き帰りが車だったら、心配も少なくなるだろうという配慮だ。

荷物はなかった。手土産は事前に歓ファンに送られてきていた。到着は13時半ころ。直で帰っても時間が余る。兄弟と息子、孫たちが揃うのは18時。
弟はともかく、その嫁は東京は久しぶりのはずだった。車で首都高を回る。時間的に微妙なために車中での東京巡り。人混みに入っての、コロナ禍の心配もあった。三連休初日の土曜日だけあって、 都心から外に向けて渋滞していたところはあったが、 都心部は割と空いていた。
それでも田舎から出てきた分は、賑やかに見えたし、田舎での祭り状態の人混みだったし、田んぼの中を走る高速と違って、ビルの合間を縫う首都高は都会そのものに映っていた。

ホントは2泊して貰うつもりでいた。1泊は東京で、2泊めは箱根辺りを手配するつもりでいた。それが義母の介護を口実に一泊になった。
介護は口実で、コロナ感染を恐れているのかな、と察しあえて一泊のみを反対はしなかった。

弟たちにはホテルチェックインをさせ、夜の宴に備えて私も小一時間仮眠を取った。

6時。
まず兄弟夫婦、6名の宴が始まった。
マスク姿で気づかなかったが、弟二人とも前歯が抜けていた。
冒頭ビジュアル的に私が一番若いと言ったが、歯抜けは爺いを加速させていた。
「おい、歯を入れろ!」
田舎にいると、会う人も少ないから見た目は気にしない。ありありとそれが見える。私ですら、私自身がおしゃれに見えるのだ。

「病気自慢をする大人にはなりたくない。」が私の持論だったが、兄弟夫婦三組そろって現在患っている病気と薬の自慢になる。
兄弟は順調に老いていた。そして兄弟ともに嫁から逃げられずにここまでの人生を歩いてこられた。

うん、そうだ。もしかするとこれが梅橋家の徳かもしれない、「嫁に逃げられなかった。」という。

美味しい酒だった。6時から始まった宴は、途中から息子、孫たちが加わって総勢13名になっていた。特に走り回る孫たちが時間の進みを早めていた。
気がつけば9時。3時間を過ぎていた。
まず次男が脱落した。田舎生活は夜が早い。眠さを抑えきれずにホテルに帰ろうとした。若いときは無理にでも席に押さえつけたが、今の私にもその元気はない。
明日の羽田までの車での送りもあった。アルコールが残っていてもまずい。
切り上げ時か。
たぶん9年ぶりになる兄弟そろい踏みだった。両親が亡くなると、田舎は遠くなる。

今日、鹿児島に帰った弟、その嫁、世田谷にいる弟からそれぞれ感謝のLINEが来た。
本来の使い道でなかったかもしれないが、有意義な10万円の給付金だった。