お店を閉じてしばらくたった昨日。
お昼の11時ころ携帯が鳴った。
発信人は鶴瓶師匠。
(ありゃ、チマキの注文か・・・)
「明日チマキ、持っててぇな。」
相変わらず主語も要点も抜けた語り口。
「師匠、どこですか?」
「いつですか?何時ですか?誰にですか?何個ですか?」
こちらだって負けちゃあいない。
が、店舗のない現在、果たして受けられるかな・・と、質問を続けながら不安も胸に宿る。
「グローブ座やがな。息子や。駿河太郎や。」
「そやな、15時頃でええがな。大丈夫なんか?」
「数は70個やあ。」
「ありがとうございます。頑張ります。」
何カ所か電話やメールを入れ、チマキ、発泡スチロール、蒸し器などの手配を終えた。が、数が60個しか手配できない。
ありゃ・・・、ま、10個少ないだけだから、大丈夫かな・・・
着信履歴を見ながら、折り返しの電話を入れる。
へっ?電話口から聞こえる声は女性の声だ。
あれ?と思う間もなく
「鶴瓶の家内です。何かご用ですか?」
あ・あ・・携帯登録は奥さんの番号、FAXを含めて「鶴瓶師匠」となっている。
「あ、あ、あ、今、師匠から電話をいただきまして、チマキが足りなくて、10個ほど少なくなるというのを、お伝えしようと思って・・・。」
師匠に負けないくらい、主語述語の関係がおかしい会話をしてる・・・。
「あ、ほな、私から主人に伝えますぅ。」
「よろしくお願いします。」
・・・・・・
数分後。
またまた鶴瓶師匠から電話がかかる。
「あんさん、どこに電話してるねん!」
「わての奥さん、今、ハワイにおるんやでぇ。」
2026年 7月 の投稿一覧
闘うこと・・・
前の店の跡・・・歓のことだ。
前の店という表現を、知らずうちに使っている。
テナント募集の公告がネット上で流れている。
家賃は70万円。管理費3万円。
私が借りているときは管理費なんてなかった。
家賃は40万円だった。
それが今では、管理費込みで73万円。消費税を入れると80万円に膨れる。
その店舗跡に張り紙が。
「今秋オープン予定・・・」と。
医大通り商店会の会長をしているくせに、この医大通りでの商売はきつかった。
雇われ店長をしていた当時の三丁目のお店は2階にあって、それでも坪単価2万円ほどだった。20年以上前の話しだ。
20年以上経っても、ここ6丁目は当時のお店より家賃は安かった。
でも、逆に言えば人の流れは三丁目の半分以下。商売としては非常にきつかった。家賃が安くても、この医大通りでの日々の営業努力はかかせなかった。
営業は20年と4ヶ月。
よく頑張ったと思う。近隣の、歓より前にあったお店も大方廃業していった。
家賃を払って、従業員の給与を払って・・・。
今になっても、廃業してよかったのか、と振り返る。
苦しかった経営。家賃の値上げが最後の引き金になったのだが、廃業しない方法が見つけられなかったのかと、今でも悔やむ自分がいる。
72歳という年齢になり、身体のあちこちに軋みを見つけ、後継者がいず、家賃や社員の給与をひねり出すのが精一杯という経営状況が続き、資金のやりくりに腐心する家内を見るにつけ、廃業という選択が一択だったんだと自分を納得させてはいた。
が、やはり悔しい気持ちは残る。
まだ心のどこかに「闘いたい」という気持ちが残っているのだ。
その気持ちの整理がつかずに、夜中、時々目を覚ます。
こうして言葉にすることで、少しでも自分の気持ちを落ち着かせる。
何かをしよう。
何かを始めよう。
悔しさを忘れるために。
「闘う」気持ちをぶつけるために。
新宿荒木町
今日は48回目の結婚記念日。
妻と誘い合わせて食事に向かった。
お目当ては二つあった。
左門町「池田屋」
荒木町「たまる」
二つとも飲食組合メンバーのお店だ。
世間でよく「健保組合」と呼ばれる飲食業保険組合のこと。
私が店長を務めていたころから加入していた組織だ。だから40年ほどお世話になった組合だ。
今日伺った一つのお店「池田屋」は、亡くなった親父さんからのおつきあい。
今は、息子とお母さんの二人でお店を切り盛りしている。
彼のお父さんは私より若かった。だからその息子は、私の息子より若い。
新宿通より青山方向に1本奥まった脇道に店を構える。
どうして屋号が「池田屋」なのかは聞かなかったが、池田屋とかかれた提灯と刀が壁に飾ってあった。明治維新前の「池田屋」に関わったか、こだわったのだろう。
厨房は息子が、ホールは母親がそれぞれ一人できりもりしていた。
カウンターを含めて40席ほどのお店。路面店なのだが、さほど混んでない。
「喫煙可」と書いてある。着席でタバコを吸えて、食事メインのお店は、今時そう多くない。喫煙者にとって貴重なお店とわかる。
一人厨房でメニュー数はさほど多くない。が、手抜きのない料理はしっかりと仕上がっている。
妻も私もお腹いっぱいになった。
お腹いっぱいになった二人は、
(もう食べなくても飲まなくてもいいね・・・)
と暗黙で了解していたが、
「もう一軒もお店の前まで行ってみようか。」
両店主とのつきあいは非常に長いのだが、「たまる」もまだ訪れたことのないお店だった。
荒木町を歩くのは久しぶりだ。
・・・・・
・・・・・
新宿通り沿いの通行人の多さに比べて、かなり閑散としている。
往事の賑わいを知っている私にとって、とても意外だった。
人通りはない。歩きながら見える店内にもお客は見えない。一人二人ほど見受けるお店もあったが、ノーゲストのお店もけっこうあった。
時は夜の7時30分ころ。
荒木町界隈をほぼ全部歩いた。
ビックリするほど閑散としている。
閑散としているが、健気にお店は開けている。街灯も煌々と狭い路地を照らす。
が、人がいない。お客がいない。???
荒木町の雰囲気は以前と変わらない。こだわった店舗、看板が軒を連ねる。
が、人がいない。人が歩いていない。
新宿ゴールデン街だって思いで横丁だって、今は物見珍しの外人で肩がぶつかるほどいっぱいだ。その外人すら見えない。彼らが喜ぶシチュエーションなのに。
過去は、フジテレビや日テレが荒木町の近所にあり、マスコミも芸能人もいっぱいいた。
酔いどれが数件回り、また同じお店に戻ってくるのが日常だった荒木町。
酒タバコの香りと混じって、この町の匂いを作っていた。
町の雰囲気は同じなのだが、ちょっと不健康さが含まれる、あの匂いがない!
え、こんなにも変わるの・・・・
今の荒木町、ちょっとした衝撃だった。
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