朝7時30分
妻がいつものパートに出かける。
私の部屋のドアを半分開け、
「行ってくるね。」
半分寝床で
「おお、稼いでこいよ!」
自分の夕方からの仕事に、少し後ろめたい思いを感じながら送り出す。
パート先は4~500メートル先にあるスーパーマーケット「マルエツ」
仕事内容はレジや商品の並べ替え。
1時間もしないうちに携帯が鳴る。発信者は妻の名前だ。
(忘れ物か?)
取ったスマホから
「足が動かなくなったの!」
????
「後退の人を頼んだから、その人が来たら、帰る。」
「歩けないの。迎えに来てくれる。」
半分泣きそうな声がスマホの向こうから聞こえてくる。
いつもは簡単に弱音を吐く妻じゃない。それがこの声。
「すぐ行く。救急車は呼ばなくて良いか?」
「そこ(救急車)まではいらない。でも一人では歩けそうもないの。」
バイクで駆けつけた。一人乗りの小型だから妻を乗せられないが、一番早く駆けつけられる方法だ。
妻がいつも立つレジ周りにいない。近くにいた女性に名前を告げ妻の行方を聞いた。
主任と呼ばれる男性がすぐに来た。私をいざない店舗のバックヤード奥の更衣室に連れて行かれる。
存外元気そうだったが、不安と痛みが混ざり合った顔がある。それでも私の顔を見て少し安心した顔に代わる。
脇下に腕を入れ妻を支える。しばらく歩いただけで脇下の汗を感じてきた。無理な力が働いているのだろう。
8時半。
タクシーを探すが、ほぼみんな「予約」の札がフロントウインドーに見える。
15分ほど捜してあきらめる。
ふたたび妻の脇を抱えて帰路につく。500mほどの距離が長い。
「オレより5歳若いんだぞ。」
「もう一度、お前と山に行くんだぞ。」
「尾瀬を歩くぞ。」
励ましてるつもりのセリフが続く。
相生(あいおい)なのか、相老(あいおい)なのか
と、お互いの歳月を確かめている二人がいた。
2026年 7月 の投稿一覧
高齢者講習
免許更新半年前に行う高齢者講習の受講に行った。
講習は武蔵境にある自動車教習所。ヒマを持て余していた妻同伴でなかよく行った。
教習所だけあって免許取得目的の若者で溢れていた。そのなかであきらかに”老”が匂う私たち夫婦姿は、自分たちですら違和感を覚えた。
講習会場は三階。受講者は私を含めて三名。女性1名、男性2名。
男性はけっこう老けていたが、女性はまだ50代後半ほどに見える。受講するくらいだから70歳は過ぎているのだろうが・・・。
一通りの講習と目の検査(動体視力、暗い所の視力)が終わると、今度は実車試験。試験場のコースはさほど大きくない。そこへ10mほどの間隔で右左折のコースが組み込まれている。
1番手は女性。私は最後に回された。
女性の運転、正直怖かった。よくノッキングする。降車後
「初めてで、乗り慣れなくて・・・」
などと言い分けしていたが、親族も一緒に乗りたがらないのではと心配になる。
高齢者講習の実車試験のメインは「段差乗り上げ」
10センチほどのコンクリート盛り土があり、そこをゆっくり乗り上げ、その後にブレーキを踏む試験。アクセルの踏み具合と、アクセル、ブレーキに踏み違いをはかる試験だ。ここでも無用にアクセルを踏む。空ぶかしのエンジン音が車内に響く。
(免許返納すれば良いのに・・・・)
心の声を口に出したくなる。
次の初老(私もだが)の男性はここまでひどくはなかったが、縁石乗り上げが2回。高齢者でなくとも試験中止案件だ。試験官が我慢していたのは、こういう方は案外多いのかな?と想像させた。
私の番になる。
自分で言うのも何だが、三人の中では一番安定の運転。
昔、バイトでタクシーに乗っていたことも功を奏したのかも知れない。
一度も注意を受けることなく、段差乗り上げも無難。試験官は「次、右」「そこを左。」とコースを指示するのみ。
自慢風に書き込んだが、でも、でも、こうやって、講習受けて、”老い”を悟らせてくれるんだろうな、と思う。
お店の閉鎖の時も感じたが、
「なんでもいつかは終わりが来るんだよね。」
ということを教えてもらっている。
鶴瓶チマキ
お店を閉じてしばらくたった昨日。
お昼の11時ころ携帯が鳴った。
発信人は鶴瓶師匠。
(ありゃ、チマキの注文か・・・)
「明日チマキ、持っててぇな。」
相変わらず主語も要点も抜けた語り口。
「師匠、どこですか?」
「いつですか?何時ですか?誰にですか?何個ですか?」
こちらだって負けちゃあいない。
が、店舗のない現在、果たして受けられるかな・・と、質問を続けながら不安も胸に宿る。
「グローブ座やがな。息子や。駿河太郎や。」
「そやな、15時頃でええがな。大丈夫なんか?」
「数は70個やあ。」
「ありがとうございます。頑張ります。」
何カ所か電話やメールを入れ、チマキ、発泡スチロール、蒸し器などの手配を終えた。が、数が60個しか手配できない。
ありゃ・・・、ま、10個少ないだけだから、大丈夫かな・・・
着信履歴を見ながら、折り返しの電話を入れる。
へっ?電話口から聞こえる声は女性の声だ。
あれ?と思う間もなく
「鶴瓶の家内です。何かご用ですか?」
あ・あ・・携帯登録は奥さんの番号、FAXを含めて「鶴瓶師匠」となっている。
「あ、あ、あ、今、師匠から電話をいただきまして、チマキが足りなくて、10個ほど少なくなるというのを、お伝えしようと思って・・・。」
師匠に負けないくらい、主語述語の関係がおかしい会話をしてる・・・。
「あ、ほな、私から主人に伝えますぅ。」
「よろしくお願いします。」
・・・・・・
数分後。
またまた鶴瓶師匠から電話がかかる。
「あんさん、どこに電話してるねん!」
「わての奥さん、今、ハワイにおるんやでぇ。」
闘うこと・・・
前の店の跡・・・歓のことだ。
前の店という表現を、知らずうちに使っている。
テナント募集の公告がネット上で流れている。
家賃は70万円。管理費3万円。
私が借りているときは管理費なんてなかった。
家賃は40万円だった。
それが今では、管理費込みで73万円。消費税を入れると80万円に膨れる。
その店舗跡に張り紙が。
「今秋オープン予定・・・」と。
医大通り商店会の会長をしているくせに、この医大通りでの商売はきつかった。
雇われ店長をしていた当時の三丁目のお店は2階にあって、それでも坪単価2万円ほどだった。20年以上前の話しだ。
20年以上経っても、ここ6丁目は当時のお店より家賃は安かった。
でも、逆に言えば人の流れは三丁目の半分以下。商売としては非常にきつかった。家賃が安くても、この医大通りでの日々の営業努力はかかせなかった。
営業は20年と4ヶ月。
よく頑張ったと思う。近隣の、歓より前にあったお店も大方廃業していった。
家賃を払って、従業員の給与を払って・・・。
今になっても、廃業してよかったのか、と振り返る。
苦しかった経営。家賃の値上げが最後の引き金になったのだが、廃業しない方法が見つけられなかったのかと、今でも悔やむ自分がいる。
72歳という年齢になり、身体のあちこちに軋みを見つけ、後継者がいず、家賃や社員の給与をひねり出すのが精一杯という経営状況が続き、資金のやりくりに腐心する家内を見るにつけ、廃業という選択が一択だったんだと自分を納得させてはいた。
が、やはり悔しい気持ちは残る。
まだ心のどこかに「闘いたい」という気持ちが残っているのだ。
その気持ちの整理がつかずに、夜中、時々目を覚ます。
こうして言葉にすることで、少しでも自分の気持ちを落ち着かせる。
何かをしよう。
何かを始めよう。
悔しさを忘れるために。
「闘う」気持ちをぶつけるために。
新宿荒木町
今日は48回目の結婚記念日。
妻と誘い合わせて食事に向かった。
お目当ては二つあった。
左門町「池田屋」
荒木町「たまる」
二つとも飲食組合メンバーのお店だ。
世間でよく「健保組合」と呼ばれる飲食業保険組合のこと。
私が店長を務めていたころから加入していた組織だ。だから40年ほどお世話になった組合だ。
今日伺った一つのお店「池田屋」は、亡くなった親父さんからのおつきあい。
今は、息子とお母さんの二人でお店を切り盛りしている。
彼のお父さんは私より若かった。だからその息子は、私の息子より若い。
新宿通より青山方向に1本奥まった脇道に店を構える。
どうして屋号が「池田屋」なのかは聞かなかったが、池田屋とかかれた提灯と刀が壁に飾ってあった。明治維新前の「池田屋」に関わったか、こだわったのだろう。
厨房は息子が、ホールは母親がそれぞれ一人できりもりしていた。
カウンターを含めて40席ほどのお店。路面店なのだが、さほど混んでない。
「喫煙可」と書いてある。着席でタバコを吸えて、食事メインのお店は、今時そう多くない。喫煙者にとって貴重なお店とわかる。
一人厨房でメニュー数はさほど多くない。が、手抜きのない料理はしっかりと仕上がっている。
妻も私もお腹いっぱいになった。
お腹いっぱいになった二人は、
(もう食べなくても飲まなくてもいいね・・・)
と暗黙で了解していたが、
「もう一軒もお店の前まで行ってみようか。」
両店主とのつきあいは非常に長いのだが、「たまる」もまだ訪れたことのないお店だった。
荒木町を歩くのは久しぶりだ。
・・・・・
・・・・・
新宿通り沿いの通行人の多さに比べて、かなり閑散としている。
往事の賑わいを知っている私にとって、とても意外だった。
人通りはない。歩きながら見える店内にもお客は見えない。一人二人ほど見受けるお店もあったが、ノーゲストのお店もけっこうあった。
時は夜の7時30分ころ。
荒木町界隈をほぼ全部歩いた。
ビックリするほど閑散としている。
閑散としているが、健気にお店は開けている。街灯も煌々と狭い路地を照らす。
が、人がいない。お客がいない。???
荒木町の雰囲気は以前と変わらない。こだわった店舗、看板が軒を連ねる。
が、人がいない。人が歩いていない。
新宿ゴールデン街だって思いで横丁だって、今は物見珍しの外人で肩がぶつかるほどいっぱいだ。その外人すら見えない。彼らが喜ぶシチュエーションなのに。
過去は、フジテレビや日テレが荒木町の近所にあり、マスコミも芸能人もいっぱいいた。
酔いどれが数件回り、また同じお店に戻ってくるのが日常だった荒木町。
酒タバコの香りと混じって、この町の匂いを作っていた。
町の雰囲気は同じなのだが、ちょっと不健康さが含まれる、あの匂いがない!
え、こんなにも変わるの・・・・
今の荒木町、ちょっとした衝撃だった。
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