木くず

21日日曜日。
一日、強い雨にさらされた。
おかげで恒例の夫婦散歩も出来ず一日中家の中で捕らわれた状態に。

月曜日。ちょっと早めにお店に出てきた。
家にいるのに飽きたから。
お店の前にはどこから飛んできたのか、ベニヤ板の木くずが4個、5個と散乱している。あらためて昨日の強風強雨を教えられる。

鹿児島で過ごした少年期。
台風は毎年数個やってきた。それが当たり前だった。
ラジオやテレビから流れてくる台風状況を聞きながら、竹や板材で雨戸を固定させ、家に向かって飛来するものを防いだ。
年に数回の台風のたびに、雨戸を固定するのが当たり前の行事だった。

雨戸の外に吹き付ける風。打ち付ける雨。
合間を縫って雷音が響く。
親の心配をよそに子供心はワクワクし、雨戸に耳をつけて外の様子をうかがっていた。
今朝の木くずを見るにつけ、あの当時に負けないくらい、昨日の風雨の強かったのを知らされる。

場所も時間もまったく違っている。
だから「この程度の雨・・」と思ってしまう。
家も強固になった。道路もアスファルトになり草木が多い茂っている面積は少ない。木製の雨戸もサッシに変わった。風で吹き飛ばされる心配はない。雨戸の隙間から雨が滲んでくる事も考えられない。
「家も環境もあの当時より格段に良くなっている。

全体的には良い事なのだが、失ったものが一つある気がする。
「恐れ」
災禍の一つ一つを克服してきた人の歴史がある。
克服してきたから、これからも克服できると感じる。

東日本大震災。今回のコロナ禍。
明日は何があるか判らないとまざまざと見せつけてくれた。
恐れがなくなると人は慢心に包まれる。
よくよく考えてみれば地球の中心にはマントルがあり、マグマが渦巻いている。
そのマグマが固まった地表で我々生物が生きている。
何一つ安泰なものはないのだ。

「恐れ」が心の中で薄まっていくと、自然に対しての畏敬の念も薄まってくる。
ちり取りで拾い集めながら、
(どこか油断してないか?)
と木くずが自分に問うて来る。