昨夜、商店会会員メンバーの送別会があった。
比較的新しい会員であり、その会社の事務勤務している、まだ20代の女性だ。
が、何事にも惜しみなく働く。可愛い容貌もあって商店会員のメンバーからも可愛がられていた。
その彼女、沖縄に移住するという。
(またなんで沖縄・・・)
と思ったが、彼氏といっしょだと聞いた。
恋の力は商店会よりも強し。
会員の一人である居酒屋にて10名ほどのメンバーで始めた。
送別品に、彼女の好きな日本酒のグラスを贈った。
箱には、この製品をチョイスした別の女性会員が、会員店舗のロゴを印刷していた。グッドジョブ!
9時になりこの会は解散したが、もう少し話したりなくて二次会場へ。
カラオケバー。
あちゃ・・・歌は好きだが、カラオケは苦手だ。ま、しかたない。
11時をまわり、そろそろお開き。
が、さらに三次会が待っていた。
自宅近くであったために、私もついて行った。
そして深夜1時。
久しぶりの午前様。
名残惜しさが時間を引き延ばした。
待てよ?
送別される主人公はとっくの前(二次会)でにいなくなっている。
名残惜しかったのはお酒じゃなかったか・・・。
おかげさまで久しぶりの頭痛が残っている。
この頭痛との送別会はいつ?
2022年 11月 の投稿一覧
忘年会
予約が、忘年会の予約がポツポツと入ってきた。
予約長の空白はまだまだある。
そんな忘年会シーズンを控えた11月下旬。
祭日開けの昨日は久しぶりにランチが吠えた。
終わってみればランチ客数45名様。
コロナ前の60~70という数値にはまだまだ遠いが、久しぶりに40名を超えた。
ヒマ慣れした厨房がバタバタしていた。
素直に素直に嬉しい。
お客様が戻ってきてくれたのが嬉しい・・・。
この活気さは涙が出るほど嬉しかった。
久しぶりに忙しさで疲れたが、同時に元気も戻ってきた様な気がした。
そして今日、お昼1時前でまだお客様は11名様。
・・・・・・・・
ガクッ。
お店を逃げたくなる・・。
お店を見たくない・・。
白旗を作った。
白旗を揚げた。
昨日のあんなに混んでいた店はどこに行った?
マイッタ!
昭和の残党
ランチに少し太めの男のお客様がいる。
推定50歳半ば。
お腹がけっこう出っ張っているお客様。
(たぶん、この人も糖尿病か、血糖値は高めなんだろうな・・・・)
とおぼしきお客様だ。
ツータック、スリータックの少し緩めのズボン姿。
ワイシャツなので、近隣の会社員と見える。
いつも一人で来店、ゆっくりとしたランチタイムを過ごされる。
注文は常に大盛りだ。そしてサービスでお出ししているお茶も、常にピッチャーをいっしょにお出ししている。
このお客様は、食事が終わりレジで精算される時に必ずされる癖がある。
ペロッと人差し指、親指をなめ、その指で財布からお札を出されるのだ。
おりしも新型コロナウィルス第八波が拡大中。
うーん、何だかな・・・。
昭和の頃には珍しくなかった光景なのだが、コロナ禍の時期には、
(もうちょっと気を遣ってくれると嬉しいな・・・・)
と思うが、当然口には出さない。
ただこの方の出したお札は隔離する。
コロナウイルスは弱体化しており、普通の風邪と大差ないと私は考えているのだが、釣り銭として他のお客様に出したくないのだ。
隔離。お札の隔離。
大事に別な封筒に入れ隔離。
これはこのまま毎日行く銀行へ預金する。
昭和の残党として封印、そのまま銀行という檻の中に入って貰う。
指なめとともに、昭和がここでもまたひとつなくなろうとしている。
携帯が乗っ取られた
「お客様が不在の為お荷物を持ち帰りました。こちらにて確認くださいol.aoxxp.com?ko](リンクは張ってないのでご心配なく)
とあった。
商売柄宅配物はよく来る。
何気なしにアルファベットの文字をクリックした。
そこが始まりだった。
Iphoneを使っている。
スマホの設定画面が頻繁に出て、IDの確認を求められる。
アカウントIDを何度も入力する。パスワードも入力する。
何度やってもログインできない。
何度見直してもID、パスワードとも間違ってない。
パスワードの再設定を余儀なくさせられる。
画面の指示通り進めた。
すると再設定用の認証を送るから信頼できる番号を入力しろとの指示が出る。
自分の携帯番号の入力画面で、数個の”*”印のあと下2桁の番号が表示されている。
「23」
えっ?
23って何?
下二桁のこんな番号入力した覚えもないし、携帯番号、誕生日、住所、店の電話番号、どれにも当てはまらない。
ここからが地獄だった。
何度も何度もID画面他の入力画面がループする。
ホトホト疲れた。
IT関連の仕事をしている長男に泣きついた。
「乗っ取られてるね。やっかいだね。」
息子が参考になるネット情報を私に流す。それに提示してある方法を試みるが、5回ほどやって根負け。
息子に
「明日予約があるので、その仕事が終わった後、買った携帯ショップへ行ってみる。」
”乗っ取られた”と気がついてからまるまる半日はかかった。
昨日携帯ショップへ行った。
冷たい雨が降っているせいか、携帯ショップは閑散としていた。
その方がこちらも周りに気を遣わなくて楽だ。
顔見知りの女性店員が寄ってくる。
説明した。
その場でショップからアップルへ連絡入れてくれた。
この手の相談にありがちの、「しばらくお待ちください。」攻撃が始まる。
こっちは打つ手がない状態のため、無為な時間をひたすら待つ。
一通り説明した後でも
「担当に似変わりますのでしばらくお待ちください。」
この携帯ショップで過ごした時間はおよそ2時間。
夕方5時というのに、雨も手伝って周りは夜闇に包まれている。
ショップの購入番号を伝えて、10日前後でアップルから返事が来るという。
乗っ取られたアップルIDは解除したので心配ないとの答え。ただ携帯は初期状態に戻る。この10日間で携帯に残っている画像は別なところへ移してくれとのこと。
また面倒な作業が発生する。
決済カードの使用を防げたのはまずまずだが、これだけの労力と時間がただただもったいない。
注意深くすれば、クリックした「ol.aoxxp.com?ko」のアドレスもおかしい。
世の中に「無駄」は必要だが、ホトホト疲れた。
年寄りはもっと労ってくれよ、ハッカーさんたち。
山川草木転荒涼
鹿児島で育った。加治木という町だ。
その小中高の学校時代に、薩摩特有の集まりがあった。
「舎(しゃ)」という。低学年は小学校4年生くらいから、上級は高校2年までの、当時は男の子ばかりの集まりだった。
小さな町だったが、舎は三つあった。もともとが商家の子の集まり、士族の子の集まり、農家や鍛冶などの工業系子孫と別れていたようだったのだが、昔々の町割りで、グループで分かれていた。士族が住んでいた地域の子供たち、商売人が集まっていた地域の子供たちという具合だ。
私が属していたのは「有為舎」。正確には(ゆういしゃ)と読むのだろうが、皆「ゆいしゃ」と読んでいた。もしかして薩摩特有の読み方だったのかも知れない。
毎週土曜日に集まり、高校二年生の舎生長を筆頭に何をやったかと言えば、柔道や詩吟を学んだ。子供たちだけでキャンプに行き、高校生が小中学校の子供たちにいろいろと教えていた。
試胆会(いわゆる肝試し)と称し、誰もいない墓場の奥に札を置き、それを取りに行く遊びをした。
相手の陣にタッチするという単純な「陣取り合戦」という遊びは、敵味方の陣が1キロほど間隔でやった。
「妙円寺参り」といい、12月28日に隣町隼人町の神社の10kmほどの道(距離も神社の名前も思い出せない。)を深夜に歩いて行った。
加治木は安土桃山時代の名将「島津義弘候」の居城があった町なのだ。
今思い起こせば、女子は加入できず、商家の子孫の集まりだとか、遊びそのものだって時代錯誤が甚だしい。
ただ私のなかでは、たいへん大切なことを教わった。
舎の訓示があった。
舎訓
1、正直な人となれ
1、誠実な人となれ
1、勤勉な人となれ
1、同情ある人となれ
話しは表題に戻る。
詩吟の一節だ。たしか「金州城」という題目だったと思う。
乃木希典が戦いの終わった戦場を、死んだ仲間を思い浮かべて唱った詩だと覚えている。
こういう一節が、今は心に染みる。
詩吟は私は下手だったが、こういう詩のフレーズはなぜか今の私にジーンとくる。
心に染み入る理由は、今のお店の苦境なのだ。
いい知恵が出てこない・・・・。
外食も同じだ!
毎日新聞の記事から
カチャ、カチャ、カチャ……。箸やスプーンが食器と触れる音が、静まりかえった教室に響く。食が細く、食べるのが遅い小学2年の女児にとって給食は恐怖の時間になった。「とにかく前だけを見て、黙って食べましょう」。小学校入学時に、こう指導された。それまで通っていた保育園では給食時の静かなおしゃべりは許されていたが、小学校では「黙食」が徹底された。
新型コロナウイルスの感染者が国内で確認されてから来年1月で3年。母親の小野真帆さん(30)は、世の中全般の感染対策が緩和に向かうなかで、学校の黙食が続く現状に疑問を感じる。
「『大人は居酒屋に飲みに行けたり、ランチで話をしたりできるのに、なんで給食の黙食は変わらないの?』と多くの子どもが疑問に思っています。それに対して、納得できる説明をしている大人はいません」
小野さんは、感染状況に合わせた黙食などの緩和を求めて立ち上がった。自らが代表を務める「全国有志子どもを思う会」(本部・東京都渋谷区)は5月16日~7月3日、インターネット上でアンケートを実施。未就学児から小中学生を中心に、その保護者など1593人から回答を得た。
「黙食についてどう思いますか」という質問に対して「悪い」が最も多く79・0%、「どちらでもない」が15・4%、「良い」が5・5%と続いた。
「給食はお話ししながら食べたいですか」に対しては「したい」が90・4%、「どちらでもない」が6・4%、「したくない」が3・2%と続いた。9割が黙食をやめたいとする実態が浮かんだ。調査終了から4カ月以上がたち、全国旅行支援も始まっていることなどから、現在はその割合が増えている可能性がある。 自由回答欄には、子どもたちの悲痛な叫びが並んだ。
「大人はマスクなしで楽しくランチをしているのに、なんで子どもだけこんな思いしなきゃいけないんですか」
「給食の時にお友達としゃべったら給食を取り上げられました。ひどい」
「お友達とおいしく食べたいです。今は楽しくないし、おいしくないです」
「アクリル板を立てて壁に囲まれて食べるのが嫌です」
全国有志子どもを思う会は9月、アンケート結果を添え、黙食など過度なコロナ感染対策の緩和を求める要望書とこれに賛同する5724人分の署名を文部科学省と厚生労働省に提出した。
小野さんは「2年半もの間、黙食を続けてきて子どもたち自身はもう限界なんだと伝えたい。どれだけ学校が子どもたちの声に耳を傾けるかが問われています」と話す。今後、全国の地方議会に対し、一斉に請願書を提出する計画もあるという。
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外食だって同じだ。大人だって同じだ。
食事は単なる栄養補給じゃない。栄養補給だけだったら一人で食べれば良い。
楽しいからみんなで食べるんだ。みんながいることを、みんなが元気でいることを確認しながら食べるから「食事」、食べる事なのだ。
わざわざ外に出かけて街中のレストランで食べることは、お客様に元気を食べていただくことであり、逆に私たちもそんなお客様から元気をいただいている。
「美味しい」と行った顔だったり、言葉だったりがないと、作る方も食べる方も”食べがい”がなく”作りがい”がない。
いつまでマスクなんだ!
いつまでアクリル板なんだ!(歓はもう取っ払ったけど・・・)
隔離した状態って、同じく隔離されたブロイラーと同じに見えるのは私だけ?
11月
11月、まだ月半ばだが、売上が少ない。
テレビはコロナ第八波を喧伝している。
そのせいか?
お店の顧客でもある、中堅ゼネコンの会社が近くにある。
ランチに来られた。親しくさせていただいているお客様だ。
「忘年会、待ってますよ。1回はうちでお願いします。」
「ダメなんだよ。忘年会、飲み会、会社が全部禁止してるんだよ。できないんだよ。」
(やっぱり・・)
落胆は大きい。
コロナはもう単なる風邪だと思っているのだが、街中のマスク姿は減らない。
師走の予約状況も芳しくない。
12月3日は周年行事を催す。開店19周年だ。
鶴瓶師匠を介して、ビックスモールンという大道芸人さんを呼ぶ。
価格は1万円に設定した。
価格の高さもあるのだろうが、お客様は集まらない。
コロナに負けそうで悔しい。
協力金の出なくなった5月頃から湯水の様に資金が蒸発する。
人の笑顔を隠すようなマスク姿は、私には異常としか思えない。
このマスク姿が無くならない限り、外食の賑やかさは戻ってこないと感じている。
しかしなかなかマスク姿は減らない。
一昨日、夜のお客様が一名という日があった。この日のランチ数は20名を数えなかった。
厨房が、手持ち無沙汰に時間つぶししいてる。
(日頃できない掃除でもやってくれれば・・・・)
キューッと心臓が締め付けられる。
紛らすために、どこか、呑みに行くか。
一人で・・・。
今日は酉の市。二の酉だ。
半年も出かけてないゴールデン街にでも。
あのお店、このお店、残っているのだろうか・・・・
子供という理不尽が親を育てる
明日の日曜日はなんだかんだと忙しくなってきた。
お店はお休みなのだけど。
お昼、テレビの収録がある。お店に対しての直接の取材ではない。
「はじめてのお使い」という番組で、お使いされる側のお店として登場する。
実際の撮影は11時ころなのだが、お店での撮影はおそらく13時頃。
私はプライベートで13時から約束があり、妻と二人で外出する。
撮影は社員の女性に任せる。
と、ここへ鶴瓶さんから電話がかかってきた。。
チマキの注文であり配達だ。
時間を聞いた。お昼までだと言われる。11時30分頃着く様にすれば、13時の約束は間に合う。
「ダメやったら、他の所へ頼むでぇ。」
鶴瓶さんの答えに返す。
「ダメ。ダメです。うちの注文です。」
ハハと笑って
「ほな、頼むで。」
引き受けた。
先に書いた収録する家族が食事に来た。
主人公になる男の子以外に、さらに小さい子が二人いる。
夫婦で交互に抱えながら無規則に動き回る子供を追う。
見ていて、(たいへんだな・・)と思う。
でも、そういうことを私たち夫婦も経験してきた。
怒ったり叱ったりしながら子供たちと歩んだ。
思い出しても、たいへんだった・・・。
言葉も分からない頃から、そして言葉が理解し始めた今日の子供たちも「泣く、叫ぶ、駄々をこねる」ことで親とのコミュニケーションを図ろうとする。
親は子供のワガママ(理不尽)に耐えた。
時に怒ったりしたが、耐えた。耐えた。
耐えることによって、理屈が通じない、言葉が通じない、理不尽に我慢する術を覚えた。親が育っていったのだ。
育児放棄やネグレストのニュースが時々耳に入る。
育児放棄ではなく、親であることの放棄なのだ。
加害者であるこの人たちは、たぶん同様の育てられ方(育児放棄)されてきたのだろうと思う。
理不尽に耐えてきた親の姿を見なかったからだと思う。
撮影に入るこの家族の、育児はたいへんだろうけど、子供が育ち、親が育つ姿を見ていて、何だかうれしくなる自分がいた。
仮に子供を設けたとしても私には子育てするエネルギーは微塵もない。
「頑張れよ、今しかできない頑張りだぞ!」
明日のスケジュールを確認しながら、
この子のお父さんとお母さんに エールを送っていた。
眠い
10月30日に商店会が主催する「音楽フェスティバル」が終わった。
10月はほぼこのイベントにかかりっきりだったために、11月10日過ぎても放心状態の余韻が続いている感じだ。
年会費の請求書発行、配布、とそれなりに仕事はしているのだが。
そんななか店舗のてこ入れをさぐっている。
店の売り上げは、コロナ禍の影響が抜けなく低迷状態が続いている。かなり厳しい。運転資金があっという間に枯渇していく。
今年いっぱいは大丈夫だ。
が、年明けは自信がない。
先日、主な従業員を前にミーティングを開く。
今年いっぱいで身売りも考えている、と伝えた。
その中でも起死回生の一手を、二手を伝える。
だが、「起死回生」が間に合ったとしても、かなりギリギリだ。
時間と資金の綱渡り・・・・・・。
コロナ禍の影響が続いている、、、ということはお店の”ヒマ”も続いている。
余計な時間。お客様がいなくて仕込みも準備もしない時間。でも手持ち無沙汰でもお店で待機してなければいけない。
待機時間中、今後のお店の行く末を、頭の中でいろいろな場面を描きながらシミュレートする。難しい局面を切り開く方法を、頭の中でいろいろと模索する。
が、悲しいかな、ひらめきが出てこない・・・どころか、悪い方向への想像は膨らむ。
いろいろと考える。いろいろと悩む。いろいろと・・・・・。
そのうちに急激な睡魔が襲ってくる。
(いかん、いかん、今は居眠りするような、悠長な状態じゃない!)
と思いつつ、首がかくんとなり頭が下へさがる。
ガクンと頭が下がることで現実へ呼び戻される。
「ヘタな考え、休むに似たり!」
を実践している自分がそこにはいた。