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料理と食材

料理は食材を選んだ時点で6割~7割終わっていると思う。
それだけ食材の選び方は料理の美味しさに占める割合は大きい。
どんな食材も一口はそのままで食することをお勧めする。ひと噛みだ。
生肉であっても、例えばモヤシであっても。
生肉は、生肉の状態でひと噛み。塩や下味をつけた段階でひと噛み。
さらに1分~5分たった状態でひと噛み。
いつもひと噛みする必要はないけれど、どんな食材も一度はひと噛みして欲しい。特に料理に携わる仕事であれば。

例えば「モヤシ」
生でのひと噛み。生臭くて食べられたもんじゃない。
でもそのモヤシが、火を通すことでシャキシャキした触感に変わり、火を通し過ぎてフニュと美味しくない柔らかさになる。
この変化を面白いと感じるところから、調理が始まると私は思っている。
だから一口(ひと噛み)は食材の味、食感、香り、など確かめてほしいと思っている。

食材は季節で表情を変え、塩で落ち着き、火を通すことで性格を変える。
良い性格になるときもあれば、荒れた性格にも変わる。
付け合わせる素材で、結婚式に出かけるフォーマルに変われば、子供たちに持たせるお弁当にも変わる。

実に面白い。
このことを面白いと感じる感性があれば、日常がとても楽しくなる。
調理に携わる仕事に就いて、つくづく「良かった」と感じるのは、食材の美味しさを発見した時であり、この発見をお客様と共有する時だ。

飲食の仕事は、一般サラリーマンと違って拘束時間が長い。仕事内容も結構ハードだ。給料もけっして高くない。
社長として給与を上げたいと思うのだが、これだけ厳しいと給与に反映できない。そういう従事者に対して私は何をすることができるのだろうと考える。
食に対する喜びを伝えるしかないのかな、と思う。

普通の平日、6月17日水曜日

6月17日水曜日。
ただいま12時26分。この時間にこのブログを書いている。
ランチは通常営業。なのにこのブログを書ける。
通常だったらランチはピーク時間。なのに今現在のお客様、2名。
延べ客数だって、13名様。
はぁ・・・(重い溜息の音)

追い打ちをかけるように酒屋がこのピーク時間(?)に納品。
いつもだったら
「何時だと思ってるんだ!商売やっているんだったらもっと気を使えぇ!」
と怒鳴り散らしている。 でも今日は怒鳴れない。
はぁ・・・(重い溜息の音)

こういうパターンが一番元気がなくなってくる。
脱力という漢字がピッタリ。
昨日47名様。その前日が35名様。
少しずつ増加傾向にあるために内心
(よしよし。この調子!)
と思っていた。
増加傾向が数日続いたと思ったら、またガクンと落ち込む。
たぶんこの繰り返しで、折れ線グラフが上向いてくるのだろうけど、正直
(平常に戻るまでの時間と、お店の体力が
待てない。 持たない。

食事を提供するお店として、お客様に食事を通して元気も提供していた。
同時に、お客様から元気をいただいていたことを痛切に感じる。

今までも難儀なことはたくさんあった。
けど、たいていは前向きに捉えることで様々なアイデアが湧き出て、それに賛同するお客様に来店を促してきたし、お互いに元気づけられ、元気づけてきた。
コロナの威力絶大!
まるでマンガの「進撃の巨人」みたい。



続・6月のコロナ



前回のブログの愚痴を聞いてお客様から「大丈夫?」と、お店まで来てくださってご心配いただいた。
ありがたいし、とても嬉しい。
先日の東京都の「緊急事態解除」の報を聞いても、客足は鈍い。
どうにもこうにも鈍い。
私の一存ではどうにもならない。と自分では開き直っている。
今回のコロナは私の力の範疇をはるかに超えているのだ。
だから心配されるほど悩んでいない。今やれることをやるしかない。
そのうえで駄目になるものだったら、それは神の采配というべき。

コロナ前のランチ来客数(60~70)が、コロナ最中は20前後。緊急事態解除になって30~40個ほどになり、先週水曜日は50台まで回復。しかしその翌日と金曜日は再び30台。土曜日に至ってはナント一桁。
行ったり来たりの伸びの中で少しずつ上昇していくものと思われるし、一日一日の数値で一喜一憂するのも恥ずかしいが、気持ちは晴れない。
自分でも自分の顔が、きっと難しい顔をしているのだろうな、と感じる。心から笑顔を出しにくい。

夜はもっともっと厳しい。
一組が一人とか二人とか、多くても3人とかの来客数になる。その少数の組が2~5程度。食事だけで終わる方も少なくない。売上が伸びるわけがない。
来店されるお客様は顔なじみが多い。「顧客」と呼ばれるお客様だ。
ありがたい。わざわざ歓ファンを目指し心配して来店される。

(なるようにしかならん。)
と思ってみても、何かしらの手は打とうと考えている。
今はやり「サブスク」定額制のサービスだ。
昔やった試食会も復活させようと考えている。
・試食会
昔やった試食会は、試食の評価や改善点などを指摘していただく代わりに5名様1組にコース料理 無料という目玉だった。HP上やメールで試食を募集すると数分で売切れになる。これを半額程度にして募集予定。募集組数も複数にするつもりだ。
・サブスク
ご存じのようにサブスクリプション(毎月の定額会費制度)の略。
これは飲料に対するサービス。毎月の会費制なので、すべての飲料を半額にする。例えば5,000円のサブスクだったら、飲料半額にする。たぶん2~3回ほどの来店で元が取れる。複数人を対象に7000円~8000円程度で 本人を含め3~5名様までは飲料半額というメニューも検討中。

試食会は評価採点をそのままHP上に上げる。新規メニューの告知広告と思えばさほど負担にはならない。と思う。厨房には新規のコースを考えるよりも既存のコース料理に手を加えることを伝える予定。
メインディッシュだったら1品、 サブの総菜だったら、数品を季節の素材に合わせた料理に変更。
サブスクはお客様が来店されてもされなくても固定で計上できる。

このプランを早く実行可能な企画に仕立て上げねば・・・・。
と思っているのだが、いろいろやってやろうという気力が、このところ湧いてこない。実をいうとこれが一番の問題だ。

(歳をとったなぁ)という感慨と、
(あと何年頑張れるのだろう)という時間の計算と、
(経営が成り立つには)という運営上の問題と、
(誰がこの店をやってくれるのか、いるのか)という事業継承問題など、いろいろ絡み合って、目の前の仕事がつい二の次になってしまう。

それら前部を含めて、(なるようにしかならん)

でもでも心配して来店されたお客様、ホントにありがとうございます。
もう少し、もう少し頑張ってみます。もう少しが何か月なのか何年なのかはこれから次第ですが。




6月のコロナ

緊急事態解除でも戻ってこないお客様。
ホントに心折れそうになる。いや折れてるかもしれない。
お昼ランチ客は少し戻ってきたが、コロナ前に対して8割程度。もとよりサービスランチだから利幅は薄い。でも、それはそれで少しホッとしているのだが、ソーシャルディスタンスとわけのわからない英語で、間隔を開けさせながらの集客。12時過ぎのピークにかろうじて席が埋まり始めてきた。が、1時前後のピークがまったくない。コロナ前よりランチタイムを30分延長しているにもかかわらず。

問題は夜だ。
6月10日。今月になりノーゲストが3日ある。来客があったとしても10名様を超える日は1日だけ。
非常に疲れる。手元資金といっしょに「やる気」までが蒸発していく感じだ。
いろいろな状況を想定。それに対する方策も考える。
小さなお城だが、私が城主だから、私が最初にあきらめるわけにはいかない。
決断を下すのは私だから、逃げるわけにもいかない。
私を信じついてくる従業員には、目下の経営状況は教えている。従業員もわかっているのだろうが、数値としても教える。危機は共有するが、決断は私の仕事だ。

4月17日に従業員を集めた時に、通常の給与は保証できないと伝えた。勤務時間短縮、あるいは休暇を作ってくれと頼んだ。給与は20日締め月末支払いだから、4月の給与額は満額で出すが、5月は困難になると伝えていた。
が、給与は減ってもいいから仕事をさせてくれと数日後、全員から申し出があった。
ありがたい。うれしい。感激だ。
だけど、仕事をされたんでは給与は出さないわけにはいかないんだよ。
そして5月末日、ほぼ満額で支給した。

コロナ緊急融資であらたに借り入れ、それに持続化給付金を合わせても、運転資金のの残りは1か月か2か月。
入金予定は都からの5月協力金50万円。(なんで5月で打ち切るんだ!アラートアラートと連発する癖に保証は打ち切る。都知事選、絶対に小池には投票しない。築地移転に関しても自分の売名だけじゃないか。)
そして国からの第二弾持続化給付金(家賃補助)が約150万円の二つ。
給付金、協力金、いつになるかわからないが、出たとしても資金は、ギリギリの綱渡り。

HPで書くことではないが。
店舗維持を優先的に対策を練るが、廃業、店舗委譲、売却の可能性も視野に入れる。折を見てその関係者との面談もする。
幾多の困難にあってきた今までも比較的楽観的に受け止めてきた私なのだが、今回ばかりは最悪状態を覚悟して対処にかかっている。

それにしてもコロナ、私だけでなく世の中を一変させるね。


幹大

一人、歓ファンを辞める若者がいる。
中卒の16歳の時から3年間、後楽園店で務めた。
勤め始めた直後、母子家庭の母親が亡くなり、天涯孤独の身になった。
柔和な顔立ちで、おとなしい男の子だった。

後楽園店閉鎖後は、そのまま新宿店で引き取るつもりだった。
後楽園店が1月末で閉鎖。

幹大は自動車免許取得中であり、途中教習所から「合宿免許」に切り替え、山形県米沢に行った。その学校は卒業。後は都内の試験場で試験を受けるだけだった。
その最中にコロナが発生した。
幹大は親の遺産があり、住まいもあり、生活がすぐに逼迫する状況ではなかったために、免許取得を優先させた。

その頃から連絡が途絶えがちになった。
私から、家内から、後楽園店の同僚から、幹大の友人から。
電話、メール、LINEなど、返信の間隔が徐々に開いていった。
そして誰にも返信が来なくなった。

埼玉にいる、幹大のおじさん経由で、部屋の鍵を預かり幹大のところへ赴く。
幹大の家は、都営住宅だ。母親が存命中に借りていた部屋だ。
6畳ほどの部屋が3部屋ある3LDK。一人で住むには広過ぎる家だ。
場所も新宿区大久保と都内の一等地だ。

私、家内、幹大を紹介してくれた母親の友人と三人で訪ねた。
ドアホーンを鳴らしても出ず、預かった鍵でドアを開けたが、チェーンロック。
チェーンロックということは中にいるんだよな、と隙間から匂いを嗅ぐ。
もしかして死臭がしてないかと確かめる。
ない。
チェーンロックの隙間から
「幹大ぁ!幹大ぁ、起きろお」
と怒鳴る。
20分後、寝ぼけ顔でようやく出てきた。

元気だった。
部屋も案外かたずいていた。
精神状態は廃れていないようだ。

幹大と膝つきあわせて話し合った。
幹大からの要望や希望は聞けなかった。
目的が見つからず、何をしていいのか、ただただ時間を無為に過ごしているだけだった。
私たち三人の共通する気持ちは、このままでは「幹大は駄目になる」だった。
テレビの前にビデオが数巻置いてある。皮肉にもタイトルは「ひきこもりでも旅がしたい」だった。

ほぼ1時間、いろいろな話しをした。
彼を仕事復帰や家に一人いることの無為を諭した。
が、彼ののらりくらりとした表情は、何かをやろうという意志は見つけられなかった。

昔の自分を振り返りながら、仕事をしなかった時期や目的を見つけられなかった時期を重ね合わせて、どうすれば彼を家の外に引っ張り出せるのか考えた。
その方法も、やさしくおだて上げる感じで接するのが良いのか、突っ放すのが良いのか、怒ることが良いのか、を手探りで話した。

が、彼の反応はない。少なくとも歓ファンには戻ってこないと、というのはわかった。

(もう駄目かな。俺には気持ちを開かないな。)
帰宅後、私は、幹大を紹介してくれた、今日の同伴してくれた幹大母親の友人、私が見つけた幹大の法定後見人の弁護士に伝えた。

—-法定後見人にあてたメール——————————————————-
はっきりしたことは、幹大は歓ファンでは仕事をする気はないようです。 ですから、私の役目はこれで終わったかなと思います。歓ファンに来るようであれば、引き続き責任の一端を追わなければならないと考えておりましたが。 8月退去のことを伝え、優先順位は引っ越し、幹大の仕事、と伝えました。それも覚えているかどうか。後は幹大次第になります。 後は後見人にお任せします。
———————————————————-
そして幹大への最後の手紙を書いた。

—-幹大へ最後の手紙—————————————————–

最後の手紙。

幹大が歓ファンに戻ってこない以上、私には幹大に教えたり注意したりすることができない。どういう道に進んでも応援しようと思っていたが、私の目の届かないところへ行くことで私は幹大に教える時間を作れない。

私の中では「少し早い」という思いを持つ。

でも、幹大は私のことが必要ではないのだろう。

自分で歩く・・・と決意したのだろうと思いたい。

わかった。自分で、自分ひとりで歩け。
そういう時期が来たのだろう。

もうお前のことをカバーしてくる人はいない。

法定後見人にしても8月までだ。

それで一切の縛りがなくなる。

一人で泳げ。
泳ぐうちに、漕いでいるオールが流されたり、時には船がひっくり返ることがあるかもしれない。

これも良い経験だと思う。

溺れて初めて気が付くことがある。

一人で生きていくことが、どんなにも大変なことかを。
私のように人生終盤にかかった者ですら、一人では生きていけないと思っている。
奥さんや子供たち。一緒に働いている仲間たち。他いろいろ。
私が生かされていると感じる。

同時に私も彼らにとって必要な存在のはずだ。

だから私が彼らにできることをいつも考える。

幹大。

一人で泳げ。

海の大きさを、厳しさを感じろ!
そして一人で泳ぐこと難しい、厳しいと感じた時には、いつでも戻って来い。

その時にはお前は成長していると思う。

「自分の弱さが分かった」という強さが身についたからだ。

まずは「泳げ」

泳がなければ必ず溺れる。

溺れてからは遅いぞ。
まずは「泳げ」

先日幹大の家に行った時の話を思い出してくれ。
優先順位は

1・引っ越し

2・仕事

3・免許

1・引っ越し

8月は必ず退居だ。6月中に引っ越し先を探せ。

出来れば6月中に引っ越し。遅くとも7月。

2・仕事

生きている限り生きるための手段「仕事」は必要だ。

コンビニのアルバイト、新聞配達、皿洗い、仕事を選ばず探せばいくらでもある。

そしてその仕事をしながら自分の行きたい道を探すのも一つの方法だ。

3・免許

将来、彼女が出来、家庭を作る状況になった時に、一人で生きていく以上にお金が必要になってくる。免許があれば、最低限の生活ができる仕事を見つけられる。

一度免許を取れば、一生使える。

この順番で、幹大の世界を作れ。幹大の居場所を作れ。

離れていても幹大のことを応援する。

時々連絡をするように。 良き航海を (ボンボヤージュ)



緊急事態解除宣言

戻ってきた。
戻ってきた。
戻ってきたぞ!
まだまだ弱いけど、お客様が帰ってきたぞ。
久しぶりのランチ40台。47名様だ。
夜も来たぁー。
予約なしだったのだが、開けてみれば5組10名様。
ほとんどが顧客。いつも歓をかわいがってくださる方々。
このお客様たちも、待ち遠しかったのが、表情でわかる。

おまけにそのうちの一組様は6月3日に13名様の予約を入れてくれた。
知らず知らずのうちに自分の顔に笑みが漏れる。自分でもそれがわかる。
私もうれしいのだ。ワクワクしてくる。

経営者の悲しい性か、このまま行って欲しいという気持ちと同時に、今回の事態で借り入れた負債を返せるかどうかの計算をしている。
まだまだ緊急事態は続く。決して楽観する状況ではないのだが。

でも取りあえず良かった。現金なものでお客様が戻ってくるのと同じく元気も宿ってきた。
もっと。
もっと。
もっと来てください。
来てくださることが、私も従業員もお客様も元気が戻ってきます。
元気が戻ってくる日常に早く返していきましょう。

休業要請緩和

自粛が解ける!
最高のニュースだ。
お客様、戻ってきてくださ~い。
ホント疲れた。

ランチ過ぎ、店内ミーティングをおこなった。
現状を説明し、コロナ後の予想を述べ、さほど余裕がないこと。
当面の具体的な方針を伝え、局面打開の方法を皆で探していこう、という通達だった。

ランチもほんの気持ち程度戻ってきた。
コロナ期間中、多くても20前後だったのが、今日は35名様の来店。
みんな飽き飽きしているのだ、この自粛に。
予報気温は27度だったが、そよ風が吹き、青空が広がり、家の中にいるのがもったいない、スキップ踏みたくなるようなお天気だった。
マスク姿も気持ち少なくなった気がする。

資金的に厳しい局面が続くはずだが、とりあえず自粛解除は良かった。

年金事務所

コロナは世の中を変える。
良否を含めて、世界を変える。世界が変わる。
今朝、大久保にある新宿年金事務所に行った。
何度も出向いたことのある会館だ。荘厳な作りの建物は来る人を威圧する。
お役人が作った感がプンプンする。恐れ入れ・・と感じるのは私に僻目か。

2階にあるいつもの窓口にいくと、働いている人が随分と少ない。半分程度に見える。コロナが影響する窓口ではないので、はて?
在宅ワークを増やしたそうだ。不急不要な仕事をさけたそうな。
でも、でも、この人数で仕事、間に合うのね。

だったらいつもこの人数でやれば!
千葉の方であった年金使い込み事件以来、納金は二人で数え確認する。
自分たちでやった後始末を二人でこなすことで不正を防ごうとする。
担当の方たちは、上層部からの仰せでやっていることなんだろうが、ちょっとおかしくない?
税金と同様で、納金する年金の7割が社会保険事務所や厚労省の人件費に充てられる。こういう形でお金を使う。

私たちの仕事に比べれば、いつものんびりと仕事をしているふりをしている。今日の人数で日常の業務が間に合うのであれば、コロナが収束しても、減員したままで業務継続すれば、と思う。

そういえばコロナ発生初期、コロナ感染者が出たのも新宿年金事務所じゃ無かったけ?
(このままの人数でやれ!)
(年金を使い込むな!)
(病気を人にうつす様な迷惑をかけるな!)
と、心の中で毒づく。

会社側が納める年金が溜まっており、毎月の定額に多少なりと上乗せする感じで納金している。このコロナで売上が激減している状況でもこうして持参している。
なのに、いつもの担当者(今回はこの担当が異動になっていた)は態度が横柄。怒鳴りたくなるほどの口の利き方をする。けっして好きで溜めてたわけでもなく、資金繰りが厳しいからに他ならない。余裕が少しでも出てくれば、こうして納金に来る。なのに、相手を慮る気持ちがない輩と話をすると不愉快さだけが募ってくる。
心中はそうでも、大人の配慮したからね。毎度ながら。




ヒマつぶし

お客様が来ない。
自粛営業で営業時間も短かくなっている。
伝票整理だって仕入れが少ないとすぐに終わってしまう。
やる事が限られてくるのだ。
だから、このブログも結構頻繁に更新できている。

ベンチシートが壁際に連なる。5メートルほどのシートが4個。
えんじ色の合皮だ。そのうちの二つに穴があき、破れていた。
ベンチシート側でない方の椅子の座面が同じ合皮を使っていたために、壊れた椅子を分解し、合皮の部分をベンチシートにあてがって応急手当てをしていた。

よし、椅子を直そう!
まず合皮を探した。日曜大工の店を見て回ったが、さすがに2メートル幅の合皮は置いてない。こうなるとネットが頼りになる。
業務用、合皮、ベンチシートで検索すると・・・あった、あった。
現存のベンチシートをひっくり返すと、ホッチキスで留めてある。だが、幅、長さともに若干大きい。
押し付けるタイプのホッチキスが「タッカー」ということを初めて知った。そしてそのタッカーの弾(針)をステープルという。
これは日曜大工の店で簡単に見つけた。

合皮が届いた。
日曜日の定休日に家内を手伝わせて、合皮の張替を敢行。
まず、既存のベンチシートを裏返し、ステープルを取る。職人が作っただけに裏地が張り合わせてあり二重にステープルが打ち付けてある。
これを取り外すのが一仕事。
私がステープルの隙間にナイフを差し込み、少し持ち上げる。それを家内がペンチで抜き取り。作業としてはこれが一番早くできた。でもたったこれだけで汗をかく。
合皮をベンチシートに合わせて切る。ベンチシートを包む。しわにならないよう調整しながら、タッカーでベンチシートに固定していく。1個のベンチシートに打ち付けるステープルは100個ほど。

「二人でやる仕事って楽しいね。」
(あ、そう。こんな事に嬉しくなるんだ・・・・。)
家内は大工の娘。小さいころから親父の大工姿を見て育ってきたんだろう、だからこんなことに嬉しくなっちゃうんだろう。と想像した。
でも、何となく私も嬉しい。

出来上がった。
100点つけてもいいくらい良い出来だ。職人技に負けてない。少なくとも表(おもて)面は。ま、裏は、お客様が目にすることはないし、自己評価70点くらいかな。
諸事情があって今は、家内とは一緒にお店に立てないけど、
(この店、二人で作ってきたお店だよなあ。)
とあらためて感じる。夫婦のきずなを再確認。
ヒマつぶしが、夫婦をくっつける。

東京タワー

日曜日はお店が本来の休みであり、家内のパートもお休みだ。
二人の休みが合う時には連れだって散歩する。
コロナの影響でどうしても部屋に閉じこもる時間が多くなる。
妻が、最近大きくなったお腹周りを気にもしている。
6階にある自宅を、なるべくエレベーターを使うなと言っているが、そんなもんじゃ追いつかないようだ。ただし家内の体重は内緒にしていて教えてくれない。

「今日は六本木に行こうか。」
「どういうふうに行くの?」
「教えてもいいけど、どこを歩いているのかわかるの?」
「・・・・・・」
「イトーヨーカドーを右折して、外苑西通りから外苑東通り・・・」
「うせつ・・だから右に曲がるのね。」
(おい、そういうレベルかよ!)
「ま、いいよ。出発しよう。」

この建物が、仮設四谷警察があったところだ。
向かいの看板見えるか、ポプラ社だ。
向こうに屋根だけ見えるのは新国立競技場。
左は慶応大学病院。
左が姪が結婚式を挙げた明治記念館、続く右側は東宮御所。皇太子が住むところだ。
とガイドまがいに説明しながら歩く。
説明する端から忘れていく(覚えていない)ようだが、夫婦で共有する時間が増えることには妻は喜んでいるようだ。

やがて六本木交差点。
「あれがアマンドね。何のお店?喫茶店?」
「いや、入ったことないけど、お菓子屋だろ。」

のどが渇いてきて、
「どこかお茶でも飲む?」
でも探したお店お店で
「ここは高いからダメ!」
「おい、ここは六本木だぞ。安いお店探すのが難しいぞ。休んでいるお店も多いし。」
と目的もなくブラブラし、
「どうする?」
と話を向けると、
「六本木って1時間程度で来ることできるんだ。でも、まだ2時間たってないよ。」
あんに「まだ歩けるよ。」と言ってくる。
(えっ、今日はもう終わりにしようと思ってたのに。
「新橋はあとどのくらい。東京タワーって遠いの?」
と聞いてくる。
ちょっとあきれて妻の顔を覗き、歩く気満々な表情を見て
「わかったよ。東京タワーまで行こう。そこで休憩だ。」
「どのくらい?」
「たぶん15分くらいだ。」

すでに1万歩を過ぎている。
ロシア大使館を過ぎて家内、
「めしくらって町名、面白いね。何か言われあるの?」
「めしくら・・・?それはいいくら(飯倉)だ。」
「めしとかごはんのはんとか読むじゃないの。」
「ああ、そうだね。」
まともに答えるのが少々面倒になる。

東京タワーに到着。
直下で見上げる東京タワーは感激らしく、めったに操作しないスマホのカメラで東京タワーとその周りを撮る。
(はは、喜んでる。)
「修学旅行以来、こんな近くで見るなんて!」

東京タワーの中は、数店舗が営業していた。
そのなか、アイスクリームのサーティワンと、担々麺屋によって軽く食事
帰宅。
17000歩になっていた。