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免許更新前夜

10月7日土曜日夜、それも23時過ぎ、鶴瓶さんから電話がかかってきた。
携帯の「鶴瓶師匠」の表記が出、時間帯を考えると
(あ・・チマキだ!チマキの注文だ!)
携帯から響き出てくるいつもの声
「今日の明日という注文は無理か・・・」
明日?!
思わず声が出た。
「無理やったら他のもん頼むからええんやでぇ。」
「いや、師匠、明日、私、高齢者講習の日なんです。」
「あ、ほうか、わしも高齢者講習やがな。」
電話の向こうから別な笑い声が聞こえてくる。
師匠は私より一つ上、71歳。
「師匠、免許あるんですか?」
「あるがな。高齢者講習やがな、わしも。」
周りの聞いている人に、
「高齢者や高齢者や。」
と笑いを誘う。その笑い声が電話口から聞こえてくる。
「スミマセン。そういうわけで明日は難しいんです。」
「わかった。わかった。ほなまた頼むわ。」
笑い声とともに電話は切れた。

誕生日までもうちょっと時間はある。
平日だったら都庁で更新が出来るのだが、日曜日は東陽町、鮫洲、府中の試験場のみ。試験場での更新は予約が要らない。
どこに、だれに、何個の注文なのか、聞かなかったのでわからないが、チマキ受注をためらった自分に少し嫌悪感と悔いが残る・・・・・も、
(師匠!もうちょっと余裕を持って注文くださいませ。)











コーン春巻き

連日の猛暑日が手伝っていたのか、9月初旬までは美味しいトウモロコシがスーパーに並んでいた。
そのトウモロコシを皮ごと蒸し、蒸し上がったコーンを中華包丁で可食部分を削る。それを塩だけを加えて味を調えた鶏挽肉と混ぜる。
ネットライスペーパーという網目模様のライスペーパーがある。揚げると皮がパリパリしてなかなかの食感。このネットライスペーパーで上記の鶏肉コーンを巻く。
すごく単純な料理なのだが、なかなかの評判だった。コーンの甘さと皮のパリパリが絶妙なのだ。 つなぎとして鶏肉を選んだのは一番匂いが少ないからだ。コーンの香りと甘さを邪魔しないと考えた。

9月中旬が過ぎ猛暑が少しずつ収まってきた。同時にコーンの時期が終わった。
評判が良かったため「コーン春巻き」の継続を図った。真空パックのコーンや冷凍コーン、色々と試した。コーン以外も試した。
甘い食材が合うと思ったから 南瓜、薩摩芋などなど・・・。これらの食材は火を通すと柔らかくなりネットの網目から流れ出す。揚げた油が濁るくらいにあふれ出す。
こりゃダメだ・・・。
単純な料理で使う食材も鶏肉、コーン、ライスペーパーの三種類。それでもこれだけ悩む。

今、売上が厳しい。何とか新メニューを開発しようと躍起なのだが、コーン春巻きすら試行錯誤が続く。
厨房の仕事”半端ない!”とあらためて思う。

先日、新メニューのヒントを得るべく数人で「新橋亭」に行った。刺激も欲しかった。厨房に入っていると、お店を抜けて他の店舗を、他の料理を食べに行くというのが無理なのだ。
新メニューや料理の提供方法を考えるのだが、頭の中で懸命に考えても思いつかない。<百聞は一見にしかず>なのだ。厨房にあるためにお客様からの情報も手に入らない。

たかが「コーン春巻き」されど「コーン春巻き」。
悩ませてくれる。










秋分の日

暑さなかなか収まらず、今週末は秋分の日を迎える。
暑さも収まらないが、お客様もなかなか戻ってこない。
厳しい日々が続く。

お節をどうしようか迷っている。
現状で、現状スタッフでお節を作るのは厳しいと感じている。
そろそろお節の案内も発送する時期になっているのだが、文面はおろかメニューすら決まってない。
従来の二段重と一段重の二種類を作るのにメニュー数は40品が必要と考えている。その40品から30品前後に絞っていく。昨年までは32品目だった。
結果がどうなるかに関わらず、メニューは少しずつ増やしていた。現状でほぼ半分の18品目。メニューそのものを決定する時間はまだある。
依頼されてお断りできないだろうお客様はけっこういらっしゃる。
一段重だけに絞ってご案内を差し上げようかと、現状で考えている。

10月29日(日)、歓の前を通っている医大通りを交通規制し商店会主催の「医大通り音楽フェスティバル」を行う。
この準備も粛々と進めている。今年は副会長の一人が会社移転のために脱会した。有能な副会長だった。
代わっての新副会長も決めた。やる気満々の新副会長だ。商店会の後継者としても有望な若者だ。が、しかし副会長に就任しまだ数ヶ月しか経てない。経験不足なのだ。彼自身は企画会社の経験もありアイデアもあり、それをこなすだけのパワーもありと楽しみな存在なのだが、一人でこなすイベント規模ではない。会員の協力が必要なのだが、彼の存在が会員間で認知されるにはもう少し時間が必要だ。で、私も限られた時間で商店会の活動に精を出さざるを得ない。
これがお節の準備にブレーキをかける。

お客様の戻りがまだまだのなか経営的にやはり厳しさが続く。
先週の日曜日、今日、そして来週の日曜日(24日)と三週連続日曜日にお店を使った撮影が入った。
日本人と中国人が混じった撮影スタッフ、中国映画だそうだ。1960年代に日本へ留学した中国人が中華料理店を開店するサクセスストーリーらしい。
他の中華料理店での撮影が決まっていたのだが、そのお店が約束した撮影日に予約を入れてしまったそうな。撮影は同じ場所で行う必要があり、撮影メンバーの一人がその昔、歓で宴会をしたことがあり、それを思い出し、私の所に打診に来た。
場所を提供することでいくらかのお金がはいる。売上の伸び悩む中、この場所提供代金はけっこう助かる。
初回分の料金を妻に渡したところ、
「苦しくなったら何らかの助けが来るね・・・」
ボソッと言う。
そうか、まだ”助け”が来るのか。彼女はそう思っているのか。

撮影日の今日、朝6時半ころからお店で待機。撮影スタッフたちは7時前からそろい始めた。俳優たちをはじめスタッフたちは、(金銭的に)恵まれた職場とは言い難いのだろうが、「一つの夢」を作るのにみな夢中でとりかかっている。
若さゆえに続けられるのだろう。

このお店にも夢があった。
もういっかい夢を作ってみたいな、と思う。
もういっかい夢を作れるかな、とも思う。
70歳が近づいてきた。







アルバイト募集

かっぱ食堂。歓ファンの近くにあるイタリアンのお店。
美味しいお店だ。
オーナーである店長とアルバイトの二人で運営している。
アルバイトは二人ほどいて交互に勤務している。基本的に二人でお店を切り回している。
カウンターが角材を建に何本も並べた形、それも長短がそろってない。だからカウンターは手前側にデコボコと面白い形をしている。オーナーのこだわりを感じるが、理由を聞いたことはない。
この近辺の飲食店では、なぜか私が一番落ち着けるお店だ。
パンを使った「パングラタン」「リゾット」そしてデザートの「テラミス」がおすすめ。

かっぱ食堂で、二人いるアルバイトのうち一人が突然辞めたそうだ。一人では回せないために現在週三日ほどお店をお休みしている。
辞めた理由を聞くが、いわゆる五月病(五月ではないのだが・・)らしく、アルバイトがお盆休みに田舎に帰ったら、そのまま上京する気が失せたらしく、電話で「もう辞めます。」とのこと。

次のアルバイトは求人専門の会社を通して探しているそうだ。
募集の時給を聞いておったまげた。
1350円/時!
これでも見つかるかどうか分からないという。
この金額は衝撃だった。
今、歓はギリギリの人数で運営しており、売上的にも今時点での募集はありえない。が、私を含めたスタッフ全員が高齢化しており、事故や傷病などいつ何があってもおかしくない。人材的にも人数的にも余裕がない。売上が回復したら、当然募集はあり得る。
が、しかし、この1350円という時給は考えられない。募集したアルバイトだけを1350円にするわけにもいかない。現メンバーの給与も上げざる得ないだろう。
現スタッフの給与も最低賃金を少し上回る1100円だ。

やっていけるのか!
きゃー!
心中悲鳴が上がる。
社員の給与は上げたい。心からそう思う。
が、その余裕は、今、まったくない。

食材の高騰、人件費の高騰、なのに客足の伸び悩み・・・、というか客足が戻ってきてない。
コロナ禍から難局はいろいろと続いている。






台風

台風13号が関東地方を直撃とニュースが昨夜から流れていた。
すっかり忘れていて、出がけに6階の部屋から階段で降りる最中、外の漏れ聞く雨音に気がつき
(あ・・、そうか、台風だ・・・。傘を持ってこなきゃ・・)
もうすでに3階の踊り場まで降りてきていた。
地階に降りていたエレベーターを待つのも癪で、3階から階段をふたたび上がる。エッチラホッチラ。

(台風か・・・一日・・、少なくともランチタイム中は雨にたたられそうだな。
ランチのお客様、きっと少ないだろうな・・・)
と勝手に思い込む。

平日は毎日北新宿まで10個ほどの弁当配達がある。宅配用のバイクで運ぶ。
屋根付きワイパー付きのバイクだ。ただ側面は何もない。
肩から腕、そして足下はしっかり雨にさらされる。
これだけの雨なら上下の雨合羽の出番だ。登山用で購入したカッパは余裕があり、雨をしっかりガードしてくれる。雨などへっちゃらに配達できる。
それでも雨は嫌だ。
売上の少なさに思いを至るから、やはり憂鬱になる。
・・・・
・・・・
・・・・
お昼過ぎた。(ランチが終わった。)
ランチ、思いのほかお客様が来てくれた。
この雨の中、お店まで足を運んできていただいた。
いつもより少ないのだが、予想はもっと少なかった。
うれしいね。素直にうれしいね。

お金のやりくりをしてくれる家内の顔を思い浮かべる。
こんなんでも足りないのだろうが、もうちょっと我慢してくれよ。




古稀と高齢者講習

誕生日はまだ1ヶ月以上さきなのだが、区からお祝い金が届いた。
古来稀なりが語源の古稀。
100歳時代が来ようという今じゃ、ぜんぜん「稀」じゃなくなったし、実感的にあまり嬉しくもない。
お祝い金の金額は5000円。ま、ほどほどの(嬉しい)金額だ。
全国的にみると、70歳でいただけるお祝い金というのは珍しいのではないかと思う。たぶん新宿区はお金を持っているからだと邪推している。貰っている立場から言うと罰が当たりそう。ありがたくいただくことにしよう。

またコロナにかかったようだ。
症状はもう治まった。
先週の木曜日あたりから痰が絡まりはじめ、徐々に喉に痛みが伴ってきた。
コロナとも思わなかったし、熱も出なかった。ただただ喉が痛かった。
喉の痛みがピークだった金曜日は予約宴会が終わった夜8時で閉店。次の日のランチはお休み。夜は予約が1件。いらっしゃれば普通に営業するつもりだったが、予約以外のお客様はゼロ。予約が終わったのは夜9時前。そのまま営業終了。
もうこの頃はだいぶ喉の痛みもなくなってきていた。

翌火曜日に月一の定期検診があるために病院に行った。そこで喉の痛みの症状を聞いた。
「コロナっぽいですね。」
という返事だったが、コロナに対する手当はなかった。もうその程度らしい。

古稀という年齢になり、気持ちはまだ50歳代なのだが、身体は間違いなく古稀だ。そして来月10月1日には運転免許の高齢者講習を受けに行く。今度の誕生日が免許更新にあたるため、更新半年前に受けなければならない講習らしい。
電話した。更新に必要なものを聞いた。
免許証、高齢者講習の申請書、黒ボールペン、そして動きやすい靴・・と言われた。
「えっ?靴ですか?」
「運転して貰います。」と当たり前のように電話口で言われた。
そこではじめて実施運転があるんだと気がついた。講習という名前がついているために講習だけで終わるもんだと勝手に思っていた。

バイクは毎日運転してるし、車だってほぼ1か月に1回は運転している。たぶん大丈夫だろうが、ちょっとドキドキしてきた。
身体動かすのはけっこう好きなので、ほぼ日曜日ごとに10km程度のウォーキングしている。その歩いている時に平坦な道で時々躓く。自分で考えている以上に足が上がってない時があるのだ。
それを思いだし、講習の時に、なにがしかの身体能力の劣化が出ること想像して、つい(嫌だなぁ・・)と感じる。

古稀、70歳。
お祝い金と高齢者講習も稀なり(今までなかった)。








月末

久しぶりに忙しい月末になった。
予約もそこそこあったが、気がつけば満席。
初っぱなのお客様が開店時間の17時。次が18時、18時30分に二組。
円卓を埋めてくれた9名様以外は人数こそ少なかったのだが、時間を分散して満遍なく来てくれた。
厨房に立ち、追われてはいたのだが、料理が遅れることは無かった。
ホールから紹興酒のカメを開けてくれと頼まれ、今日は2カメを開けた。
紹興酒を含め醸造酒は、私の酔いの回るのが早い。
30分、間を開けずにカメ開けする。例によって最初の一杯を私が試飲する。
今日は、その紹興酒の酔いがきつかった。
カメ開けした後、すぐに厨房に戻り、宴会料理、アラカルト料理を仕込み、作る。
作ること自体はどうってことないのだが、その注文が10個以上重なると、頭のなかはフル回転になる。
宴席料理の進み具合、揚げ物の揚がる時間、煮物の仕上がる時間、それぞれ単品の材料を5台ある冷蔵庫、冷凍庫に取りに行く。一番離れている冷蔵庫まで10歩もないのだが、何度も往復するこの時間が惜しい。
全てのオーダーの、材料を頭にたたき込み、なるべく一度で終えるよう走る。

やがて全てのオーダーを出し終える。すぐに片付けと材料の残を確認する。まだ閉店で無い。次の注文に備えなければならない。

おかげで紹興酒の酔いがだいぶ冷めてきた。お客様からただいたハイボールは手つかずで残り、中の氷は溶けている。
それでもこの忙しさは、久しぶりの忙しさは、嬉しい!メチャ嬉しい!







好奇心と読書

昔はネット関係は苦手じゃ無かったんだけど。いつのころからだろう、新しいものに食いつかなくなってきた。
ゲームも新作が出るたびに一通りは熱中した。
インベーダー、マリオ、ドラクエ、ゼビウス、鉄拳、ストリートファイター、ギャラクシー、・・・・。
タイトルを見て貰えると分かるとおり一昔のゲームばかりだ。私が30~50代の時代だ。この時代を振り返ると、よくゲームする時間があったなぁ、と思う。
仕事、家庭、ほぼ毎日飲み屋に通い飲んだ。飲む打つ買うと三拍子そろっていた。
でもでもでも仕事は充実していた。どんなに遊んでもあの時の私はエネルギーがつきなかった。
元気だったのだ。
元気だったから好奇心も旺盛だった。
ゲームに限らず、寸暇を惜しんで”遊んだ”。興味のそそるものは分野を問わず没頭した。

パソコンを初めて触ったのは30台半ばだったと思う。NECのPC98が全盛期の時だった。そのパソコンを習熟するために1年間飲食の仕事を離れてパソコンスクールに通った。
今ではすっかり忘れてしまったが、コンピューター言語のベーシック、コボルでの及第点はとった。
好奇心も旺盛だったが、あの当時の新しいものに対しての私の理解度もそこそこあったと思う。
新しいものに出会えるのが楽しかった。私の興味は次々と新しいものに移る。
でも、いつも飲食の仕事は私の原点にあった。
美味しいものは好きだったが、ある時から仕事の内容が”作る”から”見せる”に変わっていった。見せると言うより「楽しませる」に重点が移ってきた。
楽しませるには相手の楽しみを知る必要があった。当時の相手は常に「お客様」だった。

お客様を楽しませるためにパソコンはあった。
今でこそ当たり前になった宴席メニューをパソコンで作った。フォトショップなどの画像処理ソフトの扱い方も覚えた。
宴会途中でお客様のポートレートを撮った。画像でコラージュを作った。宴席の終わる頃にはお客様全員の画像とメインのお客様を中心に添えたコラージュが出来上がっていた。
喜んでくれるお客様の顔が、私の何よりの喜びだった。
たぶん私が一番輝いていた頃ではなかったかと思う。
雇われ店長であり、今と比べると責任はさほど重くなかった。
何でも伸び伸びとやれた。
”成長”を肌で感じていた頃でもあった。

あれから30数年経った。
私自身で一番変わったと思うのは、読書の量が減ったことだ。
目にも原因がある。網膜剥離の手術をしてから近くのものを見るのが疲れる。
眼医者にも行った。めがねも何種類か変えた。
裸眼でも眼鏡でも読めた文字が今は読みづらい。
新聞もタイトルだけで読み流す紙面が増えた。
それは好奇心を支えていた根気が少なくなったことでもあった。

長編の小説どころか2時間、3時間の映画すら億劫になる時がある。
原因は、目をはじめ身体の各部位の老化が原因だと思う。

まだ今の私には仕事があるから、ある程度の体力と考察力を維持できるが、仕事が無くなったら、もしかして痴呆、認知症の世界にまっしぐらに進むのかもと危惧する。
体力と考察力を支えるもの、好奇心と読書・・・。

あまり面白くない落ちになっちゃったな。




花器

商店会のメンバーの一人が引っ越した。
今日はその引越日だった。
新しい会社の所在地は西新宿。
住友ビルセントラルパーク・ラ・トゥール新宿。
新宿中央公園の方南通りをはさんだ真向かいにある。
鏡張りの壁面が、真夏日の痛くなるような日差しを反射させて眩しい。
エントランスには受付が数名。言わずもがな高級感が漂う。
(後で聞いた話し。家賃は50坪115万円/月。後楽園に出店していた当時の家賃と同じだ。私の場合は店(テナント)が家賃を生み出していたが、彼の場合は場所自体はお金を産まない。)

会社はその6階にあった。
開業は明後日の月曜日。社内は引越の真っ最中。
大小の段ボール。机、イス、・・・・。
目を和ませてくれるはずの観葉植物が部屋の片隅で、置き場所が決まってない事務用のファクスやプリンターと肩寄せ合うようにしている。

熱い。
聞けば手違いでまだエアコンが通じてないそうな。
熱気ムンムンの部屋で新オフィスの配置を手分けしてかたづけている。
半袖シャツや腕まくりが黙々と働く。

部屋の熱気とは違う、彼らの熱気を感じてしまう。
みな若いのだ。30歳代~40歳代。社長だってまだ43歳。
熱気といっしょに勢いを感じてしまう。
おそらくこの会社は伸びる。間違いなく伸びる。
これだけ人が集まる会社がそうない。

新橋のお店を出していた頃。たぶんあの頃が私に一番人が集まってきていたような気がする。私にも人が集まる勢いがあった。勢いに乗って走る体力も元気も私にあった。
その頃を思い出す。

今日は引越祝い、新スタートとしてのお祝いを持って行った。
引っ越しした社長との共通の知人でもあり、昔は大きな会社の経営者であり、飲み仲間である彼女が所有し、今は私の手元にある大きな花器を彼の引越祝いとした。応接室に置けばかなり映える代物だ。おそらく数百万の価値はある。彼女は大きな花の中でもカサブランカがこの花器に一番映えると言う。

喜んでくれた。
同時にこの花器が繁栄の印しとして私から彼の元へ。あるべくして主を見つけていく。
花器にとっても良かった。






いろいろとやれること

ホール中心で仕事をしていた頃は、例えば芸人を呼んで落語だったり漫才だったりマジックだったりとやっていた。そういう友達もいた。
厨房に入り、それが出来なくなった。
「今度は何をやるの?」
と今でもお客様から聞かれるが、言下に
「無理です。」
とにべもない返事をする。
芸人さんを手配し、そのための案内状を作り、顧客に発送する。相手によっては電話やメールで懇願して来て貰う。企画、実行、集客、そして当日の紹興酒カメ開けを含めたイベント進行・・・。これに料理を考え仕入れ仕込み・・・どう考えても無理すぎる。

厨房に入り、お客様と接する機会が断然減った。
お客様の顔を見ることが出来ない。
楽しいことがあったのか、疲れているのか、話したくてきたのか・・・。
何も分からない。
今一番悔しいのは人と接する機会が少なくなったことだ。

でもね、今はね、ちょっと辛抱するときなんだろうね。
そう思っているんだけど、そう思い込もうとしているんだけど。
やっぱり時にはお客様といろいろ話し込みたい。

もしかしてお客様もそう思っているのかも知れない。
私と話したいと・・・。
でも、何回かお店にいても厨房の奥から出てこなければ、お客様も離れるよね。
・・・・・

今日は立秋。
物思いにふける秋が始まった。
メランコリーな秋が始まった。