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環状5号線開通式

12月3日、先週土曜日の話しになる。
伊勢丹前を通る明治通りの迂回路である環状五号線、千駄ヶ谷トンネルが開通した。
明治通りの混雑緩和を図る道路だ。
新宿御苑と新宿高校の間を通り抜ける。池袋から渋谷方面へ向かうと地上部分を走り高島屋の先、千駄ヶ谷に抜ける。逆は千駄ヶ谷から地下トンネルを通って、新宿通りの交差点へ、さらに進んで花園神社、日清食品本社前、そして池袋へ向かう。
その開通式セレモニーがあった。
この日に招待されたのは30人程度。
壇上で紹介されたのは、新宿区長、渋谷区長、建設庁の何とか課長・・。
さらに挨拶なしで名前を紹介されたのが、新宿区渋谷区選出の都議さんたち。
私は商店会長として臨席。

新宿高校で開通式、その後、開通した道路上でテープカットとくす玉割り。
白バイが先導するマイクロバス7台が連ねて新明治通りを走行した。

テープカット、くす玉割りには、4人のマスコットが登場。警察のピーポーちゃんは知っていた。「キュータ」は胸に119の文字があり消防署のマスコットだなと想像できたが、新宿区の「新宿シンちゃん」と渋谷の「シブヤラブハチ」は、説明を受けてもどっちがどっちのキャラクターなのか混乱。
でも開通式会場を通りかかった子供たちには受けていた。

やがてマイクロバス7台に招待された賓客(?)が分散して乗車した。コロナ対策らしかったが、なんと30人乗りマイクロバスに招待客はそれぞれ3名!
横3列シート(補助席を入れると4列シート)に一人。それも前後の列は空席シート。乗客同士の話しもできない。
仕方なく窓から景色を眺めていたら、なんと開通した道路上ほぼ50m間隔でカメラを構えている方たちがいる。その背後には手を休めて仕事を中断している道路工事従事者。
仕事を中断させてまで
(誰が来たんだ?)
(誰が乗っているんだ?)
という眼でこちらを見ている。
バスのなかで私は上級国民になっていた。

バス下車後、広告代理店を生業としている商店会長仲間に聞いた。
これってどのくらい予算使ってますか?
こういうことを請け負う会社って?

「電通か博報堂ですね。」
「都に要求した金額は、おそらく1本(1千万円)だと思います。」
なるほど・・・・。







十九周年アニバーサリー

12月3日土曜日は、歓の十九周年イベントを行った。
この地に店を出しまるまる18年が経ったのだ。
周年行事は毎年やっていた。それがコロナ禍で2年ナシ。
今年も第八波が押し寄せている最中に、
(今年も無理かな・・・)
と半分諦めていた。
私の住まいのある新宿五丁目の町会長が新年会の余興での芸人さんを私に求めてきた。これまでも何名も芸人さんをご紹介してきた。延べ7~8名様ほどご紹介してきただろうか。それぞれ連絡先がわかっている芸人さんは直接連絡できる様にしてきたはずだった。
聞いてみると、新しい芸人さんを欲しているらしい。
お店の方は、長いコロナ禍で中止方向で検討に入っていた。

日時、場所、ギャラなどを告げて、鶴瓶さんにメールを打った。
鶴瓶さんが若手の落語家さんに、
「お前、見つけてやれ。」
と言われたらしい。その若手の落語さんから電話があった。
「鶴瓶師匠は私どもにとっても雲の上の存在なんです。芸人さんの紹介は私が請け負います。鶴瓶師匠にそんなことは頼めません。」らしい。
で、歓の周年行事と合わせてお願いした。

ビックスモールンという大道芸人を若手落語さんは指定した。
芸能界音痴の私、申し訳ないがビックスモールンは知らなかった。
YouTubeで見つけた。動画を見た。
(えっ?こんなの、テーブル広げてるお店でできるの?)
が正直な気持ちだった。
「大丈夫です。今、彼はあちこちで引っ張りだこです。」
「ギャラも歓さんの都合で良いです。」
これで周年行事開催も芸人さんの選定も終わった。

相棒の女性に「会費1万円」と告げた。例年7千円か8千円だった会費だ。
「えっ?」
金額に驚愕した様だ。背中を押した。
「大丈夫だよ、私とあなたと二人だったら満席にできるよ。」

彼女が頑張った。
32名様になり、後から申し込んだ方の数名は断ったほど。
これ以上入れると、芸が、芸を行うスペースがとれない。

会費が高かった分、現在開発中の「新宿醤」6000円相当をお土産につけた。
そして久しぶりの満席宴会。
久しぶりの気持ちいい疲れが残る。

師走忘年会シーズン。
まだまだ空きがある。
木曜だとか金曜日だとかおいしい曜日がまだまだ空いている。

皆さん、来てくださ~い。
予約待ってまーす。








スタンプカード

ランチタイムにスタンプカードを出している。
一回食事(1000円)のたびに1個スタンプを押している。
20個貯まれば、1回の食事代(1000円)が無料になる。
10個で出しているお店があるなか、コンプリートの20個は長い。
それでもせっせとスタンプを貯めて楽しみにしているお客様はけっこういる。

そのスタンプカード、表面に小さく発行年月が書いてある。
小さくというより密かにという感じで印字してある。

今日のランチは、スタンプカードが多かった。全部で5枚。
出されたスタンプカードの年月を確認したら、2019年9月というのが2件あった。
2019年!
3年前!
ありがたいのだが、20個集めるのに3年・・・・。
何か複雑な気持ちになった。
3年間、財布の片隅にとっておいてくれた・・
土曜日もランチは営業しているのだが、年間平日のランチ数は約100日ほどある。それが3年間だから300日。
年間約50週間。二週間に一回ランチに来たとしても、余裕でスタンプは貯まる。

それで複雑な気持ちなのだ。
何年経ってもお店を使うかも知れないとカードをとっていただけるという嬉しい気持ちと、三年間での来店数・・・・。
いやいやありがたやありがたや。











渡辺徹さん

俳優の渡辺徹さんが亡くなった。
ニュースを聞きながら、渡辺さんとの短い出会いを思い出した。

奥さんの榊原郁恵さんと同じくチマキの注文を何度かいただいた。
渡辺さんは配達先で出会ったことはあったが、お店にいらっしゃったことはなかった。
二年ほど前に、その渡辺さんが闘病生活を送っていること、ニュースで知った。
ぶしつけながら一度メールを送った。

「チマキでお世話になっている歓ファンの梅橋です。ニュース見ました。 闘病、頑張って下さい。 私67歳。5年前前立腺癌摘除でキツイ思いをし、未だ尿障害など引きずっています。
ファンの皆さん不死鳥のように立ち上がる渡辺さんを待ってます。
心折れそうになること度々あるでしょうが、どうぞ、また元気な姿を見せて下さい。
「いまやらねばいつできる。 わしがやらねばたれがやる」
108歳で亡くなった平櫛 田中(ひらぐしでんちゅう)という彫刻家が98歳の時に発した言葉です。
この方はまたこういう有名な言葉を座右の銘にしてました。
「六十七十は鼻垂れ小僧。 男盛りは百から百から。 わしもこれからこれから」

渡辺さんから返事をいただいた。
「ありがとうございます。 素敵な言葉大切にこころに留め置きます。」

そう遠くない時期に、私にも私の妻にもやってくることを想像しながら、残された郁恵さんの気持ちに思いを馳せる。
生者必滅の理なれど、やりきれなさが交錯する。

ご冥福を。

送別会

昨夜、商店会会員メンバーの送別会があった。
比較的新しい会員であり、その会社の事務勤務している、まだ20代の女性だ。
が、何事にも惜しみなく働く。可愛い容貌もあって商店会員のメンバーからも可愛がられていた。
その彼女、沖縄に移住するという。
(またなんで沖縄・・・)
と思ったが、彼氏といっしょだと聞いた。
恋の力は商店会よりも強し。

会員の一人である居酒屋にて10名ほどのメンバーで始めた。
送別品に、彼女の好きな日本酒のグラスを贈った。
箱には、この製品をチョイスした別の女性会員が、会員店舗のロゴを印刷していた。グッドジョブ!

9時になりこの会は解散したが、もう少し話したりなくて二次会場へ。
カラオケバー。
あちゃ・・・歌は好きだが、カラオケは苦手だ。ま、しかたない。

11時をまわり、そろそろお開き。
が、さらに三次会が待っていた。
自宅近くであったために、私もついて行った。
そして深夜1時。
久しぶりの午前様。

名残惜しさが時間を引き延ばした。
待てよ?
送別される主人公はとっくの前(二次会)でにいなくなっている。
名残惜しかったのはお酒じゃなかったか・・・。
おかげさまで久しぶりの頭痛が残っている。
この頭痛との送別会はいつ?







忘年会

予約が、忘年会の予約がポツポツと入ってきた。
予約長の空白はまだまだある。
そんな忘年会シーズンを控えた11月下旬。
祭日開けの昨日は久しぶりにランチが吠えた。
終わってみればランチ客数45名様。
コロナ前の60~70という数値にはまだまだ遠いが、久しぶりに40名を超えた。
ヒマ慣れした厨房がバタバタしていた。
素直に素直に嬉しい。
お客様が戻ってきてくれたのが嬉しい・・・。
この活気さは涙が出るほど嬉しかった。
久しぶりに忙しさで疲れたが、同時に元気も戻ってきた様な気がした。

そして今日、お昼1時前でまだお客様は11名様。
・・・・・・・・
ガクッ。
お店を逃げたくなる・・。
お店を見たくない・・。
白旗を作った。
白旗を揚げた。
昨日のあんなに混んでいた店はどこに行った?
マイッタ!


昭和の残党

ランチに少し太めの男のお客様がいる。
推定50歳半ば。
お腹がけっこう出っ張っているお客様。
(たぶん、この人も糖尿病か、血糖値は高めなんだろうな・・・・)
とおぼしきお客様だ。
ツータック、スリータックの少し緩めのズボン姿。
ワイシャツなので、近隣の会社員と見える。

いつも一人で来店、ゆっくりとしたランチタイムを過ごされる。
注文は常に大盛りだ。そしてサービスでお出ししているお茶も、常にピッチャーをいっしょにお出ししている。

このお客様は、食事が終わりレジで精算される時に必ずされる癖がある。
ペロッと人差し指、親指をなめ、その指で財布からお札を出されるのだ。

おりしも新型コロナウィルス第八波が拡大中。
うーん、何だかな・・・。
昭和の頃には珍しくなかった光景なのだが、コロナ禍の時期には、
(もうちょっと気を遣ってくれると嬉しいな・・・・)
と思うが、当然口には出さない。
ただこの方の出したお札は隔離する。
コロナウイルスは弱体化しており、普通の風邪と大差ないと私は考えているのだが、釣り銭として他のお客様に出したくないのだ。

隔離。お札の隔離。
大事に別な封筒に入れ隔離。
これはこのまま毎日行く銀行へ預金する。
昭和の残党として封印、そのまま銀行という檻の中に入って貰う。
指なめとともに、昭和がここでもまたひとつなくなろうとしている。








携帯が乗っ取られた

「お客様が不在の為お荷物を持ち帰りました。こちらにて確認くださいol.aoxxp.com?ko](リンクは張ってないのでご心配なく)
とあった。
商売柄宅配物はよく来る。
何気なしにアルファベットの文字をクリックした。
そこが始まりだった。
Iphoneを使っている。
スマホの設定画面が頻繁に出て、IDの確認を求められる。
アカウントIDを何度も入力する。パスワードも入力する。
何度やってもログインできない。
何度見直してもID、パスワードとも間違ってない。
パスワードの再設定を余儀なくさせられる。
画面の指示通り進めた。
すると再設定用の認証を送るから信頼できる番号を入力しろとの指示が出る。
自分の携帯番号の入力画面で、数個の”*”印のあと下2桁の番号が表示されている。
「23」
えっ?
23って何?
下二桁のこんな番号入力した覚えもないし、携帯番号、誕生日、住所、店の電話番号、どれにも当てはまらない。

ここからが地獄だった。
何度も何度もID画面他の入力画面がループする。
ホトホト疲れた。
IT関連の仕事をしている長男に泣きついた。
「乗っ取られてるね。やっかいだね。」
息子が参考になるネット情報を私に流す。それに提示してある方法を試みるが、5回ほどやって根負け。
息子に
「明日予約があるので、その仕事が終わった後、買った携帯ショップへ行ってみる。」
”乗っ取られた”と気がついてからまるまる半日はかかった。

昨日携帯ショップへ行った。
冷たい雨が降っているせいか、携帯ショップは閑散としていた。
その方がこちらも周りに気を遣わなくて楽だ。
顔見知りの女性店員が寄ってくる。
説明した。
その場でショップからアップルへ連絡入れてくれた。
この手の相談にありがちの、「しばらくお待ちください。」攻撃が始まる。
こっちは打つ手がない状態のため、無為な時間をひたすら待つ。
一通り説明した後でも
「担当に似変わりますのでしばらくお待ちください。」
この携帯ショップで過ごした時間はおよそ2時間。
夕方5時というのに、雨も手伝って周りは夜闇に包まれている。

ショップの購入番号を伝えて、10日前後でアップルから返事が来るという。
乗っ取られたアップルIDは解除したので心配ないとの答え。ただ携帯は初期状態に戻る。この10日間で携帯に残っている画像は別なところへ移してくれとのこと。
また面倒な作業が発生する。

決済カードの使用を防げたのはまずまずだが、これだけの労力と時間がただただもったいない。
注意深くすれば、クリックした「ol.aoxxp.com?ko」のアドレスもおかしい。

世の中に「無駄」は必要だが、ホトホト疲れた。
年寄りはもっと労ってくれよ、ハッカーさんたち。














山川草木転荒涼

鹿児島で育った。加治木という町だ。
その小中高の学校時代に、薩摩特有の集まりがあった。
「舎(しゃ)」という。低学年は小学校4年生くらいから、上級は高校2年までの、当時は男の子ばかりの集まりだった。

小さな町だったが、舎は三つあった。もともとが商家の子の集まり、士族の子の集まり、農家や鍛冶などの工業系子孫と別れていたようだったのだが、昔々の町割りで、グループで分かれていた。士族が住んでいた地域の子供たち、商売人が集まっていた地域の子供たちという具合だ。

私が属していたのは「有為舎」。正確には(ゆういしゃ)と読むのだろうが、皆「ゆいしゃ」と読んでいた。もしかして薩摩特有の読み方だったのかも知れない。
毎週土曜日に集まり、高校二年生の舎生長を筆頭に何をやったかと言えば、柔道や詩吟を学んだ。子供たちだけでキャンプに行き、高校生が小中学校の子供たちにいろいろと教えていた。
試胆会(いわゆる肝試し)と称し、誰もいない墓場の奥に札を置き、それを取りに行く遊びをした。
相手の陣にタッチするという単純な「陣取り合戦」という遊びは、敵味方の陣が1キロほど間隔でやった。
「妙円寺参り」といい、12月28日に隣町隼人町の神社の10kmほどの道(距離も神社の名前も思い出せない。)を深夜に歩いて行った。
加治木は安土桃山時代の名将「島津義弘候」の居城があった町なのだ。

今思い起こせば、女子は加入できず、商家の子孫の集まりだとか、遊びそのものだって時代錯誤が甚だしい。
ただ私のなかでは、たいへん大切なことを教わった。
舎の訓示があった。
舎訓
1、正直な人となれ
1、誠実な人となれ
1、勤勉な人となれ
1、同情ある人となれ

話しは表題に戻る。
詩吟の一節だ。たしか「金州城」という題目だったと思う。
乃木希典が戦いの終わった戦場を、死んだ仲間を思い浮かべて唱った詩だと覚えている。
こういう一節が、今は心に染みる。
詩吟は私は下手だったが、こういう詩のフレーズはなぜか今の私にジーンとくる。
心に染み入る理由は、今のお店の苦境なのだ。
いい知恵が出てこない・・・・。















外食も同じだ!

毎日新聞の記事から

 カチャ、カチャ、カチャ……。箸やスプーンが食器と触れる音が、静まりかえった教室に響く。食が細く、食べるのが遅い小学2年の女児にとって給食は恐怖の時間になった。「とにかく前だけを見て、黙って食べましょう」。小学校入学時に、こう指導された。それまで通っていた保育園では給食時の静かなおしゃべりは許されていたが、小学校では「黙食」が徹底された。
 新型コロナウイルスの感染者が国内で確認されてから来年1月で3年。母親の小野真帆さん(30)は、世の中全般の感染対策が緩和に向かうなかで、学校の黙食が続く現状に疑問を感じる。
 「『大人は居酒屋に飲みに行けたり、ランチで話をしたりできるのに、なんで給食の黙食は変わらないの?』と多くの子どもが疑問に思っています。それに対して、納得できる説明をしている大人はいません」
 小野さんは、感染状況に合わせた黙食などの緩和を求めて立ち上がった。自らが代表を務める「全国有志子どもを思う会」(本部・東京都渋谷区)は5月16日~7月3日、インターネット上でアンケートを実施。未就学児から小中学生を中心に、その保護者など1593人から回答を得た。
 「黙食についてどう思いますか」という質問に対して「悪い」が最も多く79・0%、「どちらでもない」が15・4%、「良い」が5・5%と続いた。
 「給食はお話ししながら食べたいですか」に対しては「したい」が90・4%、「どちらでもない」が6・4%、「したくない」が3・2%と続いた。9割が黙食をやめたいとする実態が浮かんだ。調査終了から4カ月以上がたち、全国旅行支援も始まっていることなどから、現在はその割合が増えている可能性がある。 自由回答欄には、子どもたちの悲痛な叫びが並んだ。
 「大人はマスクなしで楽しくランチをしているのに、なんで子どもだけこんな思いしなきゃいけないんですか」
 「給食の時にお友達としゃべったら給食を取り上げられました。ひどい」
 「お友達とおいしく食べたいです。今は楽しくないし、おいしくないです」
 「アクリル板を立てて壁に囲まれて食べるのが嫌です」
 全国有志子どもを思う会は9月、アンケート結果を添え、黙食など過度なコロナ感染対策の緩和を求める要望書とこれに賛同する5724人分の署名を文部科学省と厚生労働省に提出した。
 小野さんは「2年半もの間、黙食を続けてきて子どもたち自身はもう限界なんだと伝えたい。どれだけ学校が子どもたちの声に耳を傾けるかが問われています」と話す。今後、全国の地方議会に対し、一斉に請願書を提出する計画もあるという。

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外食だって同じだ。大人だって同じだ。
食事は単なる栄養補給じゃない。栄養補給だけだったら一人で食べれば良い。
楽しいからみんなで食べるんだ。みんながいることを、みんなが元気でいることを確認しながら食べるから「食事」、食べる事なのだ。

わざわざ外に出かけて街中のレストランで食べることは、お客様に元気を食べていただくことであり、逆に私たちもそんなお客様から元気をいただいている。

「美味しい」と行った顔だったり、言葉だったりがないと、作る方も食べる方も”食べがい”がなく”作りがい”がない。

いつまでマスクなんだ!
いつまでアクリル板なんだ!(歓はもう取っ払ったけど・・・)
隔離した状態って、同じく隔離されたブロイラーと同じに見えるのは私だけ?