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11月

11月、まだ月半ばだが、売上が少ない。
テレビはコロナ第八波を喧伝している。
そのせいか?

お店の顧客でもある、中堅ゼネコンの会社が近くにある。
ランチに来られた。親しくさせていただいているお客様だ。
「忘年会、待ってますよ。1回はうちでお願いします。」
「ダメなんだよ。忘年会、飲み会、会社が全部禁止してるんだよ。できないんだよ。」
(やっぱり・・)
落胆は大きい。

コロナはもう単なる風邪だと思っているのだが、街中のマスク姿は減らない。
師走の予約状況も芳しくない。
12月3日は周年行事を催す。開店19周年だ。
鶴瓶師匠を介して、ビックスモールンという大道芸人さんを呼ぶ。
価格は1万円に設定した。
価格の高さもあるのだろうが、お客様は集まらない。

コロナに負けそうで悔しい。
協力金の出なくなった5月頃から湯水の様に資金が蒸発する。
人の笑顔を隠すようなマスク姿は、私には異常としか思えない。
このマスク姿が無くならない限り、外食の賑やかさは戻ってこないと感じている。
しかしなかなかマスク姿は減らない。

一昨日、夜のお客様が一名という日があった。この日のランチ数は20名を数えなかった。
厨房が、手持ち無沙汰に時間つぶししいてる。
(日頃できない掃除でもやってくれれば・・・・)
キューッと心臓が締め付けられる。

紛らすために、どこか、呑みに行くか。
一人で・・・。
今日は酉の市。二の酉だ。
半年も出かけてないゴールデン街にでも。
あのお店、このお店、残っているのだろうか・・・・







子供という理不尽が親を育てる

明日の日曜日はなんだかんだと忙しくなってきた。
お店はお休みなのだけど。
お昼、テレビの収録がある。お店に対しての直接の取材ではない。
「はじめてのお使い」という番組で、お使いされる側のお店として登場する。
実際の撮影は11時ころなのだが、お店での撮影はおそらく13時頃。
私はプライベートで13時から約束があり、妻と二人で外出する。
撮影は社員の女性に任せる。

と、ここへ鶴瓶さんから電話がかかってきた。。
チマキの注文であり配達だ。
時間を聞いた。お昼までだと言われる。11時30分頃着く様にすれば、13時の約束は間に合う。
「ダメやったら、他の所へ頼むでぇ。」
鶴瓶さんの答えに返す。
「ダメ。ダメです。うちの注文です。」
ハハと笑って
「ほな、頼むで。」
引き受けた。

先に書いた収録する家族が食事に来た。
主人公になる男の子以外に、さらに小さい子が二人いる。
夫婦で交互に抱えながら無規則に動き回る子供を追う。
見ていて、(たいへんだな・・)と思う。
でも、そういうことを私たち夫婦も経験してきた。
怒ったり叱ったりしながら子供たちと歩んだ。
思い出しても、たいへんだった・・・。

言葉も分からない頃から、そして言葉が理解し始めた今日の子供たちも「泣く、叫ぶ、駄々をこねる」ことで親とのコミュニケーションを図ろうとする。

親は子供のワガママ(理不尽)に耐えた。
時に怒ったりしたが、耐えた。耐えた。
耐えることによって、理屈が通じない、言葉が通じない、理不尽に我慢する術を覚えた。親が育っていったのだ。

育児放棄やネグレストのニュースが時々耳に入る。
育児放棄ではなく、親であることの放棄なのだ。
加害者であるこの人たちは、たぶん同様の育てられ方(育児放棄)されてきたのだろうと思う。
理不尽に耐えてきた親の姿を見なかったからだと思う。

撮影に入るこの家族の、育児はたいへんだろうけど、子供が育ち、親が育つ姿を見ていて、何だかうれしくなる自分がいた。
仮に子供を設けたとしても私には子育てするエネルギーは微塵もない。


「頑張れよ、今しかできない頑張りだぞ!」
明日のスケジュールを確認しながら、
この子のお父さんとお母さんに エールを送っていた。








眠い

10月30日に商店会が主催する「音楽フェスティバル」が終わった。
10月はほぼこのイベントにかかりっきりだったために、11月10日過ぎても放心状態の余韻が続いている感じだ。
年会費の請求書発行、配布、とそれなりに仕事はしているのだが。

そんななか店舗のてこ入れをさぐっている。
店の売り上げは、コロナ禍の影響が抜けなく低迷状態が続いている。かなり厳しい。運転資金があっという間に枯渇していく。
今年いっぱいは大丈夫だ。
が、年明けは自信がない。

先日、主な従業員を前にミーティングを開く。
今年いっぱいで身売りも考えている、と伝えた。
その中でも起死回生の一手を、二手を伝える。
だが、「起死回生」が間に合ったとしても、かなりギリギリだ。
時間と資金の綱渡り・・・・・・。

コロナ禍の影響が続いている、、、ということはお店の”ヒマ”も続いている。
余計な時間。お客様がいなくて仕込みも準備もしない時間。でも手持ち無沙汰でもお店で待機してなければいけない。
待機時間中、今後のお店の行く末を、頭の中でいろいろな場面を描きながらシミュレートする。難しい局面を切り開く方法を、頭の中でいろいろと模索する。
が、悲しいかな、ひらめきが出てこない・・・どころか、悪い方向への想像は膨らむ。

いろいろと考える。いろいろと悩む。いろいろと・・・・・。
そのうちに急激な睡魔が襲ってくる。
(いかん、いかん、今は居眠りするような、悠長な状態じゃない!)
と思いつつ、首がかくんとなり頭が下へさがる。

ガクンと頭が下がることで現実へ呼び戻される。
「ヘタな考え、休むに似たり!」
を実践している自分がそこにはいた。







酒が飲めるぞ♬

昨日18名。今日16名の宴会があった。
昨日は上場企業の大手だし、今日は一人単価一万円の上客だ。
売上はグーッと上がる。
コロナ前はこんなお客様が月10組はあったのだ。

日によって増減はあるのだが、少しずつお客様が戻ってきているのだと思う。
もう少し・・・もう少し・・・。
今日は建設系の宴会だった。
身体に任せてバカバカ飲む人たちの集まりだ。
紹興酒のカメが三個空いた。
多少酔っ払ってはいるが、まだまだ飲めそうだ。

コロナ前は心の中で
(おい、もう、いい加減にしてくれ!赤字になっちゃうよ!)
と叫んでいたのだが、この元気はウェルカム。

酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞ♪
今日は宴会で酒が飲めるぞ♫

いつの間にか口ずさんでいる。







その昔のサッカー小僧

その昔、私はサッカー小僧だった。
その昔、私はゴールキーパーだった。
きっかけは単純だった。

中学三年生の時期クラスマッチがあった。
動き回ることは好きだったが、運動神経が秀でたわけではなかった。
むしろ足は遅かった。
その足の遅かった私に、サッカーのクラスマッチに人数あわせでゴールキーパーが回ってきた。
誰かがポーンと蹴ったボールに、大人数の選手が群がって走るという、とてもじゃないが、スポーツと呼べる代物でもなかった。

ゲーム中、ファールがあり、ペナルティキック(PK)になった。
さあ、キッカーとゴールキーパーの1対1の勝負だ。
蹴った!
ボールは右に飛ぶ!
私はボールめがけて飛んだ。
飛んだつもりだった。
飛んだつもりの身体はポテッとゴールラインに添って横たわった。
横たわった身体から伸びた手の先にボールが当たった。
ボールはてんてんと転がり、ゴールを外れた。

たったこれだけのことで私はサッカー小僧になった。
たったこれだけのことで私はゴールキーパーになった。

やがて中学を卒業し、私は高校に入る。
真っ先に向かったのが、大きな楠の下でゴールに向かって交互にシュート練習しているサッカー部。
高校三年間のサッカー生活が始まった。

華々しいはずだった部活は、グランド周りにあった土手を上がるウサギ跳びから始まった。数ヶ月続けることで足腰は強くなった。練習は次段階に入った。
キーパーポジションにつき、3m程前から蹴られたボールをキャッチすることを強いられる。ボールが顔面めがけて飛んでくる。飛んでくると分かっていても、手が顔を塞ぐのがボールのスピードに追いつかない。
ボールが来ることが分かっていても、顔面でもろにボールを受けた。「火が出る様」という形容詞がピッタリくるくらい顔全体が熱くなった。これも数ヶ月。
半年ほど経った時に同じチームの紅白戦に出られる様になった。
でも正ゴールキーパーへはまだまだ遠かった。
中学からバレーボールをやっていた同級生がいた。バレーのレシーブで鍛えたセービングは、傍らで見ていても鮮やかだった。
(ははー、こいつがいる間はオレは正キーパーは無理だ。)
と想わせるくらい、反射神経は鋭かった。ただこの同級生は練習が嫌いだった。華々しい場が似合ったいる奴だったが、練習はサボってばかりいた。
だから、練習の間は私が正ゴールキーパーだった。
・・・・・
公式の試合になると、こいつは出てきた。出てきてレギュラーとして試合に臨んだ。公式戦では私は常にサブだった。
悔しかったはずだったのだが、不思議と恨んだことはなかった。それほど彼のセービングの反応は群れを抜いていた。

新宿にプロサッカーチームが発足。
チーム名はクリアソン新宿といい、国内の4部リーグJFLに属している。

クリアソン新宿にはゴールキーパーが三人いる。
その中の一人と懇意にしている。
良い奴だ。
ナイスガイだ。
浦和レッズでキーパーを務めていたこともある。
が、たぶん、その時も西川というのが正ゴールキーパーだった。
この彼もサブでいた時間が長い。
他のチームであれば正でいてもおかしくない逸材のはずなのだ。
私とは比較にもならないほどレベルがかなり違うが、サブでいることの心境を、サッカー小僧の、端くれの一人として、一度聞いてみたい。
















気がつけば高齢店になっていた

急に忙しくなってきた。
ここ一週間ほどのことだ。
10月前半は昼夜ともにヒマな日が続いていた。
前年よりも売上は伸びている。が、前年はコロナの最悪の年であり参考比較するような年ではない。
今年の5月以降協力金も支給なくなり、それまでにプールしていた資金で賄わなければならない状態が続いていた。資金はみるみる間に枯渇していく。

廃業が視野の片隅に入る。
生き延びるために、新製品の開発をすすめる。
私の性格が元来素直でないためか、普通のお店がおこなった、例えば従業員の解雇、価格の引き下げ、店舗の休業などの処置は取らなかった。
その分苦しさが増えた。追い詰められていくのをヒシヒシと感じる。

新製品にかかる費用も含めて、融資を申し込んだ。
ふだんだったら融資は厳しいのだが、コロナ特別枠があり、これを頼った。
申込金額は1,000万円。結果は減額されて300万円。
普通の年だったらこの金額で問題ない。それなりに手を打てた。が、これだけ売上が落ち込み、回復見込みも数年先という状況下での300万円は店舗の敗戦処理にかかる費用としか思えない。
300万円という額は延命処置にはなっても、回復処理にはほど遠い金額なのだ。

最悪を覚悟した。
が、100%諦めたわけではなかった。
この情況下でも会社の助かる道を探す。
新製品はほぼできあがっていた。
ここからどう販売していくか、どう採算ベースに乗せるか、その時間と資金はどのくらい残っているのかを計算しつつ、今やれることを探す。
この気持ちが私にある間は、従業員もついてくる。
私が諦めるわけには行かないのだ。

そんな毎日を送っているなか、今週に入り、急に忙しい日々が増えた。
一桁台の売上が二桁になった。
お、お、お、と私も店内を駆け回って仕事する羽目(?)になる。

(もしかすると急浮上か!)
と淡い期待が膨らんでくる。
・・・・・
満席近くになった客席を見回し、あることに気がつく。
お客様のほとんどが高齢者なのだ。
近隣のお店にも時々偵察に行くことがある。
その近隣のお店のお客に比べて、歓のお客様はダントツ高齢者が多い。

(そっか、これまで歓に来ることができなかったのは、病気が、コロナが怖くて来られなかったのか・・・)

少し複雑な思いにかられる。
お店の成長(高齢化)やスタッフの成長(高齢化)とともにお客様もいっしょに成長していた。
なるほど・・・・。
歓が苦しんでいる理由が、日本の成長(高齢化)にあったのか。

そして今日、私は69歳の誕生日を迎えた。

来た!来た!来たーぁ!

鶴瓶さんからチマキが来た!
郁恵ちゃんからチマキが来た!
他にもう一件、チマキが来た!
今日一日で三件の受注だ。
先日は阿部寛さんから、自ら出演する舞台スタッフへの注文もいただいた。

ほとんどが舞台への差入れだ。
あちこちで舞台上演が活発になってきたのだ。
活発になってきたというのは、お客様の観劇者がもどってきたからだ。

ヒマなこともあって、お店の予約スケジュールはスッカスカ!
でも私のスケジュールはけっこう詰まっている。
お店で何もやることないから、商店会やいろいろな会合へ積極的に参加していた。ヒマなお店にいることに居たたまれないからなのだが、もちろん忙しくなったなら、お店優先だぁ!

もうちょっと、もうちょっと・・・と何度も何度も気持ちを奮い立たせていた。
今度こそ夜明けの始まりであって欲しい・・。
家賃の支払いや給料の支払い、業者への支払い、、ドキドキするのはもう終わりにして欲しい。

私の心臓、強くないんだぞ!
私の心臓、毛だって生えてないんだぞ!
見たことないけど・・・・。







天空の城ラピュタ

空飛ぶ車の開発が盛んになっている記事を見つけた。

誰も言わない「空飛ぶクルマ」が必要な本当の理由 (msn.com)

おそらく5年もしないうちに実用化されるのではと感じている。
試験に使われているのは、2~4名用のものがほとんどだが、車と同様バスのような数十人乗るのも出てくるのだろうと想像できる。そうなると飛行機と違いはどういうふうになるのだろう?

もっともっと歳月が経つと、30年とか50年になると、空中都市すらもできるのではと想像は膨らむ。仕組みは現在の2~3名用を車体を大きくして大きな浮力エンジンを積むだけだろうし、技術的には可能かと思う。
雲の上だったら、光が雲に遮られることもないから、安定して太陽光発電ができるだろうし、水も眼下に浮かぶ雲を採取して水として汲み取れば、これまたOK。
太陽光も、太陽光のエネルギー変換率も大幅に上がるだろうし(ここらへんがクリアできないと空中都市構想もできないが・・)
で、この空中都市に住む人々は、チョー裕福な人たちから入居(?)することになるのだろう。
時代が変わっても人間の上下関係、差別はなくならない。
(私は差別を否定していない。大きなうねりはこういう差別の反発から生まれると考えているので。)
貧民は地上で暮らし、富裕層はそのうごめく様を空から見下ろす。
昔々の、城から城下町を見下ろす構図はまったく同じだ。

はるか未来を想うに、外国に一度もいった経験ない人もいる様に、空の上を見上げる人たちのなかには、一度も空中都市に登ったことのない人たちも多いだろう。その人たちにとって、空中都市は神様の住む天国だと思うだろうし、空中都市の住人は、地上民に 自分たちを神様と同様に想わせる政策をほどこす・・・。

そしてある時、貧民の誰かを選び、空中都市に招待する。富裕層にとって、空中都市を初めて見る貧民の驚愕ぶりは娯楽のひとつになる。
貧民は時間をおいて地上に戻り、空中都市の贅沢な様を仲間に知らせ、かくして「天空の空のラピュタ」という新しい神話が生まれる。

大型ドローンである「空飛ぶ車」から、ここまで思いを馳せる私は、
夢想家?、それともほら吹き?


犬も歩けば棒に当たる

医大通りの近く富久町にある東洋美術学校が商店会主催「音楽フェスティバル」へ参加してくれる。
10月15日、16日、学園祭があり、そこで出品した物をひっさげての参加だ。

そもそも江戸野菜のひとつで新宿原産の「内藤トウガラシ」を歓ファンの新商品に混入できないか、というスタートから始まった。
この内藤トウガラシを西新宿にある東京調理師専門学校が栽培しており、コンタクト取った。その話しの流れで歓ファンの新製品のパッケージ製作、そして医大通りブランドや音フェスの話しになり、デザイン作りのために東洋美術学校を紹介して貰う。

美術学校はイラスト、模型、オブジェ、ウェブデザイン、壁画、写真、いろいろな分野の専門に分かれて生徒に教えている。
これは、来年以降、出店のデザイン、ポスターデザイン、ステージのバックヤード、いろいろなとこで手伝って貰えそう。 そしてそれぞれの店舗の飾り付けなどの相談も可能そうだ。
学校側も学校近くにある商店会や地域と繋がることに前向きだし。

そのなかのオマケで、この美術学校から定期的な弁当の受注提案があった。月末締めの請求書払い、要は「ツケ」なのだが、ありがたし。

つくづく動いてみるもんだ、と感じた次第。
「犬も歩けば棒に当たる」
のお話しでした。

鳥せん

おそらく創業40年は続いていた焼き鳥屋さん。歓のとなりにある。
ご夫婦で営んでいたお店だ。

私が新宿で美味しいと思っている焼き鳥屋さんは2軒ある。
しばらくお邪魔してないが、三丁目にある「鳥田村」。そしてこの「鳥せん」

串に刺してある鳥は大きめだ。
鶏肉にこだわっている。炭は備長炭にこだわる。他の、例えば銀杏なども仕入れ先は変えない。
こだわりの大きいお店だ。
そしえ何より店主。店主と言うより「頑固親父」という言葉がピッタリくる店主であり奥さんだった。
気に食わないお客様は遠慮無くお断りする。
隣で商売する私にも、間の路地で酔っ払いが吐いたあとを
「お前のとこの客が吐いたんだろうが!」
と、怒鳴り込んできたこともあった。

お客様の評価も二分するのだが、根強い顧客は多い。

夕方からの営業だが、11時頃には出勤、仕込みに入る。
毎日のパターンが出来上がっている。
その鳥せんもコロナ禍で苦しんでいた。宴会は少なくなり、二階の宴会場はほぼ使うことなく2年が過ぎた。

今年春先から、親父の背中の曲がりが目につく様になった。腰を痛めているそうだ。普通でさえ笑顔の少なかった親父に、苦しそうな表情が増えてきた。

9月。
日付を添えた「お休みします」の張り紙が張り出される。
その日付が、延長延長で書き換えられた。
時折お店にくる奥さんから、親父さんが
「腰の痛みがすごくて立っていられない。」
という。
閉店という決断は、相当悩んだと思う。
ここにも「歳月」という流れに抗うか、流れに身を任せるか・・。

そして今日、張り紙が
「閉店します。長い間ありがとうございます。」
簡潔な文章の張り紙が出されていた。

お疲れ様でした。