父を想う、老いた我を想う

病院のベッドに横たわり、布団の裾から見える壊死寸前の足先を見て
亡き父は
「オレはこのまま亡くなっていくんだ・・。」
泣きながら叫んだそうだ。おそらく足先の感覚は無かったのだろうと思う。

父の本職は真言宗の坊主だった。
幼き頃は仏壇の前に正座させられて、何度も何度も固い六角形の樫の棒でたたかれた。
母曰く、
「あんなに修行を積んで、悟った人だったのに、やっぱり死ぬ時はあがくのかしら・・」

私の昔の上司が施設に入った。84歳。
足腰は衰え、歩くこともままならず、肺に水がたまる病気をかかえ、時として呼吸困難も起こす。その都度、私と同期で上司の部下だった西井(現在の歓のホール担当)に電話が行く。彼女が駆けつけ、病院に送っていく、という事が数回。
救急以外を含めると、昼夜を問わず電話、メールが行く。
たいへんだろうと思う。きっと彼女にはワガママが言いやすいのだろう。

施設に入居して翌日の今日、上司からお店、私の携帯と電話、メールが届く。
が、電話に出るとガッチャと切れる。メールはおよそ文面とは思えない、メチャクチャな文字の羅列が続く。解読不能。

自宅の鍵を取り上げられ、携帯も夜9時になると施設預かりになり、現金やカード類は成年後見人が預かり、自由という自由がほぼなくなった。
きっと寂しいのだろうと思う。施設の方は
「慣れさせてください。みなさん、入居当時は帰りたい、帰りたいとおっしゃいます。」
そうなのだろう。
奥さんは同じ施設で世話になっている。病気で寝たきりになり、胃瘻までしている。最近は認知症が進み、言わば生ける屍となる。

聡明な方だった。豪放であり、でも人情の分かる人だった。
私を「胡座楼」という前勤務先の後継にさせようと、常に一歩下がった位置で私を見守ってくれた。
経営全般、カメラ、登山、、これらを私に教えてくれたのはこの上司だった。
ホントに感謝しかない。

それが悲しくなるような境地に追い込まれている。
手助けしたくとも、施設に預かる身では、私にはもう何も出来ない。
そしていつかは、たぶん10年くらい後には、私も似た様な境遇になるのだろう。

日本の人口、12年連続減の1億2000万人。
人口減はともかく、長生きが増え老人の割合が多くなったと痛切に感じる。
東京でも感じる高齢化。地方に行けば高齢化はいかばかりか。
そしてそれは、けっして人ごとではない。

あと何年生きられるか知らないが
あと5年先、10年先、15年先・・・