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厨房勤務

昨年12月21日より私が厨房に立っている。
あっという間にもうすぐ2ヶ月だ。
一ヶ月目で、ようやく冷蔵庫、冷凍庫の配置が把握できるようになった。.
だが、すぐ忘れる。配置は覚えていても数や値段までは頭に入ってこない。これは年齢のせいだ。

前職のお店で厨房に立っていた頃、その当時の調理長から、メニュー(一品料理に入れる食材の種類や数は三日で覚えろ、(冷蔵庫内の)食材の配置は一週間で把握しろ、と教えられた。その通りに覚えた。
当時の私の頭の回転は速かった。覚える自信もあった。

あれから幾星霜。
駿馬(?)も駄馬になった。
様々な意味で私の”キャパ”が小さくなった。

日々の業務をやりながら、懸命に覚えようとはした。が、途中で諦める。
そして自分のキャパにあった仕事の仕方に変更。が、その自分のキャパの大きさがわからない。
冷蔵庫や冷凍庫と、レンジやまな板の間を行ったり来たりする。

(仕事の出来た)若い頃は、一回の行き来で、人参、玉葱、キャベツを持ってきたが、今、ほぼ三回往復する。実に効率が悪い。人参は覚えていても、歩いている最中に玉葱、キャベツは忘れる。
冷蔵庫の扉に手をかけながら
(あれ?、人参と・・・何だっけ?、何を持ってこようとしてたっけ?)

仕事は絶対的に遅くなった。というか、一人でこなすにはこの厨房は大きすぎるのだ。それでも、今の店を維持するには、一人で踏ん張るしかない。
調理補助はいても、中華の従事者はいない。和食と洋食の調理人が交代で調理補助してくれる。

シャキシャキしているホール責任者の女性と話す。
「メニューを減らそう。メニューも少数精鋭にしよう。」
かくしてメニューを絞っていく。
が、減らそうとしたメニューの好きなお客様の顔を思い浮かべると、減らそうとしたメニューがなかなか減らない。

小さな小さな中華料理店なのだが、有限会社という法人組織なのだが、ここにも高齢化がせまってくる。

意図せずに体重が減る。体調は悪くない。病気らしき症状はない。だが、体重はあと5キロほどで20代の頃に近づいてきた。
厨房内での、立ったり、しゃがみ込んだり、の連続で足腰に予想以上の負担がかかったいるものと思える。が、体調は悪くない。
ズボンの腹回りにすき間が出来てきた。
素直に喜ぼうかね。ダイエット成功と。

12月で調理長に辞めて貰ったが、あのまま雇用を続けていたら、おそらく2月、3月で覚悟を決めなきゃいけなかったかも。
コロナ直前の後楽園店撤退時もそうだったが、何かを決める時には、割合好結果がついてきていた。
もしかして、まだ、運が残ってる・・・?

(お店が)ダメになる時はダメになるし、助かる時は助かるし、最善を尽くして、結果を待とう。
幸運だけでここまで生き延びてきた。
幸運を信じよう。









いずれ朽ちる身なりて

10年一度の寒気は過ぎたが、足先の冷えを一段と感じている。
厨房でコンクリート床の冷たさが靴を通してジンジンと伝わってくる。
もしかして今年はじめて感じたのかもしれない。
糖尿で末梢血管まで血流が届かずのジンジンなのか。
寒気ゆえのジンジンなのか。
靴の出来が良くなくてのジンジンなのか。
靴下が薄いジンジンなのか。
ま、結論は老化のジンジンとしておこう。
若き頃はともかく数年前の自分には感じなかった痛みがところを変え、時を変えて出てくる。

諸処の健康紙などを見る(ほとんど読んだことがない、表題を見るだけなのだが。)と冷えや各部位の痛みなどの特集が組まれている。対象はほとんどが高齢者か女性だ。これは逆に高齢者や女性が身体に気遣い、だからこういう記事に目が行くのだろうと推察する。
私はこういうことに鈍感だ。鈍感だった。健康が当たり前だったから。
その私が身体のところどころの変調を感じ始めている。

病気というふうではない。普通に身体を動かせるし、順調(?)に仕事をしている。
今まで感じなかった身体の変調だ。そしてその変調は数時間という単位から、時として数日のいう単位に変わる。
多少の痛みやだるさ(疲れ)を伴うのだが、その”変調”そのものは面白いな、と感じている。

今年10月70歳を迎える。
”70”という数字を声に出してみる。
自分のこととは思えなく、周りを見てみるが、やはり私しかいない。
あらためて、70歳を、70歳の自分を見つめてみる。
間違いなく老人の域になっている。

あらためて身体のジンジンを見つめ直すと、宜(むべ)なるかな。
ジンジンが残り時間を教えてくれているようだ。





寒波到来

10年に一度の寒波!大雪注意・・・とニュースで騒いでいるが、ここ新宿に限っていえば、
(どこの話し?)
確かに寒い!風が冷たい!
でもそれだけで雪が降るわけでもなく、当然路面凍結という様も新宿には関係ない。いちおう雪かきのスコップは用意してある。
(ま、用心してコートでも着ていくかね・・・)
朝7時半。
空は青く晴れ渡っている。
雪は・・・ない。
自宅からお店までは100メートルほどの至近距離。

店に着いて、いつもの通りに開店準備にかかる。
バイクを移動し、看板を表に出し、厨房に入り、ガス元栓を開け、種火をつけ・・・。いつものルーチンワークだ。
ん?
水が出ない。
水道の元栓は隣のイタリアンと繋がっている。
あれ?
隣りが水道の元栓を閉めたのかな?

表に回り、水道の元栓をひねる。
お店に戻り、ふたたび蛇口を開ける。
出ない・・・。
ようやく気がついた。
水道管の凍結だ。

スープも湧かせない。お茶も湧かせない。
ちょっとした仕事にも水は欠かせない。
電話するも、水道局の留守電は8時半以降にかけてくれとのメッセージ。

寒波が一時の休息をプレゼントしてくれた。
コンビニでコーヒーを買ってきて、いつもと違うちょっとしたモーニングタイム。
8時半をまわり、水道局に電話が繋がった。
住所を聞かれた。お客様番号を聞かれた。契約者本人なのか確認された。
携帯番号を聞かれた。そしてようやく凍結の現状を話した。答えは
「溶けるまで待つしか無いですね。お昼頃には水は出るようになりますよ。」

ちょっと待て!
凍結しているというのは、電話で一番最初に話したぞ。長々と身元確認させ、その結果がこれかい!

いや、怒るまい。せっかくの優雅なモーニングタイムが台無しになる。
心が溶けるのを待とう。








商店会

家内から「趣味」と言われた。商店会活動のことだ。
会長をしているんだからしょうがないだろう、と心で叫ぶが私都合の言い分けだ。

商店会長を引き受けてから、たぶん6年くらい経っていると思う。
16名だった会員数を52名まで増やし、70歳前後だった平均年齢も40歳代まで下げた。商店会エリアも倍ぐらいに広げた。
若者だけで商店会が稼働するまで、もうちょっとだ。

昨日の土曜日、今年はじめての執行部会を開く。夜の会合なので会員のお店を持ち回りで使うのだが、私が厨房で仕事をしていると夜の会合は出かけられない。
どうしよう・・・と悩んだが、予約のなかった土曜日に店を休んで会合を持った。土曜日開催と執行部及び出席できそうな有力メンバーに声がけした。
とたんにお店に3組16名の予約が入った。
ありゃりゃ!

お店のホールを預ける女性は、
「予約はみんな断りましたよ。」
そりゃそうだ。こんなもんだ、世の中。こうなりゃ何でも来い!

執行部会は女性1名を含め総勢8名が集まった。
会は盛り上がる。盛り上がる一番の理由は気持ちの良いメンバーが集まっているからだ。たぶんこれがこの商店会の一番の財産だ。
お店を休んでも、会を開催して良かったと思う。

商店会活動をいつまで続けられるか不明だが、最後まで頑張ろうか!

ん?
あれ?
オレって、こんなに真面目だったっけ?
オレって、こんなに働き者だったっけ?










明けましておめでとうございます

気がつけば、もう正月の六日。
言い分けにもならないが、なんだかんだ忙しかった。
気ぜわしかったのだ。頭の中で
(あれもしなきゃ・・これもしなきゃ・・)
と思いつつ、思いだしつつ、そうする間に最初の「あれ」を忘れ、思い出した頃には次の「これ」を忘れている。
おそらく私のキャパを超えているのだ。
思い出すうちはまだいいのだろうが、そのうちに思い出すことがきっと(面倒・・)になってくる、のだろう・

1月6日、今日、お昼からちょっと大きな宴席があった。
13名様。お一人15000円。

昨年末12月21日より調理長がいない。
私が厨房に入る。
冷蔵庫、冷凍庫の在庫を確認できていない。
何度も何度も見直しているのだが、前述の「あれも」「これも」が始まっている。確認し、メモり、頭の中を整理しているのだが、追いつかない。
結果、仕事は遅くなる。
嗚呼如何せん。

ということで、このブログを見ている方々への新年のご挨拶、遅くなりました。
言い分けにもなってませんね。
でも、こんな状態でも、前に進むしか道がありませんなんだ。
だから進みます。
たぶんあちこち身体をぶつけながら、痛い思いをしながら、進んでいきます。
今年70歳を迎えます。
まったくの老人です。
敬老精神で私をお迎えください。


あけましておめでとうございます。
当てにしているわけではありませんが、皆様の情けが必要な歳になってきました。それでも前に進んでいきます。
どうぞ今年一年よろしくお願い申し上げます。








スマホ、どこだっけ?

ネットニュースを見ていた。
限界ニュータウンという記事。千葉県や東京郊外でも限界ニュータウンという分譲のままで売れ残っていると画像付きで組んである。

私は男だけの三人兄弟で生まれ育った。
その兄弟も長男の私を筆頭に69、67、65歳と高齢化してきた。
兄弟は割と仲が良い。それぞれが近くに住んでいないというのも理由の一つだろうが、嫁同士も折り合いは悪くない(と思う。)
仲が良い一番の理由は、全員が貧乏だからだ。
争いの元になる財産らしきものが兄弟揃ってないのだ。
その最たるものは、兄弟全員が誰一人家を持たない。

若い時には家を欲したこともあったが、調理職人という職業柄、一つの地域に留まることは少なかった。現に私は、職場は東京新宿で、家族は茨城県石岡市にという単身赴任生活を18年間過ごした。
一つ所に定着するという気持ちが希薄だったのだ。
でも、妻は違ったろう、と私と出会いいっしょになった妻のことを少し不憫に思う。

で、くだんの記事。お店のなかで読んでいた。
どのくらいで買えると、お金もないのに胸算用。
この歳じゃ、銀行だってお金貸してくれることもないだろうし・・・。


「おはようございます。」
肉屋が来た。魚介専門の業者も来た。
(お、もうそんな時間か・・・)
時間を確認すべく、スマホを探した。
ない。ない。・・・・ない。
(えっ、どこに置いたっけ?)
掃除をした店内、レジ周り、と探した。

(あ、手に持っていた・・・)
スマホを片手に、そのスマホを探している自分がそこにいた。

家を持てなかった理由が少し分かった。









道路、駅前、公園での「歩きスマホ」禁止という条例

ここまで規則を設けなければならないのか・・・
子供じゃあるまいし、自己責任でやれないのかと思う。
「歩きスマホ」
要は歩きながらスマホをいじるな、ということ。
これを法律にするという感覚がわからない。

歩きスマホをしながら、例えば交通事故に遭ったとしても自業自得で処理できないのか。
日本人が劣化していく・・・・。
そんな気持ちでいっぱいなんですが、私は。

そしてたぶん、こんな法律ができたら、歩きスマホしている人を、マスクしてない人のように、
「入店できません。」
「歩道は歩かないでください。」
なんて言い出す人が出てくるのでは、と訝りたくなる。

日本人に生まれたことが誇りなのだが、もう少し若ければ、こんな日本から出て行きたいと私は思うだろう。
こんな環境で生きることは、自分が馬鹿になることと同義だから。
歩きスマホで事故に遭った人、 場合によっては大きなハンデを負うかも知れませんが「自業自得」という事で処理してください。
スマホ歩きでケガをした・・・恥ずかしくて人に言えない・・・。








だれか、日本を助けて













小さな診療報酬で大きな診療

あんなに足繁く通っていたゴールデン街。
なんだか近くて遠い町になってきた。

ちょっと食べるだけでお腹いっぱいになる。
ちょっと飲むだけで眠くなる。
良いか悪いかは別にして、私の身体がそんなサイクルに入ってきたようなのだ。

師走になって少し忙しくなってきたのだが、予約のない日はフリーのお客様を期待できない立地なだけに、メチャクチャ閑な日がある。師走、忘年会のシーズンでも閑な日が出現してしまうのだ。
商店会長でもある私は、そんな時に会員のお店をまわる。たいした金額を使うわけではないのだが、顔を見せることによって商店会の会員だということを思い出させる様にしている。
が、それにしても一回にまわるお店は最大2軒が限度だ。

自分のお店にいて、気の合うお客様と連れ立っていく時もある。
相応の立場の方だったらゴチになったり、割り勘だったりするが、ほとんど私が負担する。
そうやっての梯子酒は、私は嫌いじゃない。
自分の好きなお店に連れて行って、そのお店の自慢をさりげなくする。
連れて行く方のほとんどがお店を気に入ってくれる。

たくさん食べられなくなり、アルコールの量もほどほどになってきた時に、当然の様に行くお店の数も限度が出てくる。
そして年齢的な体力問題もある。
「さあ、もう一軒!」という体力が戻ってこない。

かくしてゴールデン街は近くて遠い町になりかけてきている。
そのゴールデン街に、ほぼ半年ぶりに出かけた。
私が通っていたお店は少なくとも5軒はあった。
1軒は看板の灯が消えている。
1軒は看板すらなくなっていた。
(ありゃありゃ・・・?)
1番街から五番街まであるゴールデン街。
通りを一本間違えたか、と思いき、歩き返すが、やっぱりない。ない。

また一軒、別なお店に行く。
そこで看板の、消えているお店、なくなっているお店の情報を仕入れる。
なくなっているお店は、母の介護で茨城に行ったと。
消えているお店のママは心不全で急逝と聞く。50代半ばの若さで。

いつもの笑顔で迎えてくれるお店が二つも消滅。
脱力感が半端ない。
両方のお店のママたちは、それぞれのお客様を30名ほど集めて歓で忘年会を催してくれた。そんなよしみもあったが、もう戻ってこない思い出に変わった。

コロナ禍は、マスクやソーシャルディスタンス以外にも実にいろいろな遮断を突きつけてくれる。
もうそろそろ終わりにしてくれ、そう切実に思う。
PCR検査やワクチンなどで潤うお医者さん、本来の仕事である、人の健康を診てくださいな。診療報酬が少なくても・・・。

コロナを収束させるために、貴方たちの力は大きい。
笑顔を含めて喜怒哀楽を隠すマスクはもう終わりにしましょうよ。
でないと、知らない間に人が消滅しちゃいますよ。




















公園の使い道

長野市の青木島遊園地が周辺住民の苦情のために廃止。というニュースが流れる。
私が会長を務める商店会も人ごとではない。毎年3月に行うスタンプラリー抽選会の会場に医大通りに隣接する「富久さくら公園」を使う。
ここにもまさしく同じクレームをつける方がいる。
スタンプラリー抽選会は年一回だから、まだいいが、やはり子供の声がうるさいと、公園内にあった遊具が公園内の反対側に移設になった。
それでもまだクレームが来るという。

(へー、どこにでも変人がいるんだ・・・・)

今年3月の抽選会、特等は電動自転車、任天堂SWITCH、Apple Watch、と豪華景品が来客を待っている。
そして、今年は工学院大学の学生たちが子供向けのスライム作りを、ケーブルテレビ局のジェイコムが大きな着ぐるみで歩き回り、会場を盛り立てる。
毎年、新しいグループが少しずつ参加し、年々賑やかになっている。イベントが育ち始めているのだ。

私も公園内のあちこちをまわり、人員が不足しているところへフォローにまわる。商店会長は忙しいのだ。

と・・・、公園の一角に人が集まり、何やらゴチャゴチャしている。
近づくと
「あ、こちらが商店会長です。」
と待ちかねた様に、スタッフが一人の男性に私を紹介する。
「あんたが会長さんかね。子供の声がうるさいんだよ。なんで毎年この公園でやらなきゃいけないんだ。」
噂は聞いていた。この人か。
「あ、うるさかったですか?スミマセンね。」
と、声が届きそうもない子供たちの群れにむかって、口に人差し指を添え
「シーッ!」
「さあ、ちょっと静かにしようね。」
それで、クレームを言った男性に向かって
「これで静かになってくれると良いですね。」

「あんたねぇ、そんなんで静かにならないでしょう。こういうイベントを開催するのはどうなの?」
ちょっと怒り顔。
徹底してすっとぼける。
「そうですね、お天気も良いし、子供たちもうれしいんでしょうね。」
「あんたねぇ・・・:」
途中から様子見に来られた区の職員や区議の方々が遠巻きで様子をうかがっている。
水商売していると、この手のお客様は時々いらっしゃる。
いなしつつ、相手に寄り添うふうをしつつ、解決策をこの男性に尋ねる。
「いろいろ工夫しているんですがねぇ、なには良い手はありませんかねぇ?」

「ま、私ももう少し知恵を絞ってみます。少々お待ちください。」
待って貰うだけで、何かをする気持ちはさらさら無い。
「とにかく静かにさせてくれ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
何のお礼か、言っている私もわからないが、お礼を述べて、男性が去るのを待つ。
文句を言わせたら、怒りは半分程度おさまると私は思っている。こういう相手に出会ったこの男性が不運だったのだ。


私のやり方が良かったとも思わないし、このやり方が通じるとおも思わないが、長野市の青木島遊園地問題、、、、何か方法はないのかな・・・。





師走のランチ

店のガラス戸越しに見えるビルのすき間。
そのすき間から届く日差しが道路を眩しく照らしている。
日向ぼっこをしたくなる陽気に見える、そんなお昼時。

人通りが少ない。
田舎町の長閑な風景に映るが、ここは新宿。
ランチ時は「のどか」では困るのだ。
もうちょっと、もうちょっとだけ都心の喧噪が欲しい。

マスク姿はいっこう減らないが、コロナはだいぶ収束状況にあると思う。
そして今は忘年会シーズンのまっただなか。
なのに、昼も夜も人出は少ない・・・。
ニュースは景況感が戻ってきていると報じている。
どこの世界かと首をひねりたくなる。

師走の喧噪から取り残されて、それでも時間はゆっくりと流れていく。
老い始めた私には、ま、これもいいか・・・