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送別会があった

長らく宴会などなかった緊急事態宣言。
気がつけば歓送迎会シーズンまっただ中の三月。師走の次の繁忙月だ。
なのに今月の送別会は今日の1件のみ。
その送別会も11名で貸し切りにしてくれと。
会社から宴会のすべてに中止命令が出ているためだ。
40名は入る店舗に、パラ・・・パラ・・・パラ・・・と2~3名で席を囲む。
「定年で辞める方もいる。会社は禁止しているが、このまま別れるのは忍びない。」
という申し出だった。
宴会が壊滅状態の毎日。断る理由もなかった。
私に
「でも今日の宴会は他の部署にバレても苦情が出るから、絶対内緒だよ。」
宴席の仲間内の挨拶でも
「今日の送別会はありませんから。間違っても明日会社で”送別会”などと口走っちゃ駄目ですからね。」
と幹事さん。
いろいろと普段とは違う気遣い。こりゃ、たいへんだ。

宴席が終わりに近づき、主客に各人から送辞を送られる。
そして主客のご挨拶。
残ってる方々へ 力強い言葉で会社の行く末を 託していく。
他人の会社ながら羨ましくなる。
この会社、上場会社だから規模も大きい。
私の会社とはとても比較にならないのだが、ついつい自分の会社と比べている。
私には後事を託せる社員がいないのだ。

信頼できるスタッフはいる。
しかし今、歓のスタッフは一番若いものでも55歳だ。
その者とて、このコロナ禍でいつまで雇用できるか、実に不鮮明だ。
薄々気づいているのだが、スタッフの高齢化と比例する様にお客様も高齢化している。見えない閉塞感を感じる。

レジ脇に日めくりの「今日の一言」が飾ってある。
3月24日の一言は
「喜んで貰えることを喜ぶ」
飲食はこの言葉が一番実感できる職業だと私は思っている。
その回数もほぼ毎日だ。
だから私はこの飲食が好きだ。
でも後に続く者を育てられない。
これが悔しい。

送辞や答辞を聞きながら、会社のあり方、飲食のあり方をあらためて思う。
日本中が貧乏であり、職そのものも多くなかった時代に「食いっぱぐれがない」安定した職業だった。若手も多く集まってきていた。

私の勤務時間。朝8時半には来ている。弁当業務があるとき(1週間に3日程度)は6時30分に出社している。
途中休憩があったにしても終わるのは深夜11時というのはざらにある。
仕事に対する拘束時間は実に15時間あまりある。
生産性が悪いのだ。
勤務効率が悪いのだ。

一生懸命働く人たち、せめて私が関わる従業員に関しては出来る売る限りのことをしてやりたいと思う。
しかし一昔前と違って、生産性や効率が悪くなっている。

生産性を高められたら、給与もアップ。勤務時間も縮小。
それを見つけるのが私の仕事。
・・・・・・・
糸口さえ見えない。できるかな?




木くず

21日日曜日。
一日、強い雨にさらされた。
おかげで恒例の夫婦散歩も出来ず一日中家の中で捕らわれた状態に。

月曜日。ちょっと早めにお店に出てきた。
家にいるのに飽きたから。
お店の前にはどこから飛んできたのか、ベニヤ板の木くずが4個、5個と散乱している。あらためて昨日の強風強雨を教えられる。

鹿児島で過ごした少年期。
台風は毎年数個やってきた。それが当たり前だった。
ラジオやテレビから流れてくる台風状況を聞きながら、竹や板材で雨戸を固定させ、家に向かって飛来するものを防いだ。
年に数回の台風のたびに、雨戸を固定するのが当たり前の行事だった。

雨戸の外に吹き付ける風。打ち付ける雨。
合間を縫って雷音が響く。
親の心配をよそに子供心はワクワクし、雨戸に耳をつけて外の様子をうかがっていた。
今朝の木くずを見るにつけ、あの当時に負けないくらい、昨日の風雨の強かったのを知らされる。

場所も時間もまったく違っている。
だから「この程度の雨・・」と思ってしまう。
家も強固になった。道路もアスファルトになり草木が多い茂っている面積は少ない。木製の雨戸もサッシに変わった。風で吹き飛ばされる心配はない。雨戸の隙間から雨が滲んでくる事も考えられない。
「家も環境もあの当時より格段に良くなっている。

全体的には良い事なのだが、失ったものが一つある気がする。
「恐れ」
災禍の一つ一つを克服してきた人の歴史がある。
克服してきたから、これからも克服できると感じる。

東日本大震災。今回のコロナ禍。
明日は何があるか判らないとまざまざと見せつけてくれた。
恐れがなくなると人は慢心に包まれる。
よくよく考えてみれば地球の中心にはマントルがあり、マグマが渦巻いている。
そのマグマが固まった地表で我々生物が生きている。
何一つ安泰なものはないのだ。

「恐れ」が心の中で薄まっていくと、自然に対しての畏敬の念も薄まってくる。
ちり取りで拾い集めながら、
(どこか油断してないか?)
と木くずが自分に問うて来る。



千葉県知事選

面白い人がたくさん立候補している。
どこかの新喜劇を見ている感がある。
久しぶりに所信声明を見た気がする。
もちろん千葉県民ではないから投票権がないにもかかわらず。

加藤候補。
https://www.youtube.com/watch?v=BPSZYBaOfDo
お医者出身にもかかわらず、
(えっ?こんなの放送で流すの?)
終いには小池百合子都知事に公開プロポーズ。
よくやるよ。
百合子の心がぐらつくかも知れない。
でも
供託金300万円だよ。
約16万票取らなければ、没収だよ。
それでも立候補!

顔面を白く塗りたくって立候補声明している候補者もいた。
演説内容を聞いて、後ろの手話通訳のお姉さん、笑ってる。
供託金300万円だよ。
約16万票取らなければ、没収だよ。
それでも立候補!

他にもおもろい事を話している候補がいた。
千葉県はカオスだ。
千葉県が一気に全国区になる。
ここまで来れば、例えば右翼が立候補したり、廃品回収の軽トラアナウンスバージョンが流れたっておかしくない気がする。音量を少し絞ったうえで聞きたいが。


非常事態宣言による協力金

ほぼ毎日通帳記帳のため銀行に通う。
本日振込があった。
振込名は「トジタンキヨウ」とあり、金額は186万円。
おそらく「都・時短・協力金」の略だ。
ネット上での申請は2月22日からはじまり私の申請は2月28日だった。
3月5日時点で都の申請受理率は5%とあった。この数値を見て私の分はおそらく遅れるだろうと覚悟していた。が、案外早かった。助かる。

一日6万円。今回申請分は1月8日~2月7日までの31日分だ。
31日×6万円の186万円。
歓ファンの一ヶ月売上は400万円前後。
営業日数25日で割ると一日平均売上は16万円ある。
だから一日6万円の支給は少ない様に見える。
しかしまったく営業しないとなると、仕入れ代金約3割は不要になる。
◎約120万円。
水道電気の光熱費も大幅に減る。月によって変わるが電気ガス水道合わせて約25万円程度。これが4分の一程度まで減る。
◎約63千円。
コロナ禍でも人件費はほぼ削れない(時間調整して貰って多少減額したが)。
家賃も一度も減額してくれない。
よって上記の160万円が浮き、固定費(人件費+家賃)と諸経費(返済、年金、リース代金)がそのまま維持費となる。
人件費を削るのは効果が高いが、営業が通常に戻ったときに稼働できない。
それに何より社員及びその家族の生活維持は会社の責任だ。

時短要請中もランチだけは営業していたので、上記よりも仕入れ金額や光熱費はかかった。
こうしてみると一日6万円ではまったく不足だ。単純に一日平均16万円売り上げるお店に6万円の補填があっても厳しい。

が、一人か、夫婦でやっているお店は、あるいは一日6万円以下の売上しかないお店は6万円補填で充分にまかなえる。おつりがでる。
こういう非常事態は即効性がものを言う。だから優先順位が速さであり、金額の多寡だ。だからある程度の不公平感は仕方ないと思う。

コロナ発生し、パンデミック状態になって一年以上になる。その間に持続化給付金など様々な手当が行われた。当初の一回、二回はやむを得ないとしても、一年以上経った現在でも不公平感が残る施策は・・・・・。

もう少し知恵の絞りようが合ったと思う。
こういう施策に対して火事場泥棒の様な悪用する人たちは必ず出てくる。
そういう悪用させないために作られたガイドラインも複雑怪奇。

給付金、協力金、支援金、助成金、補助金、名前が違うもの。
厚労省、総務省、都、区、それぞれの自治体や団体が配るもの。
融資種類も似た様な名称でいろいろな資金が出ている。
個人で受けるもの、会社で受けるもの、商店会や町会など自治会で受けるもの。

それらを組み合わせると多種多様でとてもじゃないが覚えきれない。
壁には、資金の種類、金額、募集開始時期、募集締め切り日、申請書発送日時、申請受理決定日時、送金受理日などの項目を書き入れ、チェックシートにして貼ってある。
そうしても頭の中は整理がつかず、混同する場合が多々ある。

時短協力金が振り込まれて少しホッとした。
が、素直に喜べない自分がどこかにある。
正規に儲けたお金じゃないから、ギャンブルで得た不労所得に似た金銭だから。

私の中のお金の価値が変わった。
通常に戻ったときに私の金銭感覚も元に戻るだろうか?



プチ断食

一週間に一回か2回程度プチ断食をしている。
16時間以上というプチ断食だ。
睡眠時間を8時間だとすると、この8時間を含めて16時間のプチ断食。
例えば私の場合。だいたい夜寝るのが12時ころで目覚めは朝6時半ころになる。
呑みに行かない限り(呑みに行くと平気で深夜2時頃まで飲み食いする)、夜食は夕方6時頃。多少お腹がすくので夜10時頃に一寸食べる。
10時食べてから睡眠時間を利用して翌日3時頃まで食べないでいるとプチである16時間断食が完遂できる。

ダイエットのためではない。このところ私の血糖値が高止まりしているためだ。
本気で血糖値下げようと思っている。
でも糖尿病の方。特に血糖値下げる薬を飲んでいる方、少し注意してください。
プチダイエット中に薬飲んじゃ駄目です。
身体の状態関係なく、薬は血糖値を下げます。低血糖に陥ります。
心拍数が上がり(ドキドキして)、フラつきます。危険です。
常用する血糖値の薬があれば、夕方食後に服薬してください。

--★参考記事★-------------------

16時間はなにも食べるな」最新医学が勧めるプチ断食の3大効能

食べすぎを防ぎ、健康を保つにはどうすればいいのか。『「空腹」こそ最強のクスリ』(アスコム)を出した生活習慣病の専門医、青木厚氏は「空腹は体重や体脂肪は減少させ、糖尿病、がん、心筋梗塞や狭心症などの予防にも効果がある。16時間は何も食べないほうがいい」という――

アメリカの最新研究が証明、「空腹」こそ長寿と健康のカギだった

食べすぎを防ぎ、健康や若さを維持する、シンプルな方法。それは、「ものを食べない時間(空腹の時間)を作ること」です。「プチ断食」といってもいいかもしれません。

近年、アメリカの医学界では、空腹(断食)と健康に関する研究がさかんに進められ、その結果、断食が体重や体脂肪の減少につながること、そして、糖尿病、悪性腫瘍(がん)、心血管疾患(心筋梗塞や狭心症など)、神経変性疾患(アルツハイマー型認知症やパーキンソン病など)などの予防に効果があることが分かってきました。

プチ断食をすると、どのような効果が得られるのか、体に何が起こっているのかをみていきましょう。実は、断食実行中、体の中では3つの奇跡が起きているのです。

医学的理由内臓の働きを復活させ、活性酸素の害から体を守る

一日3食とったり、食べすぎたりすると、前に食べたものを消化している間に次の食べ物が体内に入ってきます。内臓は休むことなく働き続けなければなりません。当然、内蔵は疲弊してしまいます。

疲れた胃や腸、肝臓などは働きが鈍くなります。すると、栄養をしっかり吸収できなくなり、老廃物もきちんと排出されなくなります。腸内環境も悪化するため、免疫力が低下し、体調不良になったり、病気にかかりやすくなったりすることもあります。

プチ断食を行い、まとまった「空腹の時間」を作ると、まず、内臓の働きがよくなります。休憩をとった内臓は、疲れがリセットされて、しっかり働いてくれるようになり、下痢や便秘、アレルギーや体調不良なども改善されるはずです。週に1日でも、まとまった「空腹の時間」を作れば、内臓は十分に休むことができます。

さらに、プチ断食によって一時的に栄養が足りなくなると、活性酸素を除去する酵素が増え、活性酸素の量が減るともいわれています。つまり、活性酸素がもたらす細胞の老化や病気を、予防することができるのです。

医学的理由脂肪の分解、血流の改善で、生活習慣病をまとめて遠ざける

私たちが食事で摂った糖質は、腸管で消化・吸収されます。それから血液に乗って肝臓へ、さらに全身へ運ばれて、脳や筋肉、内臓などが働く際のエネルギー源として使われます。余った糖質の一部はグリコーゲンとして筋肉や肝臓に蓄えられ、そこでおさまり切らなかった分は脂肪となって、脂肪細胞に蓄えられます。

「空腹の時間」のあいだ、体は、外部から糖質を補給できません。そこで、まず肝臓に蓄えられたグリコーゲンを利用して、エネルギーを作ります。

そして、「空腹の時間」が10時間ほど続くと、肝臓に蓄えられたグリコーゲンが尽き、体は脂肪を分解して、エネルギー源に変えようとします。つまり、空腹の時間が長くなればなるほど、体内の余計な脂肪が分解され、減っていくのです。特に内臓脂肪は、皮下脂肪に比べて落ちやすいという特徴があります。

脂肪が分解されると、血液中の脂質が減り、圧迫されていた血管が解放されます。「空腹の時間」が12~24時間になると、血液中の糖質も20%程度減るとも言われています。

プチ断食で「空腹の時間」を作り、内蔵を休ませてあげると、血液や血管の状態が改善されて血流が良くなります。高血圧や血行不良にともなう体調不良も軽減されるはずですし、がん、糖尿病、動脈硬化、心疾患、脳血管疾患といった生活習慣病のリスクを、かなり減らすことができるのです。

プチ断食が体にもたらす最大のメリット

医学的理由オートファジーで、若々しく健康な体を手に入れる

プチ断食が体にもたらす最大のメリットは、なんといっても「オートファジー」の仕組みを発動させることにあります。

オートファジーとは、細胞内の古くなったタンパク質が除去され、新しいものに作り変えられるという仕組みです。「空腹の時間」が続くと、体は生存するために、なんとか「体内にあるもの」でタンパク質を作り出そうとします。

このとき、細胞が内側から生まれ変わります。そのため、オートファジーには、がんや糖尿病をはじめとする生活習慣病、アルツハイマー型認知症、感染症などの予防効果や、肌や筋肉などの老化防止の効果があると考えられています。

また、細胞の中には、ミトコンドリアという小器官が、数多く(細胞全体の10~20%程度)存在しています。ミトコンドリアは酸素呼吸を行っており、食べものから取り出した栄養と、呼吸によって得た酸素を使って、ATPという細胞の活動に必要なエネルギーを作り出します。ATPは「生体のエネルギー通貨」と呼ばれています。

新しく元気なミトコンドリアが細胞内にたくさんあればあるほど、たくさんのエネルギーを得られ、人は若々しく、健康でいられるわけですが、オートファジーによって、このミトコンドリアも新たに生まれ変わります。

古くなったミトコンドリアは、大量の活性酸素を発生させるのですが、オートファジーによって細胞が新しく生まれ変わることで、活性酸素の量が減り、体へのダメージを軽減できます。

オートファジーがもたらしてくれる恩恵は計り知れません。細胞が生まれ変われば、体にとって不要なものや老廃物が一掃され、細胞や組織、器官の機能が活性化し、病気になりにくく若々しい体になるのです。

2016年には、東京工業大学の大隅良典栄誉教授が、オートファジーの研究でノーベル生理学・医学賞を受賞しています。オートファジーは今、世界中の注目を集めているといえるでしょう。

オートファジーのスイッチが入るまで「16時間」

ただし、オートファジーには、ある特徴があります。食べものによって得られた栄養が十分にある状態では、オートファジーはあまり働かないのです。

そもそも、オートファジーは、体や細胞が強いストレスを受けた際にも生き残れるよう、体内に組み込まれたシステムです。したがって、細胞が飢餓状態になったときや低酸素状態になったときにこそ、働きが活発化します。

具体的には、最後にものを食べてから16時間ほど経過しなければ、オートファジーは活発化しません。つまり、16時間の「空腹の時間」を作らないかぎり、オートファジーによって細胞を生まれ変わらせることはできないのです。

「プチ断食」のハードルは、それほど高くはない

とはいえ、「断食」という言葉を見て、「なんだかしんどそう」と思ったり、拒否感を覚えたりする人もいらっしゃるかもしれません。
けれども、たとえば、仕事や家事、育児などがあまりにも忙しくて、食事どころではなく、ほぼ丸一日、何も食べずに過ごしたといった経験はありませんか。あるいは、何時間も食べるのを忘れてしまうぐらい趣味などにのめりこんだり、休日ずっと布団の中でうとうとしているうちに、気がつくと前日の夕食から何も食べていなかったり。
私からすれば、これらも立派な「プチ断食」です。ひたすら、ひもじさをガマンするような過酷なことをする必要はありません。
できるだけ無理なく「ものを食べない時間」を作り、
・胃腸や肝臓などを休ませてあげること
・脂肪を燃焼させ、減らすこと
・血液の状態を改善させること
が大切です。

睡眠時間8時間+プチ断食8時間がベスト

では、具体的にはどのくらい「空腹の時間」を作ればよいのでしょうか。
私はこれまで、医師のひとりとして、「断食」に関するさまざまな論文を読み、また血糖値のコントロールに苦しむ糖尿病の患者さんたちの治療にあたってきました。さらに、自分自身でも「プチ断食」を実践し、効果を注意深く観察して、どうすれば「空腹」の効果を最大限に享受できるかを考えてきました。

その結果、たどりついたのが「16時間のプチ断食」です。
「長い」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、睡眠時間とうまく組み合わせることで、無理なく実行していただけるはずです。たとえば、「一日8時間眠っている」という方であれば、睡眠の前後合わせて8時間、食べずに過ごせば、16時間のプチ断食を達成することができます。

大事なルールはただひとつ

いかがでしょう。なんとか実行できそうな気がしませんか。もちろん、まずは週末だけチャレンジするなど、できる範囲で始めていただいてかまいません。たとえ週に一度でも、「空腹の時間」を作れば、「内臓を休める」「脂肪を減らす」「血液の状態を改善する」といった効果に加え、オートファジーによる細胞の生まれ変わり効果を享受することができるのです。

大事なルールはただひとつ。睡眠時間を含めて16時間、何も食べない時間を作ること、それだけです。残りの時間は何を食べてもかまいません。さらに『「空腹」こそ最強のクスリ』には、断食中の過ごし方のコツや、プチ断食を組み入れた生活スタイルの作り方など、みなさんが上手に「空腹の時間」を作ることができるように、いろいろなヒントを載せています。ご興味があるようでしたら、ぜひご覧ください。
「空腹の時間」は、一日3食の習慣や食べすぎが体に与えていたダメージをリセットし、体を内側から蘇らせてくれます。ぜひ明日から、あるいは週末から、プチ断食を始めてみてください。空腹こそが最強のクスリなのです。

貧乏な日本人は死んでいく。

『レコードチャイナ』とか『サーチナ』などの日本人語表示の中国サイトをよく閲覧していた。
今でも時々目を通しているのだが、最近はどうにも日本向け「太鼓持ち」記事が過ぎるようで、眉につばを塗りながら見ている。

簡単にいうと「日本はすごいぞ」「日本は楽しいぞ」「日本はたいしたものだ」
というテーマがサイトの背景に流れてるのだ。
読んでいても楽しくなる。
・民度が高い
・ゴミが落ちてない
・秩序がある
・順番は守る
・品質が高い
などなど具体的な例を挙げてコメントが上がってきている。
批判記事は著しく少ない。
意識的に批判記事を少なくしている気がする。あるいはポジティブな記事だけをアップしている。
読んでいて楽しいし、嬉しい。だけど眉唾なのだ。

日本は間違いなく貧乏になっていると感じる。
コロナ前のインバウンド人気は総じて物価が安いからだ。
前述の日本の良いところを体験したくて来る人もいるだろうが、物価が安くなったせいだと私は思う。

物価が安いというのは、安くしないと売れないからだ。
日本人の購買力が落ちている。
若い頃は、お父ちゃんの稼ぎで一家が養えた。今は共稼ぎでも余裕がない(ところが多い)。
会社が副業を認めだしたし、政府も推奨するようになった。
税収が追いついていかないせいだと思う。
税収というのは公務員や議員の給与(生活費)でもある。
政府が、直接の社員でもある公務員の生活を豊かにするために税収を増やすしかない。
消費税増税など国民の大きな苦情がきた。増税が難しいから所得を増やす方法を編み出し、結果的に税収を増やすという二段階構えをしている。
年金拠出金不足も手伝っているのだろうと推察している。
国民の収入が増えれば必ず税収も増えるのに、国民が貧乏なまま税収を先にやろうとするから、悲鳴が上がる。

ラーメン1杯800円程度が、アメリカでは売値2000円だと聞いた。
今の日本で、ランチ価格を数十円上げるのだってかなりの決断が要る。
数百円の値上げとなると、会社は自分の首を絞めかねない。

一方株価は上がっている。
株を持てる人買える人と、持てない人買えない人の格差は広がる。
要は金の流れが庶民に回ってこないのだ。上流で水を堰き止められ(堰き止める意思はないのだろうが)、下流は流れてこない水で右往左往している状況だ。
格差が広がっている。

世界中で蔓延しているコロナ禍。各国で大なり小なりの苦労が窺える。
コロナウイルスそのものもたいへんなんだろうが、仕事を奪われた人たちが「貧乏」という奈落に落とされる。元々金銭的な余裕のない人たちが奈落に落とされると、自らを落とす。自殺だ。
経済的に立ちゆかなくなり命を落とす人は、コロナウイルスのそれよりもはるかに多い。
私がいまだにコロナウイルスを疑問に感じているのはこの点なのだ。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」的な、ホントはコロナってそんなにたいへんなウイルスなの?
例年だとインフルエンザの方が罹患率も死者数もコロナを上回っているのに。
コロナでなくなった方たち、その年齢を教えて欲しい。
コロナでなくとも寿命だった方たちもたくさんいらっしゃるのではないの。
人が勝手に大きくして、そして関係なく命を落としていく。どこかがおかしい。

そしてコロナに感染しなくとも仕事を奪われて貧乏になる。
貧乏は、最後の選択肢も少なくしていく。

3月11日

東日本大震災の10年目が来た。
テレビも新聞も10年前の記憶を呼び起こしていた。
大きく揺れる画面。その後に襲ってきた津波。
今見ても、スペクタル映画を見ているようだ。

正直、もう10年も経ったのかと思う。
私にとっても記憶に残る10年前だった。
新橋に日本初糖質制限中華という初ジャンルの店舗「梅花メイフア」をオープンさせた年だった。

新橋から後楽園に場所を移して、昨年後楽園店を閉鎖するまで九年間踏ん張ったお店だった。糖質制限そのものは私のライフワークだと思っているから一生続けるつもりだ。しかし去年の1月で一区切りついた、と思う。

3月11日。
ものすごい揺れが始まり、10分程度のかなり長い時間揺れが続いた。
新橋店の計画は進んでいたものの、二店舗体制に移るために新しい女性店長を雇っい間もなくのころだった。
壁面のくぼんだ棚に置いてあった香炉が落下、木っ端微塵に砕けた。貰い物だったが、中国の古い陶磁器。50万円はした代物だ。

まだ小さい揺れが小刻みに続いていたそこへ、いきなり若い男が飛び込んできた。
入り口近くにいた妻を押しのけ、奥のカウンター側にいた女店長に駆け寄り
「大丈夫だった!」
女店長、驚くも表情は緩んでいる。
私も妻も驚きを通り越して、
やるー!こりゃ彼女、ほだされるぞ!
後に結婚した。(数年後に破綻するオマケがついたが・・)

新橋店は物珍しさも手伝い、テレビ、新聞、雑誌等、週一度はどこかのメディアに取り上げらるという人気ぶりだった。しかし盛況なのは糖質制限を指示するメンバーが集まってきたときだけ。一般客がまったくついてこない。
運転資金は準備したつもりだったが、毎月50~100万円近くの金が出て行く。
瞬く間に資金が底をつく。
(えっ?えっ?こんなはずじゃないけど・・・)

私が離れる事によって新宿店の売上も下がってきた。
ダブルで厳しさが募る。
身体が二つ欲しかった。
今考えてみると、身体は二つあったのだ。私と新宿店に残した女店長と。
使いこなせない私だったのだ。
今でこそ敗因が解明しており、今同じ事をやっても失敗はしないと思えるが、資金繰りに窮し、そこまでの考えは、当時は至らなかった。

3月11日。
私にとっても、大きく大きく揺れた年だった。




緊急事態宣言延長

正直疲れた。
仕事を休む事が疲れた。
社員に伝えて本日から夜営業をやります。
もちろん8時閉店だが。

店舗を全休すると社員の給与や光熱費を考えると経費面では楽だ。
もちろん家賃はかかるが、働いた分の給料をナシだと仮定すると一日6万円の協力金で事足りる。
しかし社員の生活を考えると、それはあり得ない。
で、緊急事態宣言中は 給与はそのままにランチだけ営業をしていたのだが、それでも光熱費は浮くし、ランチのみの食材仕入れですることを考えると、ランチ営業だけの方が赤字幅は小さい。

だけど疲れた。
仕事をしない事に疲れた。
それは私だけでなく、社員も同じ気持ちだった。
これ以上休むと、通常営業に戻ったとき、身体もモチベーションも戻ってこない様な気がした。

本日8日から夜8時まで営業します。
コロナは収まってないけど、それ以上に心が病みそうです。
昨日の都内の感染者が279人。
減っている。穏やかだが減っている。
いまだにコロナとインフルエンザの脅威の差が私にはわかってないし、コロナ禍が減退するのかも知れないが、コロナ要因の金欠病は間違いなく進行している。

だから次のステージに向けて戦闘態勢に入る。
コロナ禍のステージではなく、経営面での次のステージへ。

中華料理の思い出「新橋亭」編

高校を卒業して2年後に中華料理店の門をくぐる。
大学進学を目指して二浪後のことだった。
進学を諦め、さてどうしようかと考えあぐねていた頃のこと。
悩むという感覚ではなく、楽観的な性格は将来の不安は微塵も持ち合わせてなかった。というとカッコイイセリフに聞こえるが、計画性が全くなかったのだ。

鹿児島の実家が日本そば屋を営んでおり、父が
「これから中華の世界になると思う。」
この一言で進路が決まった。父の知人が防衛省におり、その防衛省で当時使っていた中華料理店が新橋の「新橋亭」だった。

当時の新橋亭は元気いっぱいの新興会社だった。
元は台湾系華僑が出店したお店で、新橋だけでも本店、別館、夜来香(イエライシャン)、新地下店と4店舗あったはずだ。
私が勤務したのは本店。1階~5階まであり、その屋上に住み込みで働いた。
厨房従事者(調理人)は12名ほど。若い人が多く厨房も活気を要していた。

この厨房で働くようになって最初に感激したことがあった。
前菜だけの冷蔵室があった。切って盛り付けるだけの調理済み料理が2坪ほどの部屋にぎっしり並べてある。
チャーシュー、蒸し鶏、クラゲ、煮卵、ロースハム、海老、イカ、巻き物・・。

初めてこの部屋に入ったときには、フーッと息を呑んだ。
子供がお菓子の家に入ったときはこんな感じだったんだろうと思えるくらい感動した。
自分のものでもないのに、この部屋にあるもの、食べようと思えば全部食べられる・・。という感動だ。
私は小学校時分に大人用飯茶碗で9杯の記録を持つくらいよく食べていた。
日本中がまだまだ貧乏だった余韻が残っていた時代だったから、食べられることが羨望だったし、この職業を選んだ大きな動機だった。欠食児童だったのだ。

この時の新橋亭の会長夫人が鹿児島出身、実家が鹿児島市内の中華料理店「美華園」と聞いた。だから厨房勤務者の内、南日本調理師学校(鹿児島)出身が3人いた。ほとんどが中卒だった。
私は20歳入社なので、先輩が年下だった。
その年下から、包丁で切りものをすると
「無理だよ。早すぎるよ。」
これがしゃくに障った。でも実際の技量はついていかない。
悔しくて悔しくて、住み込みだった5階の部屋から夜中起きて、切りものにいそしんだ。しかし技量がついていかないために翌日、
「誰だぁ!こんな不均等な切り方をしたのは!」
と、時の調理長にメッチャ怒られた。

実家にいる自分でも料理の手伝いなどしたことなかった私だ。
切りものはもちろんのこと、料理用語だって知らないことがたくさんあった。
調理長から棚の上の方にある「セイロ」を撮ってくれと頼まれ、椅子の上に載って棚の上を見た。しかし「セイロ」がわからなかった。
棚の上を私の手が右往左往する。それを見て関西出身の調理長が
「アカン!アカン!」
と連呼。それを聞いた私
「アカンってどれですか?」
あとで
「お前、良い根性してるよ。チーフに向かってあんな口たたけたのお前だけだ。」
と褒められた(?)。

厨房の先輩諸氏が事務のお姉さんや仲居さんのお尻を着物ごしにサラッと触る。
「やだーぁ」
触られた方が黄色い声を上げる。
(あ・・この女の人たち触っても怒らないんだ。)
私も真似をして触った。たちまち
「お前が触るの10年早い!」
世の中がまだまだおおらかで、私も血気盛んな時代だった。

島耕作

昨日、木曜日発売の講談社「週刊モーニング」
そこに掲載されている弘兼憲史の漫画。
課長島耕作から続く長編連載の「島耕作シリーズ」だ。部長、社長、会長を経て、現在の肩書きは「相談役」になっている。
なかなか面白い。
その島耕作がコロナに感染した。
味覚がなくなり、PCR検査を受け、隔離生活が始まるまでの経過が漫画となって今週号に掲載されている。
なるほどね、感染したらこういうふうになるのか、と漫画ながらけっこう参考になる。

人間の五感の一つと言われる「味覚」
料理を提供する私のなかで一番必要とされるのがこの味覚。
私のアイデンティティーでもある
前勤務先を辞め、今の歓ファンをオープンさせるまでにほぼ3年ほどのブランクがあった。
前勤務先の経営者が変わり、当時私が心酔していた上司と一緒に退社したためだった。退社後は独立自立を目指した。が、資金はゼロ。そして年齢49歳。

安定した収入がたたれ、不定期なアルバイトに明け暮れた期間だ。
収入は三分の一ほどに減った。
息子が三人いて、当時中学、高校生とこれからお金がかかる、我が家の歴史の中でもたいへんな時期だった。

ワガママだった私、こういう時期でも妻に宣言した。
「1ヶ月に一回は美味いもん食べに行く。1万円使う。覚悟して置いてくれ。」
目を大きく開けて
「・・・・!」
声が出ないくらいビックリした。
「美味いもん食べに行く。」
「美味いもんが分からなくなったら、俺が俺でなくる!」

家族4人は茨城県石岡市にいて、私は東京で勤務という単身赴任生活が18年に及んでいた。妻の苦労もわかっているつもりだったが、新店舗出店という目標達成のために、私の中で譲れない「一線」だった。
そうして自分を追い詰め、目標に突き進む「何か」が必要だった。
今思い出しても、(よくやった!)と思う。

そこまでして大切に守ったのが、自分の味覚だった。
コロナ禍の密集密接の代名詞として「飲食店」が毎日のようにやり玉にあがる。
やるせない。やりようもない。
コロナは私から元気をどんどん奪い取る。
これで私の最低限のアイデンティティーである味覚がなくなったら・・・。
考えたくもない。

たぶんこのままコロナは終息に向かうと思う。
さあ、次の戦い・・私の年齢だとたぶん最後の戦いが待つ。
そのためにも「美味いもん」食べに行くぞ。
あ、忘れてた。緊急事態宣言でほとんどのお店、8時で閉店だ・・・。