古稀と高齢者講習

誕生日はまだ1ヶ月以上さきなのだが、区からお祝い金が届いた。
古来稀なりが語源の古稀。
100歳時代が来ようという今じゃ、ぜんぜん「稀」じゃなくなったし、実感的にあまり嬉しくもない。
お祝い金の金額は5000円。ま、ほどほどの(嬉しい)金額だ。
全国的にみると、70歳でいただけるお祝い金というのは珍しいのではないかと思う。たぶん新宿区はお金を持っているからだと邪推している。貰っている立場から言うと罰が当たりそう。ありがたくいただくことにしよう。

またコロナにかかったようだ。
症状はもう治まった。
先週の木曜日あたりから痰が絡まりはじめ、徐々に喉に痛みが伴ってきた。
コロナとも思わなかったし、熱も出なかった。ただただ喉が痛かった。
喉の痛みがピークだった金曜日は予約宴会が終わった夜8時で閉店。次の日のランチはお休み。夜は予約が1件。いらっしゃれば普通に営業するつもりだったが、予約以外のお客様はゼロ。予約が終わったのは夜9時前。そのまま営業終了。
もうこの頃はだいぶ喉の痛みもなくなってきていた。

翌火曜日に月一の定期検診があるために病院に行った。そこで喉の痛みの症状を聞いた。
「コロナっぽいですね。」
という返事だったが、コロナに対する手当はなかった。もうその程度らしい。

古稀という年齢になり、気持ちはまだ50歳代なのだが、身体は間違いなく古稀だ。そして来月10月1日には運転免許の高齢者講習を受けに行く。今度の誕生日が免許更新にあたるため、更新半年前に受けなければならない講習らしい。
電話した。更新に必要なものを聞いた。
免許証、高齢者講習の申請書、黒ボールペン、そして動きやすい靴・・と言われた。
「えっ?靴ですか?」
「運転して貰います。」と当たり前のように電話口で言われた。
そこではじめて実施運転があるんだと気がついた。講習という名前がついているために講習だけで終わるもんだと勝手に思っていた。

バイクは毎日運転してるし、車だってほぼ1か月に1回は運転している。たぶん大丈夫だろうが、ちょっとドキドキしてきた。
身体動かすのはけっこう好きなので、ほぼ日曜日ごとに10km程度のウォーキングしている。その歩いている時に平坦な道で時々躓く。自分で考えている以上に足が上がってない時があるのだ。
それを思いだし、講習の時に、なにがしかの身体能力の劣化が出ること想像して、つい(嫌だなぁ・・)と感じる。

古稀、70歳。
お祝い金と高齢者講習も稀なり(今までなかった)。








月末

久しぶりに忙しい月末になった。
予約もそこそこあったが、気がつけば満席。
初っぱなのお客様が開店時間の17時。次が18時、18時30分に二組。
円卓を埋めてくれた9名様以外は人数こそ少なかったのだが、時間を分散して満遍なく来てくれた。
厨房に立ち、追われてはいたのだが、料理が遅れることは無かった。
ホールから紹興酒のカメを開けてくれと頼まれ、今日は2カメを開けた。
紹興酒を含め醸造酒は、私の酔いの回るのが早い。
30分、間を開けずにカメ開けする。例によって最初の一杯を私が試飲する。
今日は、その紹興酒の酔いがきつかった。
カメ開けした後、すぐに厨房に戻り、宴会料理、アラカルト料理を仕込み、作る。
作ること自体はどうってことないのだが、その注文が10個以上重なると、頭のなかはフル回転になる。
宴席料理の進み具合、揚げ物の揚がる時間、煮物の仕上がる時間、それぞれ単品の材料を5台ある冷蔵庫、冷凍庫に取りに行く。一番離れている冷蔵庫まで10歩もないのだが、何度も往復するこの時間が惜しい。
全てのオーダーの、材料を頭にたたき込み、なるべく一度で終えるよう走る。

やがて全てのオーダーを出し終える。すぐに片付けと材料の残を確認する。まだ閉店で無い。次の注文に備えなければならない。

おかげで紹興酒の酔いがだいぶ冷めてきた。お客様からただいたハイボールは手つかずで残り、中の氷は溶けている。
それでもこの忙しさは、久しぶりの忙しさは、嬉しい!メチャ嬉しい!







好奇心と読書

昔はネット関係は苦手じゃ無かったんだけど。いつのころからだろう、新しいものに食いつかなくなってきた。
ゲームも新作が出るたびに一通りは熱中した。
インベーダー、マリオ、ドラクエ、ゼビウス、鉄拳、ストリートファイター、ギャラクシー、・・・・。
タイトルを見て貰えると分かるとおり一昔のゲームばかりだ。私が30~50代の時代だ。この時代を振り返ると、よくゲームする時間があったなぁ、と思う。
仕事、家庭、ほぼ毎日飲み屋に通い飲んだ。飲む打つ買うと三拍子そろっていた。
でもでもでも仕事は充実していた。どんなに遊んでもあの時の私はエネルギーがつきなかった。
元気だったのだ。
元気だったから好奇心も旺盛だった。
ゲームに限らず、寸暇を惜しんで”遊んだ”。興味のそそるものは分野を問わず没頭した。

パソコンを初めて触ったのは30台半ばだったと思う。NECのPC98が全盛期の時だった。そのパソコンを習熟するために1年間飲食の仕事を離れてパソコンスクールに通った。
今ではすっかり忘れてしまったが、コンピューター言語のベーシック、コボルでの及第点はとった。
好奇心も旺盛だったが、あの当時の新しいものに対しての私の理解度もそこそこあったと思う。
新しいものに出会えるのが楽しかった。私の興味は次々と新しいものに移る。
でも、いつも飲食の仕事は私の原点にあった。
美味しいものは好きだったが、ある時から仕事の内容が”作る”から”見せる”に変わっていった。見せると言うより「楽しませる」に重点が移ってきた。
楽しませるには相手の楽しみを知る必要があった。当時の相手は常に「お客様」だった。

お客様を楽しませるためにパソコンはあった。
今でこそ当たり前になった宴席メニューをパソコンで作った。フォトショップなどの画像処理ソフトの扱い方も覚えた。
宴会途中でお客様のポートレートを撮った。画像でコラージュを作った。宴席の終わる頃にはお客様全員の画像とメインのお客様を中心に添えたコラージュが出来上がっていた。
喜んでくれるお客様の顔が、私の何よりの喜びだった。
たぶん私が一番輝いていた頃ではなかったかと思う。
雇われ店長であり、今と比べると責任はさほど重くなかった。
何でも伸び伸びとやれた。
”成長”を肌で感じていた頃でもあった。

あれから30数年経った。
私自身で一番変わったと思うのは、読書の量が減ったことだ。
目にも原因がある。網膜剥離の手術をしてから近くのものを見るのが疲れる。
眼医者にも行った。めがねも何種類か変えた。
裸眼でも眼鏡でも読めた文字が今は読みづらい。
新聞もタイトルだけで読み流す紙面が増えた。
それは好奇心を支えていた根気が少なくなったことでもあった。

長編の小説どころか2時間、3時間の映画すら億劫になる時がある。
原因は、目をはじめ身体の各部位の老化が原因だと思う。

まだ今の私には仕事があるから、ある程度の体力と考察力を維持できるが、仕事が無くなったら、もしかして痴呆、認知症の世界にまっしぐらに進むのかもと危惧する。
体力と考察力を支えるもの、好奇心と読書・・・。

あまり面白くない落ちになっちゃったな。




花器

商店会のメンバーの一人が引っ越した。
今日はその引越日だった。
新しい会社の所在地は西新宿。
住友ビルセントラルパーク・ラ・トゥール新宿。
新宿中央公園の方南通りをはさんだ真向かいにある。
鏡張りの壁面が、真夏日の痛くなるような日差しを反射させて眩しい。
エントランスには受付が数名。言わずもがな高級感が漂う。
(後で聞いた話し。家賃は50坪115万円/月。後楽園に出店していた当時の家賃と同じだ。私の場合は店(テナント)が家賃を生み出していたが、彼の場合は場所自体はお金を産まない。)

会社はその6階にあった。
開業は明後日の月曜日。社内は引越の真っ最中。
大小の段ボール。机、イス、・・・・。
目を和ませてくれるはずの観葉植物が部屋の片隅で、置き場所が決まってない事務用のファクスやプリンターと肩寄せ合うようにしている。

熱い。
聞けば手違いでまだエアコンが通じてないそうな。
熱気ムンムンの部屋で新オフィスの配置を手分けしてかたづけている。
半袖シャツや腕まくりが黙々と働く。

部屋の熱気とは違う、彼らの熱気を感じてしまう。
みな若いのだ。30歳代~40歳代。社長だってまだ43歳。
熱気といっしょに勢いを感じてしまう。
おそらくこの会社は伸びる。間違いなく伸びる。
これだけ人が集まる会社がそうない。

新橋のお店を出していた頃。たぶんあの頃が私に一番人が集まってきていたような気がする。私にも人が集まる勢いがあった。勢いに乗って走る体力も元気も私にあった。
その頃を思い出す。

今日は引越祝い、新スタートとしてのお祝いを持って行った。
引っ越しした社長との共通の知人でもあり、昔は大きな会社の経営者であり、飲み仲間である彼女が所有し、今は私の手元にある大きな花器を彼の引越祝いとした。応接室に置けばかなり映える代物だ。おそらく数百万の価値はある。彼女は大きな花の中でもカサブランカがこの花器に一番映えると言う。

喜んでくれた。
同時にこの花器が繁栄の印しとして私から彼の元へ。あるべくして主を見つけていく。
花器にとっても良かった。






いろいろとやれること

ホール中心で仕事をしていた頃は、例えば芸人を呼んで落語だったり漫才だったりマジックだったりとやっていた。そういう友達もいた。
厨房に入り、それが出来なくなった。
「今度は何をやるの?」
と今でもお客様から聞かれるが、言下に
「無理です。」
とにべもない返事をする。
芸人さんを手配し、そのための案内状を作り、顧客に発送する。相手によっては電話やメールで懇願して来て貰う。企画、実行、集客、そして当日の紹興酒カメ開けを含めたイベント進行・・・。これに料理を考え仕入れ仕込み・・・どう考えても無理すぎる。

厨房に入り、お客様と接する機会が断然減った。
お客様の顔を見ることが出来ない。
楽しいことがあったのか、疲れているのか、話したくてきたのか・・・。
何も分からない。
今一番悔しいのは人と接する機会が少なくなったことだ。

でもね、今はね、ちょっと辛抱するときなんだろうね。
そう思っているんだけど、そう思い込もうとしているんだけど。
やっぱり時にはお客様といろいろ話し込みたい。

もしかしてお客様もそう思っているのかも知れない。
私と話したいと・・・。
でも、何回かお店にいても厨房の奥から出てこなければ、お客様も離れるよね。
・・・・・

今日は立秋。
物思いにふける秋が始まった。
メランコリーな秋が始まった。







整理整頓

猛暑も手伝っているのだろうが、お店がヒマだ。ヒマでも一通りの仕事はある。
ヒマだから余計な仕事は増えているのかも知れない。特にこの暑さ、食材管理は非常に気を遣う。
ほとんど毎日冷蔵庫を整理する。冷蔵庫の中の調理済みの材料、切り込みが終わった材料、洗った材料、それぞれの食材によって、それぞれ置く位置も変わる。
例えば、豚肉だけでも、生肉の状態、冷凍した状態、細切りやスライスした状態、それに下味をつけた状態、麻婆豆腐の肉などはスープを入れ豆腐を入れ多少の味の調整をする、ほぼ完成状態、焼き豚のように切って並べるだけの状態、といろいろとある。これが鶏肉や牛肉、海老、いかなどそれぞれに上記の状態にあり、置く位置や入れ物などで区別できるようにしている。そしてこれに野菜が加わる。野菜は傷みが早い。しなびたり、色が変わったりする。管理温度も肉などに比べて少し高い。デリケートなのだ。

正直言って一人で管理するのはかなり厳しい。
言い分けじゃないが、年を取ってくると記憶が曖昧になってくる。忘れるのだ。
あれ、あの食材、まだ残ってたはずだけど・・・
あれ?これ、いつ切ったやさいだっけ・・・
このパターンは加齢とともに多くなってくる。
整理する時に日付やグラム数などを併記してバットやボールにつけておくようにしている。若い時にはまずやってなかったルーティンだ。それほど記憶力は弱くなった。
だから余計若い時より整理整頓の意味が重みを増す。
本来2オペ、繁忙期は洗い場も入れて3オペを想定した厨房だ。
冷凍庫、冷蔵庫は全部で5台ある。全て業務用の大きなものだ。
これだけあると、時に冷蔵庫や冷凍庫の奥底にいつ仕込んだのか思い出せないものを発見する時がある。
食材の鮮度をみて、場合によっては捨てる。料理を提供する立場としてこれが一番悔しい。管理できてない自分の無能さを確認させられる。

ヒマさは、いろいろと考えさせてくれる。良い意味でも悪い意味でも・・・。



















食材の値上がり

飲食店の原価率はだいたい三割といわれる。
効率の良いラーメン店などで20~25%程度。
歓の原価率は、調理長を雇っていた時には35%程度だった。月によっては40%に迫っていた時もあった。
何度も「今月の、今時点での原価率は○○%だ。」と伝えた。が、なかなか下がることはなかった。
自分で厨房に入り、原価を管理し始めると、この原価率を下げる作業はけっこう厳しいということがわかった。歴代の調理長たちもいろいろと悩んだんだろうと察する。
料理を作るだけだった、その調理長たちの比して私の利点は買い出しに行けることだ。平日は北新宿にある個人のコンビニに弁当納品が毎日ある。その帰り道に業務用食品卸の店に寄れるのだ。
店に納品する業者との値段を比較し、こまめに仕入れした。お店に納品している八百屋には悪いが野菜類の仕入れはかなり改善したと思う。
原価率35%を下回るようになるのは早かったが、そこからの1%はかなり厳しかった。私が厨房に立ち半年たって原価率32%。

お店に来るお客様の顔を見てると、原価率(利益)よりも美味しいと言ってくれる顔を見たくなる。いきおい原価率そっちのけで料理を出すことも多々。
この辺のバランスを取るのが非常に難しい。

お客様が一番喜んでいただけるフカヒレの値上がりが半端ない。値上げは二段階目だ。高い素材は業者も気を遣って値上げは小さい範囲で上げてくるのだが、業者側も限界なんだろうと思う。
小さいフカヒレが一枚700円程度で仕入れしていた。これが1枚980円になった。
今まで4000円コースからフカヒレを出していた。4000円コースの原価はおよそ1200円。ふかひれで980円を使うとのころ200円強。コース料理は少なくとも6品は提供する。フカヒレ以外の5品を200円で・・・・・。無理!
小さいフカヒレなのだ。手のひらの半分くらいの小ささなのだ。そんな小さなフカヒレすらコース料理に組み込み無のは厳しすぎる。

値上がりは当然フカヒレだけではない。ほぼ全品目が値上がった。低価格の優等生だったタマゴも上がった。

日経新聞には賃上げや最低賃金などのニュースが流れる。まして人手不足の昨今。多少の時給を上げても人は集まってこない。大手のチェーンは体力に任せて数百円の賃上げをしてくるが、小規模店舗は数十円上げるの四苦八苦する。上げられないお店も多いのではなかろうか。
物価高に賃金が追いつかない「実質賃金」はひらく一方とニュースは伝えるが、一般的にベースアップは年一回だ。物価高との差が小さくなるのは少し先になる。生活に反映されるのはどうしても時差がある。逆に真っ先に切り詰めるのは亭主の小遣いであり外食だ。

コロナ禍の影響が残り、物価高と家庭や会社の節約状態から抜けるのは、もう一年あとか。




弟がいる

私は男ばかりの三人兄弟の長男だ。
兄弟は2歳ずつ年が離れている。
私と三番目が東京に住んでいる。
2歳ずつ離れているから、三番目とは4歳差がある。
物書きを生業としている弟だ。メインは週刊誌の記事を書いているのだが、三冊ほど上梓したこともある。年齢的に学校でいっしょにはやれなかったが、兄弟そろってサッカーをやっていた。二人ともサッカー好きだった。
単身赴任が続いた私は、自分の息子には一週間に一度帰った折に近所の学校の校庭でいっしょにサッカーボールを追いかけて思いでしたかないが、弟はその息子のサッカーチームのコーチを仕事片手間にやっていた。話しを聞く限り熱血コーチだったようだ。

久しぶりにその弟が来た。
久しぶりの弟は顔色が悪かった。ガンを患い闘病生活を今も送っている。
兄弟ゆえに遠慮はない。
「おい、顔色悪いなぁ!」
「そう?抗がん剤のせいだと思う。でも一頃よりはずいぶん楽になったんだよ。」

私も数年前に前立腺ガンを患ったが、全摘し今は完治している。入院を数回、身体を切ったのが数回、そのたびに身体の衰えは加速する。
そんな私だが、今の弟より顔色も見た目も健康そうには見える。この歳になってくると加齢や高齢との戦いになる。逆に言えばいつお迎えが来てもおかしくない年になってきた。
だが、四歳下の弟に私より先に逝っては困る。何が困るか知らないが、とにかくダメだ。

術後や健康状態を聞く。最悪状態は回避したようだ。今はその養生途中のようだ。ホッとする。
あらためて弟の顔を見る。
黒い。禿げている。残っている毛も白いのばかり。タバコのせいで入れ歯を装着しているのだが、その入れ歯が顔の割合からして大きい。このことは以前から「歯を替えろ。見た目は大切だぞ。」と忠告したことがあったのだが、その入れ歯が支えている歯茎から落ちそうにズレている。顔がコケているのだ。
人のことは偉そうに言えないが、弟も見た目を気にするタイプではない。私の言うことは歯牙にもかけない。

そして、久しぶりの兄弟談義に時々弟は席を外す。店外に設置してある灰皿の元、タバコを吸いに行くのだ。
私の妻が、「電子タバコにすれば・・」と言うも、鼻でせせら笑う。弟が初めてタバコを吸い始めたのは中学の終わり頃だったと思うが、以来タバコの銘柄は一貫して「ハイライト」

「もうタバコは・・・」
言ってもダメだし、たぶんタバコを止めることに堪えられなり、結果人生を縮めそうだ。言葉を呑んだ。

でもでも長生きしろよ。少なくともオレより先に逝くなよ。








眠い

なぜかやったらめったら眠い。

厨房に木製の丸椅子が置いてある。普段は椅子の上に調理用のボールと金ザルが重ねてあり、洗い物(主に調理用のステンレス器など)の水切りとして使っている。
座るには少し硬すぎる椅子に腰掛け、目を閉じること数秒で眠りに落ちる。「オーダーお願いします。」や「いらっしゃいませ」の声で起こされるのだが、うとうとから現実に戻った時はけっこう頭の中がスッキリしている。短時間(数秒数分)でも睡眠の効果はあると思う。

疲れているのかも。高齢者ゆえかも。昨日の酒が手伝っているのかも。夏の寝苦しさのせいかも。
何にしても特技「居眠り」が身につき始めている。
こんなのを特技にしなくても、いずれ「永眠」という長い長い「居眠り免許証」が無料でもらえるのにね。

70歳という年齢はすぐ疲れるくせに元気のチャージはいっこう満タンにならない。
厨房にオーダーが入るとほぼ一人で仕込みの材料を揃える。一人前ずつ冷凍してある肉類をレンジで解凍にかけ、解凍するまで付け合わせる野菜を冷蔵庫に取りに行く。焼きソバや揚げ物など火を通すのに時間がかかるものがあれば、弱火にかけておく。頭がフル回転する。
朝の仕込みもエネルギーがけっこう貯まっているので仕事ははかどる。ほぼお昼までに仕込みを終える様にしている。
が、元気なのもお昼まで。前述した様に枯渇したエネルギーを補填するがように居眠りがちょっこちょっこと始まる。

・・・
・・・・・
あ、また寝てた・・・。






結婚記念日

昭和54年7月に結婚した。
今日がその記念日だ。数え間違ってなければ今年は45回目の記念日になる。
長い。
よく続いた。
お互い飽きもせず。
たぶんこれからも二人で歩むのだろう。

よく飲みに行く仲間が私のことを「自由人」と表現する。
私が周りを斟酌せず勝手気ままに行動するらしく、その勝手さを「自由人」と表現しているらしい。
「そんなことはない!」
と声を大にして言いたいが、ま、人と同じ事をしたり、頭ごなしに言われるのも好きじゃなく、妻からは「天の邪鬼」「ひねくれ者」と言われることが多いから、あたらずも遠からずなのだろう。

その自由人と45年間連れ添ってくれた。
よく我慢してくれたと思う。
仕事だって順風満帆でない時が多く、苦労も多かっただろうと思う。
人生の七割以上は”自由人”に振り回されていたはずだから。

子供たちが巣立っていくとともに、板橋の一軒家から職場近くの神宿に住まいを変えた。休みの日はほぼ妻と一緒だ。
これでお互いの仕事がなくなったら、妻との時間は極端に増えるのだろう。

ときどき美容室に行ったりして妻の髪型が変わったりするのだが、自由人たるせいかその変化に気がつかないことが多い。
ふくれた顔をして
「私のこと何も見てないのね。」
「いや、そうじゃない。お前は空気みたいな存在なんだ。とても大事だし、絶対に必要な存在なんだが、いなくなって初めてわかる大きな存在なんだ。」
またある時は
「手や足は、自分の行動に合わせて無意識に動くだろう。もうお前はオレの手や足といっしょなんだ。切っても切れない存在なんだ。でも、ふだんは自分の手足を意識してないだろう。」
自分の鈍感さを懸命にフォロー(言い分け)する。

(でもね、でもね、お前といっしょになった選択(結婚)は大正解だったよ。)
と心の声、死ぬ前に一回くらいは声に出して言うつもりだよ。