山崎12年もの

お客様が山崎を持ってきた。
お客様は閉店間際にやってきた。
銀座からタクシー飛ばしてやってきた。
(最初から歓でやれよ!)は押し殺し、まずは
「いらっしゃいませ。」

コロナ感染者数が万単位で増えてきた。感染力は大きいものの毒性はかなり低い。でも会社は用心する。
ランチも夜もお客様は1月2月頃みたいに激減する。

そんななかをタクシー2台にわけて5名様がいらっしゃったのだ。
銀座から山崎12年ものを封を開けずに持ってきてくれたのだ。
美味しさ一塩じゃないか!
呑まずにいらりょうか!
私にもロックグラスで回ってきた。

山崎12年ものの麦を焦がした匂いがグラスから立ち上がる。
12年ものか20年ものか知らんが、価格(年数)が高くなるにつれ”香り”は間違いなく”高く”なる。芳香だ。”芳しさ”なのだ。
ワインも同じだった。
香りに値がつく。と思う。
時間が作った香りだ。

長らく生きてくると、離れていく人あれば引き寄せられてくる人も居る。
引き寄せられてくる人に限って言えば、共有できる人たちなんだと思う。
共有できる、それは時間と価値観。
「同じ時間を共有する。」
「同じ価値観を共有する。」
それが類を引き寄せる。

一人以外は、ほぼ初めて顔を合わせる方たちだ。
でも、共有できる何かを持っている・・、それが分かっている人たち。
嬉しいし、酒(山崎12年もの)が旨い!

遺憾の意を伝える

例えば中国や尖閣諸島付近で石油採掘の試掘したり、韓国の議員が竹島に上陸した、など日本が望まないことを外国がした時に使われる常套句。
「領事館や大使館を通して、中国(韓国)に遺憾の意を伝えた。」
とセリフがよく流れる。
この「遺憾」って何?
前後の流れからくみ取って、遺憾は「抗議」をしていることだろうと思っていた。
外交関係だけでなく、お役人たちは「遺憾」が大好きだ。

「遺憾」を英訳した。
regret 発音は、レグレット?リグレット?
pityというのもあった。
この二つのフレーズを、さらに和訳してみた。
「残念」「残念なこと」と出る。

何だか肩透かしにあった様な気分だ。

日本の海域で無断で採掘する。
「ああ残念だ!」
と言ってるに等しい。
それを聞いた当事者の外国はおそらく
「日本は”残念”らしいぜ。そのくらいだから、もうちょっと掘っても大丈夫そうだぞ。」
という反応を示しているんだろうな、と想像する。

まるで空気銃みたいに効果のない「遺憾砲」を政治家はあっちこっちでぶっ放す。
遺憾砲・・・これって”残念”って訳すよりも「屁こき」って訳した方がピッタリこない?

予約キャンセル?

明日6名の予約があった。
今朝確認すると、予約帳に書いてあった予約欄に横線が引っ張ってあって「キャンセル」の文字。
来週末の土曜日の大きな予約も
「キャンセルの可能性があります、いつまでだったら間に合いますか?」
の問い合わせ。
コロナ感染の拡大の影響だ。
何だかなぁ・・・。

都知事の小池さんも、政府も行動規制する予定はないと言う。
経済活動に支障はないはずなのだ。
マスク着用など、普段の注意で十分との見解だと思う。
あっという間に1万人越え。感染力は強いものの、重症者数は少なく死者はいない。もう普通の風邪なのだ。
しかし感染拡大の影響は甚大だ。

新宿三丁目や歌舞伎町は人出が戻ってきている。
三丁目を歩いてみる。人出は多いが、ほぼ20代、30代の若者たちだ。
50歳過ぎの年寄りが少ない、というよりほぼ見かけない。
消費は若者中心だ、というのが鮮明だ。
概して年寄りは臆病になり慎重になる。
スタッフも顧客も高年齢者が多い歓ファンでは、客足の戻りは鈍い。

お客様がまだまだ戻らない中でのコロナ変異種の再拡大。
まだまだ覚悟が必要な様だ、とあらためて思い知らされる。
預金の残高を見て、余力を測る。
さあ、今のうちに旗手挽回の手立てを打て!

「よっこらしょ!」
フットワークの軽い私だが、立ち上がるのに気合いが必要な歳になってきた。

夫婦の終わり

数日前のニュース

「警視庁東村山署員が駆け付けたところ、2階の部屋でいずれも90代とみられる男性が布団の上で、女性が男性の足元の絨毯の上で死亡していた。男性は死後1週間程度、女性は1~2日程度経過していた。」

このニュースを見た家内がポツンと
「夫婦でこういう亡くなり方できたらいいね。」
夫婦が別々に生きていた時間が、たった一週間という点に彼女の関心が向いた様だった。

なにげにポツンと漏らした言葉に、私は何も応えなかった。心中は
(ふうん、こいつ、こんなふうに夫婦というのを捉えてるんだ・・。)
そして
(オレで良かったんだ、連れ添いは・・・)

彼女に助けられたことは多々あったが、私が彼女にして上げられたのは、・・・記憶をたどってみたが、ほぼない。誕生日や記念日で、ちょっとしたことでプレゼントしたことはあったが、感動的な彼女に対するプレゼンは思い出せない。
というか、つい最近あった結婚記念日(7月1日)も忘れてた。

「ホントにオレで良かったのか?」と聞きたくなったが、照れくさくて、とてもじゃないが言葉に出来ない。
ま、及第点になる70点はつけられる夫婦だったのかな。
中身は妻90点で、私は60点?
で、二人合わせた平均が70点という所か。

夫婦をしてられるのは、あと10年?20年?くらいかな。
言葉に出来ないけど、よろしくね。

木曽の御嶽山

数年前、御嶽山が噴火して大きな災害が起きた。

数ある山の中で、木曽の御嶽山は、私の大好きな山のひとつだ。
木曽福島駅で下車し、登山口までバスを使い、そこから登頂を目ざす。
確か3000メートルちょっとの標高だったと記憶している。
山頂にある山小屋で二泊ほどして下山するのが、いつもパターンだった。

登山途中で山伏姿の行者。
途中途中に、
「よく来たな。先は長い、ばてるなよ。」と声かけてくれる石仏たち。
御嶽山は信仰の山なのだ。

3000メートル級の山になると、しっかりした装備は必須だ。
避難できず1時間近く岩陰で雨を凌でも、体温が急激に下がり、自分の唇がたぶん紫色になっているだろうを、鏡がなくとも感じる。
(この雨が30分続いちゃうと、オレ、やばいなぁ!)

濃い霧に包まれ視界が遮られる中恐る恐る足を踏み出していると、一陣の風が霧をサーッと払ってくれる。一瞬濃霧がなくなり視界が良好になる。そこには私を飲み込もうとする絶壁が待ち構えていた。もう一歩踏み出してたら、奈落。

3000メートル級の山々は重装備をしていてもそんな危険にいっぱい出会う。
それが山だと信じている。
だから遭難を含め、山での危険は自己責任だ。これが基本だ。
どんなに安全を唱っていても、山はけっして油断しちゃいけない場所だ。

安倍首相の訃報のニュースの片隅に小さく
「御嶽山の噴火に対して、災難に遭った遺族が国、県に賠償請求」
の記事が載っていた。
噴火が予知できたはずだ、だから賠償、という内容だ。
残された遺族の無念さが伝わるが、噴火の予知を国、県に求めるのは無理筋だ。
噴火をも含めて「山」なのだ。

郷里鹿児島の、錦江湾にたたずむ桜島が頻繁に爆発し、その火山灰が我が町にも降ってくる。視界が悪くなり、目が開けられなくなり、閉じていても口中は火山灰でガリガリする。風が吹けば道路に堆積していた灰が再び舞い上がる。

登山途中でそんな噴火に出会ったら、
「呼吸の確保」岩陰や木陰への「火山弾からの避難」をまず、その次に避難路の確保となるんだろうな。
御嶽山噴火の映像ニュースを見た時に、何度も登った山だけに、具体的なシミュレーションを繰り返した。ふたたび私が御嶽山に登った時、噴火に出会わないという保証はない。
でも、それでも噴火に至近距離で直面すれば、ま、最悪を覚悟するだろうな。

それほど私にとって山は安全な場所ではない。そんな山に登るからにはあらゆる危険の想定をする。最悪を想定し、そしてそれでも山に登る。

「噴火が予想されたら、山には登らせなかった。」
というコメントが載っていた。
(ちょっと違うよな・・・・・。)
私の率直な感想だ。

安倍首相死去

一国の元首相が暗殺されるという、私のなかでもかなり衝撃的なニュースだった。
日本が少しずついびつになってきている・・。
理不尽差への憤りよりも、虚しさ、空虚感が大きい。
先代、先々代から営々と築き上げてきた平和を一瞬でひっくり返された虚しさだ。

生きているといろいろな不満が出てくる。どんな生き方をしようと不平不満は尽きない。苦労や悩みは、たぶん死ぬまで着いてくるのだろう。100%正解は人生にはない。
でも、だから100%正解に近づける様に努力する。それは生きている人それぞれにあり、模索し、正解が出ないまま死に至る。

41歳の(私にとっては)若者が、こういう解決方法しか見つけられなかったとしたら、あまりにも悲しい。
そしてこの結果を、彼の家族が引き継ぐだろうし、自分だけで完結する処理方ではない。そこまでの思いにいたらなかったのか・・・。

安倍首相。
この方のやった様々な政策は賛否はいろいろあったと思う。
でも私はこの方は「日本の顔」としてふさわしかったと考えている。
国内向けの政策(アベノミクス)は(うん?日本を貧乏にした・・)とちょっと疑問になるが、「外交」という点では、私は及第点をつけている。
トータル、傑出した政治家だった、というのが私の率直な感想だ。

だが、前述した様にどんな政策をとったにしても100%正解はない。
選挙で選んだ私たちが最終的に、結果を呑むべきだ。と思う。

自分が思うような結果を出せなかったことに対しての、今回の行動。
「暴挙」につきる。
残念、無念、・・・・・そして一人の日本人としての虚しさ・・・

座り呑み

歓ファンが、一部屋を倉庫として借りていた木造家屋が壊され露天駐車場に変わった。そこへキッチンカーが日替わりで出店する様になった。
台湾料理、タコ焼き、ラーメン、かき氷、、、、、いろいろなキッチンカーが出展する。賑やかになった。夜も遅くまで営業している。雨天はともかく簡易なイステーブルも置いてあったりするから、ここで飲み食いするお客もいる。
お客がより安い様に目立つのぼりも立てている。
見た目は間違いなく”にぎやか”にはなった。

しかしこの新宿六丁目は、三丁目界隈とは違い住宅街の様相を色濃く残しており、人通りは少ない。この地で18年営業を続けていても厳しい日々は続く。
コロナ禍が押し寄せ、それが今年になり収束するかと思えたが、客足の戻りは鈍い。そこへ食材の値上げが怒濤の様に押し寄せる。

一回目の値上げをした。概ね50円~100円。「1回目」と言ったのは、たぶん9月か10月にもう一度価格を引き上げる可能性があるからだ。原材料の値上げはまだまだ続く。
当然ながらお客様の懐も厳しくなるし、最初に控えるのが「外食」になる可能性は非常に高い。
諸処の世情を鑑みると止むなしとも思うし、一飲食店が抗えることでもない。だから引き続き外食産業にとって厳しい日々が続く。どんなに早くても今年中は無理だと想像する。

キッチンカーが停車している駐車場の前に、路地をはさんでセブンイレブンがある。セブンイレブンにコーヒーを買いに行った。夜の8時ころだったろうか。
路地に数名が座り込んで呑んでいる。出で立ちは白いワイシャツを着ており、どうみても会社勤めのサラリーマンだ。

私にとって、ちょっとした衝撃だった。
昭和40~50年代ころには日本のあちこちで目にした風景だったが、ついぞ最近見たことがなかった。今は2,000円~3,000円で呑める安い居酒屋はあちこちにある。そういう居酒屋を避け、座り込んで「道路呑み」をしている。

いろいろな事情があると思うが、人目をはばからず「道路呑み」をしている。飲み物が足りなくなれば、その都度セブンイレブンに買いに行っている。
繰り返し言うが、目の前にキッチンカーがあって、イステーブルも用意してあるのだ。セブンイレブンで買う飲み物に比べれば、多少高いかも知れない。でもでも、それでも道路呑みをするか?

彼らに確かめたわけではないのだが、なぜ「道路呑み」をしているのか想像してみた。
すぐに思いついたのが、「小遣いを減らされた・・・」だった。
それぞれに帰る家があって、そこには家族が居て・・・。彼らの風体はそれを感じさせるほどこぎれいなのだ。

折しも参議院選挙の告示が出、候補者全員の名前が新聞に掲載された。
一部の金持ちはともかく、貧乏になってきた日本や日本人のことを熱く語る候補者は少ない。

連休

歓ファンは6月12日(日曜)~19日(日曜)までの8日間お休みする。

コロナ禍で歓は協力金の他、数種類の助成金を獲得した。
事業再構築助成金、感染拡大防止助成金、飲食店強化支援助成金・・・。

コロナ禍は収束段階に来ているが、客足はどうにもこうにも戻ってきていない。
飲食店を取り巻く現状から回復に向けて、まずネット系がお店にアプローチを掛けてきている。
ぐるなび、食べログ、ホットペッパー、リティ・・・・。
Googleマップもマップ上の宣伝を持ちかけてくる。成果報酬型の集客アプリも、電話、ファクス、メールと、これでもかこれでもかと攻勢を掛けてくる。

が、一切お断り。
集客の目処がついているわけではない。
ただ今動いても空振りに終わるだけと感じている。まだ今はジーッと耐えている時期だと判断しているからだ。
ただ無為に辛抱してるわけではなく、上記の助成金を利用して設備に投資し、やがて戻ってくるお客様のために対処しようと考えているからだ。


3月に「感染拡大防止助成金」で抗菌仕様の床を貼り替え、トイレを全部ウォシュレットに変更、ついでにギシギシと音を鳴らしていたトイレの床も作り直した。厨房の換気能力も強力にした。

で、 今回のは「飲食店強化支援助成金」
厨房を改装する。
厨房床に防水加工を施し、業務用コールドテーブル、業務用冷凍庫を新設。
ドリンクカウンターと厨房の間の壁に大きく穴を開け、半オープンカウンターとする。目的は厨房の動線を確保し、三人オペレーションを二人オペレーションに。

助成金はこちら側の30%~20%の負担がかかる。だが残りの70%~80%の資金は返さなくて済む資金だ。
コロナ禍故の助成金だ。この時期でないと出ない、コロナ終息とともにいずれ消滅する助成金だ。
どのみちお店はヒマだ。そのヒマを利用して様々な助成金、補助金、支援金にチャレンジした。申請した助成金のほぼ8割獲得した。

獲得した資金は、いずれお客様が戻ってきた時のための設備投資にあてる。

これだけ頑張っていても、1年後にこの店が残っているかどうかは正直不明だ。
今やれることを、今だからやれることを、粛々と進める。
人事を尽くして天命を待つ。
(な~に、オレは運が強いんだ!)
と、あらためて自分に言いかける。

ということで歓ファンは8日間連休します。
6月20日から正常営業です。

パイオニア

家内と一緒に歩く。
新宿の雑踏を歩く。
街に活気が少しずつ戻ってきた。
良いことだ。もっと活気づくピッチを上げて欲しい。

歩く時にひとつの癖が出来た。
雑踏の中でノーマスクの人を見つけて数えることだ。
屋外ではマスク着用はやめていい、と政府も伝えている。
しかしノーマスクは50名に一人、いや100名に一人くらいだろうか。

「ねぇ、マスクしてよ!」
と、一緒に歩く妻が私に懇願する。
「やだ。」
即答する。
「誰かが率先してノーマスクしないと、いつまでたってもマスク姿は減らない。」
と、理由をつたえる。
「このへそ曲がり!」
と妻が怒る。

いつだってパイオニアの道はイバラの道なのだ。

時間

年を取ってくると時間の大切をヒシヒシと感じる。
どう考えても、どう計算しても私に時間が残ってないのだ。
残ってないというより、無為な時間を使いすぎた。

重信房子が20年の刑期を終えて出所したニュースが新聞に掲載されていた。
「連合赤軍」
日本中を騒がせた事件だったが、今となっては懐かしささえ覚える事件だった。

常識で見て彼女のやったことは凄惨悲惨なことだったが、その事件の是非はともかく、その当時は彼女は信念を持ってして遂行したことだったと思う。
ただ20年という月日を牢獄の中で過ごすという時間の使い方は考えてしまう。もちろん彼女は覚悟を持ってやったことだったと思うが。

生まれてこの方、「死ぬ」という出口に向かって人は歩いて行く。人それぞれに出口は違うし、その長さも違う。どこに出るのか、いつ出られるのか、神様次第。
物心つく頃から、やりたいことや欲望が生まれる。単にお腹がすいた、何か食べたいという欲望から、やりたいことが分からず知識欲に没頭する時期もあった。
やがてそれが具体的な目標に変わってくる。
生涯の目標が漠然としてくる。
このころは30歳前後だったろうか、もう少し若かっただろうか。
一般的に家庭を作るのもこの頃だろうと思う。目標の中には「家庭」「子育て」も加わる。
複数の目標が生まれ、目標そのものすらも、より高みを目指す様に変化していく。
漠然とした目標が日々具体的な目標にひとつひとつ置き換わってくる。

重信房子は、20年という月日をどう捉えているのだろうか、機会があったらいつか聞いてみたい。画像に写る彼女の顔は晴れ晴れしく見えなかった。
「これで良かった。」のだろうか?
「後悔・・・。」だったのだろうか?
いずれにしても時は戻ってこない。
若かりし、人生の岐路を正確に判断する経験がなかったと思えるその時に、彼女は、結果として「20年」というひとつの決断を下した。

20年間は長い。

今年69歳になる自分に問う。
人生を20年ずつ刻んだとして、およそ、その三分の一になる連続した20年間、私の人生のどこにこのパーツをあてがうことが出来るだろうか。

重信房子の新聞記事を見ながら、「時」に思いを馳せる。