蔓延防止

蔓延防止が明後日から発令される。
詳細はまだわからない。
だが、感染者数が1000人、2000人と増える毎に町は静かになっていく。

ただいまお昼12時15分。
・・・・・・
隣りのイタリアン「生ハム」は今日は臨時休業。
けっこうお客様を集めるお店なのだが、そのお店が休みでも歓ファンは混まない。
目の前の博多ラーメンのお店も数名程度。
医大通りの人通りは、少ない・・・・。
指折り数えるほど・・と言っても言い過ぎじゃないくらい人通りはない。

コロナ禍が蔓延する様になって早2年。
新宿の外れと言っても、近隣には大きな会社はいとまがない。
が、コロナ禍でお客様の流れは変わった。いや、変わったのではなく無くなった。

蔓延防止にかこつけてお店を休みたくなる。
休業にした方が、仕入れが少なくて済む。
パートアルバイトも休ませるので人件費も少なくて済む。
本音は「休みたい」

でも歓ファンが休むと、この近辺の飲食店はほぼ全滅する。
踏ん張り処なのだ。
ここで歓ファンまでが休むと、この地域に流れるお客様はいっそう少なくなる。
ここは歯を食いしばって頑張るが、言いようのない怠さが身体をつつむ。

何度でも言うが、オミクロンだか何だか知らないが、たんなる風邪だろう、もう。
普通に戻そうよ。
普通の日常にしようよ。
マスクも、手の消毒も許容するよ。
だから、もう、実体のない影に怯えるのは止めようよ。

となりのオーナーが言った。
「営業してるより協力金貰った方が助かります。」
いや、そうじゃないだろう、俺たちは
食べて貰って、飲んで貰って、楽しい場所を提供して、
生活が成り立つんだ。
協力金で成り立つって、それを求めるのは・・違うだろう・・
と心の中で違和感を感じるが、その違和感を口に出せない。
その協力金がないと、倒産が現実味を帯びるのも正論だから。

コロナ、オミクロン・・・・
カタカナの訳の分からない脅威に、ノックダウン寸前に追い詰めらる。

オミクロン

オミクロンって何?
何語?
意味は?

ギリシア語のA B Cだそうだ。
アルファ、ベータ、ガンマー、デルタ・・・
その15番目、Oにあたるのがオミクロン。
武漢ウイルスなど地名を使うと、いろいろと支障があるらしく、ギリシア語で順番にアルファ株、ベータ株、・・・デルタ株と名付けた様だが、なぜデルタ株の次に15番目のオミクロンが来たのかは、納得できる説明はどこにもない。

そのオミクロンに悩まされている。
都内の感染者数が1000人を越えたあたりから、予約はキャンセル、キャンセル。
昼も夜も、緩やかに戻ってきていた客数がつんのめる様にブレーキがかかる。
ランチは何とか形(2/3程度)にはなるが、夜は・・、営業を辞めた方がまし、というくらいヒマな日が続く。
もちろん協力金はない。
自力で、自助努力で切り抜けるしかない。
打つ手は・・・・ない。
わずかにストックしていた協力金で凌ぐしかない。
ただただ、ため息しか出てこない。

閑散とした店に居づらく、偵察がてら、愚痴をこぼしたく、知り合いの店に出向く。が、そこも同様とみて、まだ八時にもかかわらず看板は「閉店」

感染者数が昇龍のごとく伸びていくが、毒性は弱いと聞く。
ニュースではオミクロンの初死者が確認されたと流れるが、よくみると亡くなった方は90歳。オミクロンでなくとも大往生ではないのか?
私のなかではオミクロンは単なる「風邪」なのだが。

コロナ禍のあとを見据えて、厨房を一新する予定でいる。
現調理長が2月20日で退社する。
その後任を、今日面接した。

経営見通しはまったく不透明だ。
何度も迷う。
当然ながら廃業という選択肢も迷いのなかにある。

面接に来た職人にその事を正直に話す。
そして経営サイドとして、ワガママな要求をした。
いっしょにやっていこう。でもそのためにリスクもいっしょに負ってくれ、
と頼む。
面接に来たのは50歳。
顔つきも比較的穏やかで、職人特有の頑固さの影は薄い。

これで断られても、「廃業」という選択肢を選べば良いだけだ。
と開き直っている。
彼は真剣に聞いている。

大きな名のある会社だって倒産の憂き目を見る。
「絶対」という安泰、安定さはないのだ。
それよりも、自分の生き方を自分で決定する事の意味を説いた。
会社の入り、給与や仕事内容を人任せで、それでいて、ある瞬間に解雇を言い渡される。
苦労はするかも知れないけど、自分の判断で人生を切り開こうよ、と諭す。

年を取ってくると、それも難しくなるが、彼の50歳という若さはそれが出来るギリギリの年齢と思える。

オミクロン、コロナはいろいろな面で影響が大きい。
でもその影響は悪い面ばかりではない。
自分ではどうしようもない、手の打ちようのない局面で、人の本当の胆力を試される。
ま、それも面白いかと思う。


沖縄感染者数の記事

琉球新報で感染者数が779人という報がでている。
そこに10万人あたり人口比で1,000人を超えている、と補足してある。
これっておかしくない?
沖縄の総人口が、記事のどこを見ても書いてない。

本日の東京の感染者数871名
東京都の人口ほぼ1,400万人
871÷14,000,000×100,000=6.2名
都は10万人あたり6.2名の感染者数となりますが。
計算間違ってますか?

このマスコミの報道に仕方、おかしくないですか?
センセーショナルな数値をわざわざ探してきて掲載している。

感染者数が少なくなっていた時にテレビでは
感染者数を載せないで、先週に比べて・・・101%とか103%とかを平然と載せている。
先週に比べて100%の場合は、先週と同じ、変化なしという事でしょう。
わざわざパーセンテージに変えて掲載する。
視聴者が馬鹿だと思っているのか、テレビ局の報道担当が馬鹿なのか・・・・

毎日毎日の、売上の少ない増減で一喜一憂している飲食店を少しでも知っているのだろうか。
もういい加減にして欲しい。

感染力が強くても毒性は弱い・・・
死者も重症者数も片手で数える程度。
こうなるとたんなる風邪じゃないか。
そんな風邪をここまで重大なニュースに仕立て上げるマスコミ。

東京オリンピックを、あれだけ中止しろと連呼していたマスコミが、北京のリンピックは一言も意見を言わない。

新聞の購読数が10年前の三分の二ほどに落ちている。
マスコミへの信頼は間違いなく少なくなっているせいだと思う。
淘汰されつつあることを少しでも自覚しているのだろうか。

商店会新年会・・中止

この医大通り商店会の会長を務めている。
繁華街でもなく、ビジネス街でもなく、医大通りという通りを中心とした商店会だ。医大通りは新宿五丁目と六丁目の間を通り抜け、明治通りと靖国通りを結ぶ線上にある。その途中に東京医科大があり、それに因んで「医大通り」と称する。

この地域、東京医大をはじめとして東京総合芸術高校、新宿中学、富久小学校、天神小学校と学校が多い。
新宿五丁目は商業地区であり、新宿六丁目は住宅地区である。
いろいろな要素が混ざり合っている地域なのだが、いろいろな要素が逆に中途半端を与える地域でもある。

新宿地域外のお客様に
「お店に行くのに目印ありますか?」
と聞かれるが、返答に困る。
東京医科大学病院は西新宿にあり、こちらはけっこう知られているのだが、本家の大学は実に地味だ。東京女子医大と間違えられることもある。「医大」を冠している割に東京医大はランドマークになってない。

医大通りは、靖国通りから歌舞伎町へ抜ける裏道にあたる。
靖国通りや明治通りには及ばないまでも、医大通りの交通量はかなり多い。そして道は狭く、坂道もある。
車はスピードを出して通り抜けるため、通りを横断するのにけっこうヒヤヒヤする。交通量の割あいに比して人通りは少ない。

ホテルが多く、民泊も筍の様にあちこちに散見される。コロナ禍の前はインバウンドの外国人客がたくさん見受けられたのだが、今は街自体が閑散としている。

この地に店を出し18年になる。
18年前に店を出し、すぐに、
(あ、ここはこの場所はお客様を待っててはダメだ!)
薬膳だったり、落語家やミュージシャンなどを呼んで様々なイベントを起こした。
営業に励んだ。遠方からお客様を呼ぶ必要があったのだ。

だからこの地で商売するつらさを当初から感じていた。
分かりやすく言うと立地が悪いのだ。
後から出店する人たちに少しでも力になれればと、商店会長を引き受けた。
この町に人を呼び込むことが出来れば、地域活性にもつながるし、ひいては商売繁盛につながると考えたからだ。
今でもこの考えは間違ってないと思っている。

しかし、排他的な地元にこだわる人たち、干渉を受けたくない独り身住宅など、盛り上がりは欠ける。難しい地域なのだ。

商店会長を引き受けてから、18名だった会員も50名近くまで増やした。会員の平均年齢も70歳近くあったのを40歳代まで下げた。
会員に若い人が多くなってきたのだ。
若い人たちが増えたことで、活力も出てきた。

会長を受けてから5年ほど経つ。会員の若者たちが会の原動力になってきた。
動ける様になってきたのだ。
昨年末11月に「医大通り音楽フェスティバル」を開催した。これで三回目だ。
時を置かず1月30日に「商店会新年会」、2月1日~2月末日までスタンプラリー、その抽選会を3月13日に企画した。

それぞれに音楽フェスティバルを含め、三つのイベントにそれぞれの準備委員を数名ずつ頼んだ。
おおまかなタイムスケジュールと、準備項目を委員に知らせ、任せた。
悩むだろうなと思える細部は、その都度、
「○○○はどうするつもり?」
などと聞き出していった。

新年会を担当させた若者は20歳代の女性だ。
文面を作成し、LINE、Eメール、郵送、彼女の名前で案内状を送った。
おかげで、区長、衆議院議員、都議2名、区議と偉い人たちから参加の返事を貰った。

その矢先にオミクロン感染者数、都内で1,000人を超えた。
多少の非難があってもそれは私が受け、開催方向で進めていた。
しかし偉い人たちを呼んだが故、新年会の開催を危惧した。

そして断念。
私も悔しかったが、実行委員の女性と、会場提供のホテル担当女性もガッカリしただろうなと察する。

彼女たちには
「4月か5月に商店会総会を開き、その後の懇親会にご招待しましょう。」
と伝えて終わった。
オミクロンは毒性も小さくなったと聞く。
経済が麻痺するような、そして人と人が出会えなくなるような、そんな脅威は少なくなったと思えるのに、先に進めない悔しさと自分の無力さを感じさせられた一日になった。

雪が降る・・・2

少し積もった。
通りを歩く人が恐る恐る歩を進めている。
滑るのだろう、とガラスドア越しからもわかる。
スコップを出した。
数年前に除雪のために購入したものだ。
購入したにもかかわらず、使用する機会は数年なかった。

エアコン室外機の奥にスコップは眠っていた。
室外機につながるパイプに、絡まる様にしがみついている。
スコップは数年ほったらかしにされて、すねている様だ。

雪はまだ粉雪になって降ってくる。
カッパを羽織り、フードの代わりにヘルメットをかぶり、除雪を始めた。
スコップをアスファルトの上で滑らせる。
天気予報は5センチと言ってたが、目の前の雪は2~3センチ。浅い。
それでもスコップで集めた雪は10~15センチ程に盛り上がった。
何より除雪した部分のアスファルトが見えてきた。
足下は滑らない。

お店のお客様は、あきらめてはいるが、やはり来ない。
今月は12月の支払いが待ち構えている。
コロナ禍で少なくなったとは言え、いつもの月より支払いは格段多い。
今月の売上ではとてもじゃないが賄えない。

自分のお店の雪かきが終わったら、隣、前の店舗の若衆に声かけし、スコップを渡し、雪かきさせる。
道路中央部分は、濁ったカキ氷状態になって残る。
雪は小降りになったが、明朝は路面凍結かも知れない。

(明日の朝の弁当配達、ちょっと厳しいかな?
歩きで行くか・・・・。)

濁ったシャーベット状の雪道が、店の前途を示唆しているかのようだ。
いやいや、雨だって雪だっていつかは止む。
希望的観測・・・・。

都のコロナ感染者数640名余。
マスコミは、今こそ「希望的観測」をお願い。
泥濘みにはまって、心が躓きそうだ。

雪が降る・・・・

23区で積雪5センチの可能性とニュースが伝える。
このまま降り続くと明日は雪かきが待つ。
雪かきが必要な積雪はたぶん3年ぶりかな。
それも東京での一月の積雪は、記憶の中にはまずない。

鹿児島育ちの私にとって雪かきはけっこう楽しい作業だ。
でもお店はヒマだろうな・・・・。
おりからのオミクロン拡大の報。都は蔓延防止も考えているという。
嗚呼如何せん・・・・。

2022年初頭

あけましておめでとうございます。

この歳になると何がおめでたいのか分からなくなります。ひたすら馬齢を重ねるだけで、我ながら新年という新鮮味に欠けるのを感じます。

昨日初詣を済ませました。店舗のある地域の氏神様「西向天神」と住まいの氏神様「花園神社」両方にお参りしました。
西向天神は小高い丘の上にあり、初詣客が二組ほど。この神社、太田道灌の詩「少女花一枝・・・」で知られる碑がまつられていることでも知られていますが、太田道灌を知っている、今の人たちどのくらい居るのやら。
静かなたたずまいを見せるこの神社、ひっそりしてるが、私はとても好きです。
次にお参りした花園神社は正月3日目でも6列縦隊で20列くらい並んでおり、その列の脇から神社に向かって妻と二人で柏手を打ちます。

今年もいろいろありそうです。
年を追う毎に、
(気力体力持つかな?)
という思いが強くなります。

昨年末に大宮市在中の調理長から
「2月20日(給与締日)で退社します。」
理由を聞くと、大宮にある中華料理店の78歳調理長が退社し、その後釜として要請されたとのこと。本人が61歳であり、家から程ない距離であり、身体に負担のかからないようにしたいとのこと。
やむなるべきか。

昨年末より新調理長を知人を通じて募集中。
採用の可否はともかく、さっそく一人は見つかりました。

私のなかでまだ迷っています。
「引け時」「辞め時」が念頭にあります。
このお店の締め時は、65歳を過ぎた頃から漠然と感じてました。
コロナ禍は、その辞め時をさらに強く感じさせられました。
そして今回の調理長退社。

どうなるか私も見当がつきませんが、今年も艱難辛苦が待ち受けているのだろうというのは感じてます。
「艱難辛苦」というより”サプライズ”、”ハプニング”という感じで、私に悲壮感はありません。コロナ禍はそれほど人の無力さを教えてくれました。人智ではどうしようない自然の力という意味で。
良い意味で開き直ってます。

密をやめ、ソーシャルディスタンス。
マスク姿で、アクリル板越しの会話。
どう考えても普通じゃない。
人と人とのふれあいを禁じ、お互いに監視し合うような、ギズギスさ。
そしてそういった風な世間をあきらめたような空気。
日本以上に感染が拡大している海外で、コロナ感染を恐れながらも、それでも人の繋がりを求めているのを、私は羨ましく感じます。

飲食(外食)の醍醐味は、「食」を通じて人と接することにあると考えています。
「食」を通してエネルギーを補給しながら、そこで出会った人たちから「元気」を補給する。
これがなくて、飲食業の意味があるのか、と外食産業に携わっている私の根底に流れている考えです。

美味しいは、作ることや食べることが美味しいから。
美味しいは、作る人や食べてる人が美味しいから。
美味しいは、農業や漁業に携わっている人が美味しいから。
だから、私自身が美味しくなかったら、誰も食べに来ない。
私自身を美味しくしたい。
そのために美味しいことをたくさん知る必要がある。
美味しさを知るためには、たくさんの人と会うしか道はない。

コロナ禍が私に教えてくれたのは、人との関わりだったし、人の温もりだった。

グダグダ長くなりましたが、飲食についての私のこだわりを述べました。
どういう形で決着するかわかりませんが、今年もできうる限り頑張っていきたいと思います。
みなさんの元気を見せ(店)に来てください。

私には二人の弟がいる。
一人は郷里の鹿児島に。一人は同じ都内に住んでいる。
三人それぞれに子供が三人ずつ出来、孫もできた。
その弟の一人が直腸ガンを患い、昨日手術だった。
結果をメールで尋ねた。
返事は自嘲気味に
「手術終わりました。渡哲也になりました…。」
とあった。
弟(幸雄)に返事を送った。以下。

❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤

おはよう。
少し落ち着いたか。

手術結果。
幸雄としては不本意な「生きながらえ」かと思う。
煩わしい障害が残り、気も滅入るかと思う。
程度の差はあれ、(前立腺ガンで)私も尿障害という身体を引きずる。
好きだった山登りもサイクリングもやりたいという気持ちが起こりにくい。

それでも幸雄の存在を必要な人たちがいる。
奥さん、息子や娘たち。そして私も。
いつかは別れが来ると分かっていても、まだ「いて欲しい」と率直に思う。
ここまでくると、自分でどう感じるかよりも、周りに活かされている自分の位置を確認した方がよりベターな選択枝だと思う。

めげるな。
生きながらえる喜びを見つけるべし。

お店の営業は昨日28日まで。
今日と明日、お節作りが始まる。
明日の夕方、宅配のヤマトにお節を託して、ようやく一年が終わる。
お節作りは、お店の毎年の風物になってきたが、「年が越せる」というのを実感する。
私にはお店があって良かったとつくづく思う。
68歳という歳になり、お店の終わりや終わり方を常に考える。

それでもギリギリまで「生きながらえる」方法を模索している。
私の存在が、私の元気な存在が必要な人たちがいる。
この人たちのために、もう少しだけ頑張ろうと思っている。

こんな「頑張り」をつまみにしてまた兄弟で呑もうかね。

クリアソン新宿

新宿にプロサッカーチームがある。
クリアソン新宿という。
J1、J2、J3、JFL、の下に位置する5部リーグになる。
5部リーグで優勝し、各地方の優勝チーム同士で優勝し、JFLの入れ替え戦出場の権利を得た。
12月18日。今日、その入れ替え戦があった。
相手は愛知の刈谷FC。
勝った!4-0だ。
圧勝と言ってもおかしくないくらいの勝ち方で入れ替え戦を制した。
来季から晴れてJFLだ。

クリアソン新宿。
落合にある総合運動場を借りて練習を重ねて来た。
不自由さにめげず、優勝、そしてJFlの昇格を勝ち取った。

素直な、魅力的なイケメンがクリアソン新宿に揃っている。
商店会活動にもいろいろな形で協力して貰っている。
子供たちが集まる商店会イベントにサッカー教室などを開いてくれる。
飽きもせず疲れもせず子供たちの相手をする。

このチーム、ホントに応援したくなる。
いつの日か、新国立競技場をホームグランドにしてJ1の舞台で走り回る姿を見てみたい。
優勝、おめでとう!

インボイス制度

今日は、夜のお客様は一組だけ。
冷たい風が一層冷たく感じる月曜日。
師走の三週目。
本来なら一番忙しい一週間なのに。

ファクスで「インボイス制度」についての説明会を開くと、法人会から誘いが来た。ファクスに「インボイス制度」の日本語訳が書いてある。
「適格請求書等保存方式」とある。
その枕詞に”消費税の仕入れ税制控除方式として”と書いてある。
これで理解できる人がいるのか、と思うと同時に、煙に巻くような言い回しは、「何が何でも税金を取るぞ!」
という国税局の決意は伝わってくる。

これでまたひとつ「搾取」されることに慣らされてきているのだろうな。