平日水曜日だったが、本日のランチはお休み。
江東区大島にある江東病院に診察に行った。この病院で勤務する先生が、非常勤で南新宿の病院へ勤めている。この南新宿の病院へは毎月診察に行っている。私の主治医の勤める病院だ。
先月の診察で、
「赤血球の値が微妙に変化しています。赤血球の値が変わるときにはガンの兆候が出ている時です。まだ数値が微妙ですが、一度検査してみませんか?」
という主治医からの申し出だった。
先月末、ガンで亡くなった弟のことがあり、素直に応じた。
病院到着は11時30分を指示されていた。
電車で30分ほどの行程。診察前の待機時間を考えて10時には出発した。
久しぶりの江東病院。7年ほど前前立腺ガンの検査入院以来だ。病院内の診察課の場所も微妙に変わっていた。診察のシステムも微妙に変わっていた。診察票にバーコードが印字されており、それを読み取る仕組みに変わっていた。総合窓口のカウンター内にはけっこうな人数が勤務していた。労働力不足には見えなかったが・・・。
心電図、血液検査、尿検査、レントゲン、CTスキャン、その結果を見て最後に主治医の問診となった。
結果、右肺に微妙な黒点が映っていたという。検査は日を変えて続く。七月の予約を取られた。合計5日間の検査とあいなる。
来週は胃カメラと伝えられた。
右肺の黒点のことを告げた主治医に聞いた。
これがガンの可能性はどのくらいですか?ガンでない可能性はあるのですか?
「いや、まだ小さいですから、影響は極めて小さいです。」
ということはガンが前提の検査と言うことですね。肺と伺いましたが、胃カメラでガンの存在がわかるのですか?
「胃カメラではわかりません。」
じゃあ、なんで胃カメラの検査を?
「この際身体の全ての状態をわかっておきたくて。」
入院はするんですか?
「検査での入院は、今回有りません。」
それは助かります。が、ガンがわかった時はまた身体を切るんですか?
今まで三度身体を切っていますが、切る度に体力がなくなっていきます。
「今度やるときは小さくしか切りませんから。右肺近くの小さな穴から手術が進みます。」
そこまでして長生きする必要がありますか?もう十分生きたんですが。
「大丈夫です。すぐに終わらせます。」
循環器の先生だから、自ら執刀するわけではないのだが、自信を持って答えられた。
検査が終わったのは夕方4時近く。
ほぼ5時間ほど病院に滞在したことになる。
バーコードやQRコードを導入して、病院の作業そのものは効率化したはずなんだが、人員数は減ったとは思えない。待たされる時間が減ったとも思えない。
だれかが楽になったんだろうな・・・。
少なくとも患者は楽になったようには見えないけど・・・。
素直という器
医大通り商店会の一大イベント「医大通り音楽フェスティバル」を毎年手伝ってくれる一人の工学院大学OBと飲んだ。
工学院大学という理系卒なのに、どういうわけか飲食の道を選んだ男だ。今年就職2年目の若者だ。
20代前半とあって活きが良い。好奇心も旺盛だ。しかしこの時期の青年の特徴で進むべき道を時々迷うときがある。
昨日もそういう時だったんだろうと感じた。快く飲みの誘いに乗った。
一通りの近況を聞き、彼に答えた。
お前の長所はね、素直なところなんだ。その素直さはなくすな。
毎日の仕事や苦情、自分の悩み、人からの相談。ありとあらゆる問題がお前の周りで起こってくる。押し寄せてくる。全部引き受けろ。
お前の器に入りきれなくても、入れる努力をしろ。人の話しを聞いて聞いて、真剣に受け止めろ。
お前のなかにある素直さが、周りが受け止めてくれると話してくれるんだ。
嫌なことも多々あると思う。でもそれを受け止めてることがお前の人間としての器を大きくしてくれるんだよ。
素直さは相手を受け入れる器そのものだし、嫌なことや苦しいことは、その器を大きくしてくれるんだよ。そうやって器が大きくなってくると、将来の彼女や子供たち家族、会社の中での部下、取引先など、お前の大きな器のなかに入ってくるようになる。
だから、今はその苦しいことを厭うな。自分自身の器が大きくなっている過程だと喜べ。
弟よ
末期ガンの弟を見舞った。
自宅で養生している。
弟はガリガリに痩せていた。
私とほぼ同じ身長で168センチくらいが、おそらく体重は40kg前後か。
骨と皮。
身体は動いていた。弱々しい体つきの割には手足を動かしていた。ただ動いている腕が何か当たった煽りでポキッと行きそうで、見ていて怖い。
「無理して食べろよ!そんな身体見たくもないぞ!」
食欲もないんだろうとわかってはいるが、叱咤するような感じで言った。
弟は小さく笑った。
言葉を返すほどの元気はないのか、食べる(生きる)ことをあきらめたのか、。
傍らに座っている奥さんの笑顔も弱々しくみえる。
元気でいる兄の私が申し訳なく思うほど弱い弟がたたずむ。
幼いときはよく兄弟喧嘩したのもこの弟だ。
4歳上の私にムキになって挑んできた弟はそこにいない。
私のお店にお客を連れてきてくれた。
連れの手前なのだろうが、
「兄ちゃん、美味しいよ。」
「何言ってんだよ、お前、飲んでるばかりで、ちょっとも食べてないじゃないか!何が美味しかったか、言ってみい。」
苦笑いしていた弟が、もう一度お店に来ることは、たぶんないのだろう。
弟よ。
よく頑張ったな。
身体痛いかも知れんけど、もう少しだけ、生きてろ。
兄のわがままだけど・・・
紫蘇
ほぼ毎日買い出しに行くお店の野菜売り場に青梅とともに並んでいる紫蘇を見つけた。
今年もやってきたか、とついつい感慨深くなる。
今年も紫蘇ジュースを作る季節になってきた。紫蘇は6月から遅くとも7月上旬ぐらいまでしか入手できない。1ヶ月から1ヶ月半。この時期でないと作れないのだ。
一回の紫蘇ジュース作りに、紫蘇はまとめて三把使う。
その都度けっこうな量の紫蘇ジュースを作りその量は2リットル入りペットボトル4本分ほどになる.。甘さは砂糖を使わず、糖質OFFの甘味料を使う。これを3~4回ほど、この季節に作り溜めする。紫蘇は強力な殺菌作用があり、常温でも一年は保つ。
お店でも紫蘇ジュース単体ほか「紫蘇サワー」なるメニューも置いてある。
紫蘇は身体に対してもデトックス効果や夏バテに効果のミネラル補給など様々な恩恵を恵んでくれる。
過分に作る紫蘇ジュースは、ふだんお世話になっている知り合いにも分ける。
今年はまだ控えめだが、蒸し暑さをともなう梅雨の季節に、歓ファンで唯一楽しめる季節行事だ。
お祭り
5月は毎年、第三週が西向き天神社(新宿6丁目界隈)の、第4週が花園神社(新宿1~5丁目界隈)のお祭りだ。歓ファンの前に通る医大通りをはさんでお店側が六丁目、反対側が5丁目側になり、お店の立地上その双方のお祭りに参加することになる。
ゴールデンウィークが終わると例年お店は閑散期になるのだが、私はお祭りモードに突入する。生まれ故郷の鹿児島には神輿文化が無く、新宿で生業を始めてから御神輿は初めて経験した。当初は店長を務めたお店が新宿三丁目にあったことから半纏は新宿三丁目の文字が入った者を羽織っていた。だから御神輿を担ぐようになってから40年ほどになる。
神輿に挿してある角棒を肩に押さえるように支えながら神輿を担ぐ。
これが、このコツが最初はわからず、鎖骨が折れるんじゃないかと思えるくらい痛い思いをした。
汗まみれの身体をこすり合い、肩は痛く、二日くらいは身体がギシギシ鳴るくらいに力が入った神輿だったが、厳つい連中との連帯感はなんとも言えない快感だった。
その神輿も今年は一回も肩を入れなかった。元気を一杯貰った神輿だったが、今は神輿を支える力が少ない。足腰に力がわかない。身体の高齢化だ。
自分ながら情けない。神輿について回るのが精一杯。
その祭りも終わった。
神輿を担ぎに来る人たちへの接待が、今年もできたと胸をなで下ろす。
今年一年一年が、正念場になってくるように感じる我が身体。
もう少しだけ、あと数年だけ、持ってくれよ。
平櫛田中
死にたくても、死にたくなくても、怖くても、嫌でも、やってくる「死」
4歳下の弟の余命宣告を聞いてから、けっこう考えさせられた。
もちろん今までだって「死」については何度も考えたことがあったし、どんどん身体の老化がすすみ、否応なく「死ぬ準備をしろ。」との神様の声は聞こえている。
知人友人のなかにも故人になった人はいる。身近になってきているのだが、まだ自分と切り離して考えているところがあった。
仕事がきつい。
身体的にきついのではなく、営業的にまわすのが厳しいと感じるのだ。
あ、訂正。身体的にもきついのだが、会社の未来(といっても数ヶ月~数年程度なのだが)を社長としての立場で考えると、人員補充を真剣に考える必要を感じているのだ。
私が倒れる、傷病で身動きが取れないという状況での、会社やお店の苦難を逃れる方法を見つける手立てが欲しい。
そのための人員補填だ。
生死は神様におまかせするとして、とりあえずまだ生きている。仕事(会社)が続いている。存続を優先させようと思う。
お先が見えない中で私の結論なのだ。
身体に不自由が少しずつ来ているが、まだ動いている。判断力もまだ残っているようだ。従業員の生活や借金など引退できる状況でもない。逃げられない。とすれば、攻めるしかあるまい。
普通にストレスなのだろうなと思う。これが寿命を縮める要因かも知れない。若い時だったら普通に反発力に変換することができるのだろうけど、まだその反発力が残ってるかな・・・。と思う今日この頃。
108歳で亡くなった、彫刻家平櫛田中。この方が98歳で発したという言葉、
「俺がやれねば誰がやる。今やらねばいつやれる。」
先達はえらい!
72歳になろうという今こそ倣わん。
でも・・・明日になれば・・・
強気と弱気が交互にやってくる70歳過ぎの毎日です。
BPPV
先日胃腸炎の話しを書いたが、日曜も体調がおかしい。
土曜日に兄弟、息子、孫と30名近くが集まった。
子供が10人程度、大人が20人程度。
歓ファンのお店を使った。だから料理は私が全部作った。
数日前から準備をし、当日の仕入れ仕込みもほぼ一人でやった。
仕込みが終わってからも、料理を出す段取りを頭の中で繰り返した。
けっこう神経は使ったようだ。
途中から宴席に加わった。会そのものは兄弟それぞれの子供たちが仕切ってくれた。タバコ組の弟たちは店外の灰皿が置いてあるところで話し込んでいた。私も加わる。余命宣告されている末弟なので、こういう機会は最後かも知れない。
酒の勢いも加わったが、調理という仕事の後で私の気持ちがまったく落ち着いてなかった。老齢と疲労と酔いがからまり、途中から参加する弟の子供たちが、弟の最後の話す内容を絞り込めさせてくれなかった。
兄弟とそれぞれの子供たち、孫たちが集まった会はとても楽しかったのだが、それを上回る疲労と仕事から解放された身体が、宙に浮いていた。
次の日、兄弟夫婦の会を持つつもりだった。が、まったく起きられない。身体が重い。起き出したのはお昼過ぎ。お店に入っている妻から電話があった。
鹿児島の次男夫婦がお店で待ってるよ、という電話。
隣のお店で長男次男夫婦の食事を取った。
私はハイボールを頼んだ。飲んでいる最中に少し目が回る。酔いだけのせいではない。。ハイボールはまだ一口程度しか飲んでない。
床の方を見ていた。急に視界がぐるぐる回る。
えっ、これ何?
座っているイスを掴んで踏ん張ろうとするが、今度は吐き気を催してくる。
先日の胃炎になったときと同じような症状だ。
弟夫婦に気を遣わせたくなかったから、平静を装うが、もしかしたら顔色も悪くなりかけていそうだ。
床ではなく、上の方を見ていたら症状が落ち着く。
えっ、これ何?
近くのホテルに向かう弟たちと別れ、いったんは隣の自分の店に戻る。
素直に妻に自分症状を話し、少し横になってから家に帰ると伝える。
「下を向くと目眩がする、吐き気がする」で検索をかける。
BPPVらしい。
難聴や下痢はない。
症状は一致する。
60歳以上、つまり高齢者にでてくる比率が多い。
疲れやストレス、睡眠不足が誘発するとも出ていた。
全部当てはまる。
年を取って初めて体験することが増える。
見た目は若作りでも、確実に高齢化しているようだ。
末っ子弟の余命宣告。鹿児島から出てきた弟のヨタヨタ歩きの危なっかしい足下。
三組の兄弟夫婦6名。集まってくれた子供たち孫たちから、本物のじいちゃんばあちゃん扱いは、数十年前の私たちが接した自分たちの親たちと同じじゃないかとあらためて愕然とする。
時の流れ。
初めて経験した「BPPV」も老化を確実に教えてくれた。
座右の銘と好好爺
久しぶりの友が来た。
友がその友人を連れてきた。
そのみんなと、仕事終了後に呑みに行った。
まだ体調は戻っていなかったが、それを忘れさせるくらい楽しい時間だった。
話しは座右の銘になった。
昔と今の私の座右の銘は違う。
昔の方の座右の銘「泣くよかひっ飛べ」だったという話しになった。
薩摩の昔から語られていた言葉だ。
目の前に川があって、それを飛べ越えられるか悩んでいる(泣く)くらいだったら、飛んでみろ。飛び越せるかも知れない。飛び越えられなくても川底に足がつくかも知れない。飛んでみなきゃわからないことだ。つまりは、まずは行動を起こせ、やってみろという教えだった。
あれこれ慎重に考えるより、先に動いていた私だった。聞こえは良いが、要はけっこう軽率な私だった。だから怪我する(手痛い思いをする)ことも多かった。
それでもこれまでの人生を振り返ったときに後悔は少なかった。失敗が次の次善策を教えてくれた。
でも、これは行動を起こせるパワーが私にあったこそだった。
老いてそのパワーが少なくなった今の私にその座右の銘がしっくりこない。
友には、今の座右の銘は「天網恢々疎にして漏らさず」と伝えた。
悪いことも良いことも誰かが必ず見ている、ごまかしたり騙したりしてもいつかはバレるよという意味合いなのだが、この歳になると、いつもの通りの行動になる。そしてそれは顔に出るよ、出ているよ、と。
今となって新しいことをやるにはパワー不足だが、今までやってきたことに悔いはないし、間違ったことをやったとも思ってない。
誰に褒められるわけでも認められるわけでもないが、でも、お天道様は知ってるよね、これからもできる範囲でいろいろやっていくからね、という意味で私は使っている。自分に恥じないか、という基準。
友たちも大いにうなずいてくれた。
この歳になってこういうことを語れる友がいてくれるのが、私は恵まれている証拠かも知れない。
三人ともそれぞれに好々爺の顔になっている。
美味しい酒の一晩だった。
胃腸炎
22日土曜日夜、突然胃がむかついてきた。
8時過ぎだったと思う。
お客様は残っていたが、料理はほぼ出終わっていた。
厨房のイスに座り、お店の終了を待っていた。
突然、喉元に胃液が上がってくる。
わ、わ、わ、あぶない・・・
トイレに駆け込んだ。
この日は4回ほどトイレに駆け込むことになった。
身体はグターとなる。
家にいる妻に電話をかけ、レジ締めを頼んだ。
お客様がいなくなっても身体に力がみなぎらない。
客席のイスを並べて横になる。
片付けが終わり、従業員が帰る段になっても起き上がれない。
ほぼ連日の酒飲みが影響していたと思われる。
翌日の日曜日、新宿三丁目で会合があったが、顔だけ出して帰った。
後はひたすら寝て体力の回復を待った。
24日朝、体重を量った
73kg。
なんと胃腸炎を発して二日で3kgも減ったことになる。
いまだ力が出なくて、我ながら弱々しいが、
体重が減って少しルンルンになっている自分がいた。
馬鹿だねぇ
料理教室当日
3時半に目が覚めた。
ヤバっ!寝過ごした。
3時半じゃ間に合うはずもないのに、ガバッと起き上がり、シャツを着込んで部屋の外へ・・・
窓の外が暗い・・・
えっ?・・・何で暗い・・
あ、まだ、夜か・・
寝たのが夜半の1時頃だったのだが、寝過ごしたと感じるくらいぐっすり寝ていた。
料理教室のレシピ3枚綴りを作り上げたのが11時過ぎ。、持ち込む道具類を確認し、生もの以外はバイクに詰め込んで準備は万端。
それでも気は張っていたのだろう、3時半という目覚め。
料理教室は四谷区民センター。

受講生は20名ほど。
前回開催したのがコロナ前だったので、たぶん6年以上前。
それも二戸調理長がいた時分だ。私が講師側として登壇するのは初めて。
教室の内部は知っていても、IH調理台の操作方法とか、ボールなど器財場所などはまったく把握できてない。
レシピは作っていても、厨房とはまったく環境が違う場所で、受講生のレベルも、段取りに携わっている方たちの技量もわからない状態で、頭をフル回転させていても、果たしてうまくいくのかどうか・・・。
10時5分くらい、スタッフや受講生に集まって貰った。
大まかな流れと、レシピの説明などを話した。
割と若い方が多い。30代~40代が半分程度、50~60代が約10名、70歳代と覚えし方が10名程度という構成。
料理は3品。実質的に作るのは2品。
料理教室案内画像では「炒飯」が書いてあるが、前回のブログで書いたとおり、炒飯をなくして、春菊ハルマキと鶏軟骨甘辛炒め。
けっこうたくさんの油を使う。しかもIH調理器具でだ。
お店の厨房での段取りとはかなり違う。
(わぁ、けっこう、かなり要領よくやらないと時間通り終わらないぞ!)
まず感じた不安だった。
教室内の引き出しを全部開けて、器具の位置や在庫数を確かめた。
悲しいかな、歳のせいか覚える束の間に、直前に確認した物が順次うろ覚えになる。
必死で、作業の流れを、使用する器具の確認とともに、タイムスケジュールを頭の中で組み込む。
(サブでサポートするメンバーが一人欲しい!)
お店で片腕を務めてくれる女性は、スケートフィギア選手並みにクルクルと会場中を走り回っている・・
こりゃ頼めないや。
壁時計を見ながら、受講生やスタッフに集合をかける。
「みなさん、おはようございます。これから料理の講習を行います。調理歴はそれなりにありますが、指導はさほど慣れていません。この会場を使うのも初めてです。みなさんとの出会いも今日が初めてです。初めてづくしが多々あります。ここはみなさんと共同作業での料理教室としたいと考えています。よろしくお願いします。」
2リットル入りの油を3本用意したが、20名5テーブル分は、これで足りるかどうか。メインテーブルにかけてあったお湯が沸いた。
「春菊は、小分けしてある皆さんの分まとめて湯がきましょう。湯がいた後に5等分します。」
なるたけ受講生に実施して貰うようにして、私の手や目は極力空けるようにした。
「手の空いている方は、春巻きの皮を止めるノリ作りです。小麦粉をこの程度ボールに入れて、水を少量ずつ加えてかき混ぜます。」
1個だけサンプルを作り、皆に見せた。
「次は10枚入った春巻きの皮を、巻きやすいように剥いておきます。」
こうやって生徒自ら動けるよう仕向けていった。やりながら(案外この方法は活けるかも・・・)と夢中になり始める受講生たちを観察していた。
一つ一つの工程を、1度だけ見せながら、受講生たちに促していった。
料理を受講するだけ会って、調理することに抵抗はないのだろう、慣れない手つきでも順次実行に移していった。
時間内に終えるべく、レシピ工程も極力「簡易・簡単」にした。
サブタイトル「プロが教える手抜き料理」と題目通り。それが受講生が行動に移しやすかった理由でもあったと思う。
11時15分ころ。ほぼ全部のグループが調理を終えていた。
恒例のスタッフの一人が、出来上がった料理を隣の試食ルームに運ぶように促す。残った方たちは片付けするようも伝えていた。
テキパキとはいかないが、けっこうスムーズにいった方だと思う。
試食が始まり、同時に質疑応答も始まった。感想もそれぞれが話した。特に春菊の春巻きは、概ね良好な感想だ。
良かった・・・と心から感じると同時に、疲れもどっと出てき始めていた。私は自分の分の試食はほとんど手をつけられなかった。食欲がまるで湧かない。
もういいな、依頼が来ても三年はこの料理教室は断ろう。
![梅日記/中国料理 歓[fun]公式ブログ](http://ume84.net/wp-content/uploads/2015/08/梅日記.png)