夏の終わりに

「夏の終わりに」というタイトルにすると、歌謡曲にでも出てきそうな文句だが、内容は悲惨だ。
8月が今日で終わる。8月の売上最悪だ。
手の打ちようがない・・・・というのが実情だ。
あきらめちゃ駄目だが、打つ手がないというのはひたすら耐え忍ぶしかない。
いろいろと考えてみたが、人が集まることをしちゃ駄目というなら、方法が見えない。

月末は当社の給料日。
今月もなんとかかんとか給料を、ほぼ満額で出すことができた。
もちろんできる限りに時短には協力して貰ったが、働いた分の給与は出すことができた。後は家賃・・・・。

その給料日、給与を渡しながらメモを全員に手渡した。
内容は
-------------------

これから(アフターコロナ)について

1、コロナの終焉時期。
・コロナワクチンが市場に出回る時期。
・コロナ感染者数減。
・政府など公的機関からの終息宣言。
・コロナ終焉時期              10月~11月。あるいは来年春頃。

2、コロナ禍による経済状況の回復
      コロナウイルスを抑制しても、落ち込んだ消費回復は時間がかかる。
      私の予想は、コロナ以前に戻るのは2年以上かかるとみる。
      その指標のひとつが忘年会予約数。
コロナはその後押しをした形になったが、昨年10月の消費税増税より消費はかなり重くなった。落ち込んでいる。忘年会シーズンである程度回復しなければ、後継者がいない現在、歓ファンは廃業が視野に入る。とすると、継続か廃業かを判断するのは11月前後。残り3ヶ月ほど。なお、決定は12月末。

3、店舗継続できるかどうかを判断するまでに3ヶ月。
  この3ヶ月で何ができるか。

コロナ禍が収まったとしても、テレワークなど大企業および現在都心部で事業を行っている会社の地方や郊外に向けての分散化が始まる。特に家賃の高い都心4区(千代田、港、中央、新宿)の経済状況回復は鈍い。

これは縮小する会社関連の需要が減ることを意味する。つまり忘年会などは昨年通りに期待できない。逆にお節などは工夫次第で伸びる可能性がある。店舗に行かないデリバリー、テイクアウト、通販と言ったEC(電子取引)サイト需要だ。

4、デリバリー、テイクアウト、通販

ECサイトは、リアル店舗が顧客に見えない分、見せ方に工夫が必要になる。
そして受注、発送業務、入金システムなどこれまでにないオペレーションを学ぶ必要が起こる。食品を扱うだけに、シャショクル(社食用弁当ブランド)などで扱っている弁当業務に匹敵するレベルの衛生管理が必要になってくる。幸いにして、シャショクルで培った経験は大きい。

--------------------
と、書いたのはここまで。
現状分析だけだ。対策が書いてない。書けないのだ。
ここまで書きながら、具体的な指示ができない。
情けないリーダーだと、つくづく思う。

8月の終わり。明日から9月。
対外的に変化が起こるだろうか。
こういう他力本願は私の趣旨に合わないのだが。
何かを変えたいと痛切に思うのに、その方法を見つけられない。
テイクアウト、デリバリ、あまり効果が上がってない。

さあ、9月だ。
潮目が変わる。
何かが変わるぞ。
私の中でも、きっと何かが変わるぞ。
きっと・・・・・・。

67歳のポンコツ

誕生日は2ヶ月先だが、今年67歳を迎える昭和28年生まれ。
コロナ禍の最中であり、金策や集客などそれなりに心労が重なる。
そのせいもあるのだろうが、非常に疲れやすい。疲れやすいというか、疲れがとれないまま翌日を迎えている。

今日、郵便物が6通、届く。
商店会長宛が1通。クレジット系の販促申込書1通、年金事務所から4通。
ハサミを入れ、中身のすべてを確認する。
すべての郵便物に返信やそれなりのアクションを必要としている。同じ程度の数の郵便物はよく届くが、読むだけで終わる場合がほとんど。だのに全部にリアクションをおこさなければならないのは珍しい。

で、どれから手をつけるか順位をつける。それぞれの封筒にリアクションの内容をマジックで書く。こうしないと郵便物存在そのものを忘れるのだ。
リアクションの手段や相手先の判断が、まだできるから、ボケてはいない(と思う)。
そうやっていても時間が経過すると封筒をしまった場所を瞬時に思い出さなくて、(えーっと?えーっと?)と整理した場所を探すこと往々。
ヘタすると、探している途中で(あれ、俺、何を探してたんだっけ?)
と、唖然とすることも往々。

ポンコツになってきたのだ。
とつくづく思う。
車や家電製品だと、買い換えの時期なのだ。
でも人間は・・・・・。

ポンコツになってきたこの時期にコロナ禍に出会う。
たいへんだ!
でもそれは私だけの話ではない。日本全国たいへんだ。いや世界中がたいへんだ。ポンコツになってたいへんだったら、私だけの問題ですむのだが、老いも若きも、金持ちも貧乏も、男も女も、頭の善し悪しに関係なく、たいへんだ。
満遍なくコロナは「たいへん」を持ってきたのだが、このポンコツにも皆と同じようにたいへんが回ってきた。
神様がポンコツなりの解決策を見つけろという掲示だろうと、私は考えてしまう。私が神様に問いかける。
「えーっ、こんなポンコツな車になったのに、まだどこかを走らせるのですか?」
意味があってのことと尋ねたのだが、答えが返ってこない。私の頭の中に神様が答えを出してくれない。
・・・・・・・・・
あ、そうか!
私についていた神様もポンコツになったんだ!
きっとそうに違いない。


高齢者

ある飲食店に紹介した職人さんが、紹介先を辞めた。
辞めたという電話がお店の方からあった。
いろいろとあったのだろうと推察する。
その数日前に、辞めると本人から言ってきた。
職場環境でよくよく悩んでいたようだった。

65歳。私より2歳年下だ。
彼はこれまでに務めていた会社環境によって年金も微々たるものらしい。
せめて家賃分だけでも稼ぎたいと言ってる。
年齢を重ねるたびに仕事探しは難しくなる。
それでも辞めるという選択肢を取った。

コロナという災禍がやってきて、会社そのものが閉鎖、倒産するところが増えた。そこまでいかなくとも飲食店にとって人件費の削減は必至だ。削減対象に高齢者が先にあがるのは当然だ。
身につまされる。

歓ファンも、高齢者が多い。
歓ファンがなくなれば、早速仕事に困る人たちだ。
私も同様だ。
だから何とか踏ん張りたいと、改めて思う。

男は不器用だ。まじめな性格であればあるほど、生き方も不器用に生きる。
これまで仕事一辺倒だった男が、定年退職で家庭にいる時間が多くなればなるほど、家庭内での器用な役回りが出来ない。家庭の中で大きな障害物となる。
例えば奥さんが洗濯物を取りに行くにも干しに行くにも、目障りな障害物があって、直線距離で作業できない。
(わたしが洗濯しているのがわかっているのに、この人ったら・・・)
という感情が芽生える。
男だって、そんなに鈍いわけじゃない。奥さんのイライラは伝わってくる。ここから男の不器用が出てくる。対処の仕方がわからないのだ。

女と男の根本的な違いがある。対処方法ができる女と、目的を作って動く男の差だ。
何にでも例外はあるが、泣くしか表現方法を知らない赤ん坊を、赤ん坊の立場になって考えられる女と、自分本位の楽しさを知らせようとする男の違いが大きいと思う。
電気や電波など発見したのはたいていは男だ。冷蔵庫や洗濯機、テレビを作ったのも、だいたいが男だ。出来上がった冷蔵庫や洗濯機を活用しているのは女だ。そういう違いがあると思っている。冷蔵庫がない時代よりもはるかに便利さを享受していると思う。
でも、いつの間にか女だけが負担がかかり、男は享受するだけだと責められる。
根本的な違いが男と女にある。

しいて言えば、0から1を作るのが男の役割りで、1を2に、3に増やすのが女の役割と思う。攻めるのが男だし、守るのは女が適している。ただし何事も例外があるので、誤解のないように。
男女ともそれぞれが必要なのだ。必要だということは、お互いにないものを相手が持っているから。

歳をとってくると、身体に様々な変化が訪れる。
ボケもそうだし、身体的にも不具合が起きてくる。車と一緒だ。
新車で購入しキビキビ動いていたのが、年数とともにあちこちにガタが出てくる。車につく多少の傷や錆はもちろんのこと、ドアがぎーぎー言ったり、エンスト起こしたり。
人もいつしかポンコツになる。そういう年齢に私も、紹介した方もなってきた。

そういうポンコツになる流れの中で、仕事がなくなるということは、生きるための糧道を絶たれるといった感じだろうか。
難しい時代になったと思う。思うと同時にこの変化についていけない人たちも出てくる。
私とて、例外ではない。
紹介した人のとった「糧道を絶つ」という選択肢に、先行きがとても心配になる。心配は私の明日でもある。

男の不器用さを語るつもりで、話しが脱線しながら、とりとめの話しになった。

感染拡大予防ガイドライン

「新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」なる案内が飲食組合から届く。細かく予防方法が書かれてある。
読んでいて、ため息が出てくる。
チェック項目をいくつかご紹介する。
◆店舗入り口や手洗い場所には消毒液を用意している。
この程度はやっている。
◆店内が込み合う場合には入店をお断りしている。
これもやっている。もう少し入りそうだなと思っていても、4人席に2名だったりする。入り口近くで待機してもらうこともあるが、時期柄ドアは開けっ放し。表の熱気と道路側に設置してあるエアコンの熱気が、空いているドアから入ってくる。そこでお待ちしているお客様、汗をぬぐいつつ待つ。
◆お客様が入れ替わるたびにテーブルやカウンターを消毒している。
これも従業員がこまめに拭いている。

他にも多岐にわたってチェック項目が並ぶ。アクリル板こそ設置してないが、そこそこ合格範囲だと思う。
しかし、各項目にチェックを入れるたび、気持ちの中に空しいものがこみあげてくる。まるでお客様(従業員)がバイ菌扱いだ。
近くによるな、触るな、接触したら消毒だ。
これじゃお客様は来ないし、集められない。

先日7名様の予約があった。
歓ファンの円卓は通常8個の椅子が並べてある。多い時には10名様座っていただく席だ。
しかし、この日。
予約のお客様が店内に入り、円卓を確認されてすぐ、
「あー、まずい、まずい。」
「今、5人以上、同じ席に座るとまずいんだ。」
「別な席を作ってください。そこに4人、3人で分けて座るから・・・」
このコロナの時期でテーブルは空いている。まったく差し支えない。
でも・・・・・。
8席の円卓、6人掛けの角テーブルにそれぞれ4名、3名でセッティングする。
でも・・・・・。

大4人升席に1人で座らせる大相撲を思い出した。
(これじゃ、商売にならない。儲けられない。損するかもしれない。)
損かもしれないと感じつつ、商売を続ける意味を、ソーシャルディスタンス席にお客様をご案内しながら、ついつい考えてしまった。

心の中の、歯を食いしばって、燃え続けさせている火が、また一つ消えたような気がする。

「山の日」に思う

長い梅雨が明けたと思ったら、強烈に暑い日々が続く。
夏だ。そしてお盆がやってくる。
あまり孝行息子でない私は帰省するでもなく、例年山登りにいそしんでいた。

お盆まではどの山も混雑する。山小屋は定数以上の宿泊客で込み合う。
「避難」という性質を持ち合わせるために、基本的に山小屋は宿泊する人を拒めない。だから一つの寝具に2名、3名泊めるのもありだ。
混雑する時には、夫婦でも、男性女性と振り分けられて別々な床で寝る。
隣客を選べない。寝返り打つのも気を使うが、イビキをかく客が隣だと最悪になる。

それを避けるために、私はお盆過ぎ1週間目あたりに行く場合が多かった。
断然空いている。
日程に合わせて、列車時間を調べ、駅から登山口までのバス時刻を調べ、およその登山工程時間を計算し、そのほとんどが縦走だったために、帰りのバスや駅も調べた。何日もかけて駅や地元情報を集めた。
そしてそのほとんどが私の一人登山だった。
テントなどを持参するわけでなく、カメラと数日分の着替えと食料をリュックに詰め込み、山小屋に数泊する、割と簡易な登山だった。

それでも尾根伝いを歩くときに、滑落しそうになった時がたびたびあった。

突然の雨に会い進退窮まったことがあった。ただひたすら岩陰に潜み雨の過ぎ去るのを待った。ヤッケの隙間から冷たい露が入り込む。
(これ、30分以上続くとやばいな!)
低体温になり自分の唇が紫色に変化しているのを感じる。

濃霧に包まれ1m先も見えず、恐る恐る歩を踏み出した瞬間、風で霧がサーっと晴れると、目の前に切り立った崖が現れ、ドキッとしたこともあった。

一人登山だったために、もし滑落などの事故があった場合、助けてくれる人もいないし、たぶん数日、数か月見つからない場合だってあっただろう。

無責任だが、自分の運試しみたいな気持ちで山登りに臨んでいた。自身で商売していて苦しくて仕方ない時に、一つの運試しに山登りを選んでいた。
(俺に運がなければ、このまま逝っちゃうだろうし、運が残っていれば、下山後の運だって俺に回ってくる。)
何の根拠もない運試しに登山を使っていた。
もし遭難などしたら、迷惑千万な奴だ、私は。

運試しだったが、でも山は楽しかった。苦しいこと(主に商売のことだったが)をすべて忘れられた。体の中のエネルギーがすべて入れ替わり、新しいパワーが入ってきた。

前立腺の手術後それができなくなった。尿障害が残り、登山最中の処理を考えると、面倒であり鬱陶しかった。
山が遠くなった。山に行かなくなって今年が4年目になる。

事業承継

コロナ禍で否応なく事業承継を考えざる得ない。
お店を助ける、ひとつの方法でもあるからだ。
ホールで働く72歳の女性がいる。気働きができ、私が最も信頼できる女性だ。この人がいるから、私が外で動ける。そして何よりお店のことを芯から心配してくれる人だ。
だが、年齢的に後継者には難しい。となると後継者は現在一人しかいない。
50歳の調理長だ。
一度だけ事業承継のことを話した。
継承時点で調理長が負担する金銭的部分はない。彼にとっては”おいしい話し”のはずだ。さすがに彼は即答はできなかった。

機会があればこれからも話していこうと思う。ただしコロナ禍で、時間が非常に限られてきている。間に合うかどうか・・・・・。

歓ファンの隣にイタリアンがある。元々アゼルバイジャン料理店だったところを居ぬきで買い取った会社があり、その店長を務めていた。一定の年数がたったら彼のお店になる契約だと語ってくれた。サブリースで運営したものを、後々フランチャイズに移行していくシステムのようだ。

今回のコロナ禍、このイタリアンにも大きな欠損を出している。飲食店全部に言えることなのだが、この店長(現在はオーナー)もメンタル的に弱っている。
が、彼はまだ借金していない。その借金を私は彼に薦めた。
彼は逡巡している。

ある意味、調理長とこのイタリアンの若きオーナーは似通っている部分がある。
経営者の資質の重要な部分だ。
一言でいうと『勇気』だ。一歩踏み出す勇気だ。
どんなに才能が有っても、この『勇気』がないと一生人に使われることになる。
勇気のないことが駄目ということではない。
リーダーに必要な資質の大きな要素に「勇気」が必要だということだ。
リーダーにならなければ、例えば参謀だったり番頭さんの役割が性格的に会う方もいるし、この方たちに「勇気」はさほど重要なファクトではないし、むしろ「冷静さ」「慎重さ」が必要だったりする。だから勇気がないことを攻める気持ちは毛頭ない。
でもリーダーには「勇気」は必須だ。

残念ながら、イタリアンオーナーも調理長も今は、この勇気が振り絞れないようだ。今が勇気を絞り出す時ではないのかもしれない。生きている間には、こういうチャンスが少なくとも3回は巡ってくると私は思っている。
残念ながら事業承継を考えるこの時期ではなかったのかもしれない。
引き続き、事業継承を薦めてはみるが。

コロナ第2波

コロナ第2波と言ってもいいのだろう。
まったくお客様が来ない。緊急事態宣言当時に逆戻りしたみたいだ。
売上は激減!

人と会う用事で丸の内国際ビルに行ってきた。待ち合わせ場所は私の元従業員が店長をやっているお店。有楽町駅に直結するビル地階の飲食街にある。5時に待ち合わせで、滞在時間は7時半まで。
通常であれば三丁目に負けないくらいにぎやかな飲食街なのだが、まったく1人のお客様も来ない。通路側の席で飲食。曇りガラスの壁向こうは通路。ガラス越しに通路の雰囲気は伝わる。が、歩く人の気配はない。帰り際この地下街を周回して帰ったが、全部の店舗に一人もお客様いない。驚愕!
平日木曜日夜の7時半だよ。

その足で新宿三丁目経由でお店に帰る。
新宿三丁目もガラガラ。一回りして数名程度いるお店が、ホント数軒。
死んでいる。

そのまま三番街商店会を通過。もっとひどい。
ノーゲストのお店以外を探すのが難しい。20店舗程度はある商店会で数名程度のお客のある店が2軒。

さて、いよいよ我が医大通り商店会・・・・・・・。
いない!
どんなに少なくとも、顧客でカウンターの半分が埋まっている「鳥せん」(隣の焼き鳥屋)もノーゲスト。女将さんが電話していた。
「あんたんとこ、焼き鳥食べない?持って行くわよ」
押し売りデリバリー!顧客を持っているお店ならではの無茶ぶり。

近日オープンした「博多食堂」は一人。「生ハム」2名。「ワイン事務所」2名。
そして「歓ファン」・・・・。
カウンター1人とテーブル席に1人!
おお、勝った・・・・じゃないよ。

尋常じゃない!
何より怖いのは、この状態がいつまで続くかわからないことだ。
運転資金も底をついている。
(こりゃ、お店、持たん!)
率直な感想だ。
かなりの数の倒産が出てくると思う、これから数か月で。年末まで持たないお店・・・・。

Go to なんちゃらやら、アベノマスクやら、的外れな政策が多い。多過ぎる。
親しくしている議員に言った。
コロナで亡くなる人よりも、経済的に亡くなる方の方が多くなりますよ。
その時には”殺人罪”や”殺人ほう助罪”は適用にならないのですか?って。

政府、何をやってますか?
これほど無策を呈するとは。これでは民主党と同じだ。
原因はひとえに、困窮する人たちのことを『他人事』だと思っているから。
一人くらいボーナス返上を申し出る議員いないのか?
ボーナスは翻訳すると賞与。言い換えると結果報酬だよ。
結果出してないのにボーナスなんて。
自民党、つぶれるよ。代わりになる政党がいないけど・・・・。

何より腹立たしいのが、マスコミだ。煽るだけ煽って、ただただ不安だけが膨らんでいく。

今週の産経新聞コラム「週刊ウォッチィング」の記事から抜粋
—————————————————————-

『週刊新潮』はこのところ一貫して「騒ぎ過ぎ」論を展開しているが、今週(8月6日号)は高橋泰氏(国際医療福祉大学大学院教授)の説を紹介。題して「実は3人に1人は感染済み! 『コロナ拡大』を恐れる必要がないこれだけの根拠」。

 〈「新型コロナは毒性が低いので、抗体を出すほどの外敵ではなく、自然免疫による処理で十分だ」と判断。このため獲得免疫はなかなか出ないが、その前に自然免疫の力で治ってしまうことが多い--〉

 高橋教授によると「自然免疫」は「お巡(まわ)りさん」。攻撃力は高くないが、病原体が侵入してきたら排除しようとする。一方「獲得免疫」は「軍隊」。1種類の敵にしか対応できないものの、殺傷力の高い抗体が、いわばミサイルとなって敵を撃墜する、という。 5月10日までの日本人の「暴露(ウイルスが体内に入り込むこと)」率は〈30~45%〉、つまり国民の3人に1人がすでにコロナに感染済み。しかも、〈暴露した人の98%

 で、結論。

 〈インフルエンザよりはるかに弱毒性で、無症状者や軽症者が多いウイルスに対し、インフルエンザと同じ対策をしていては、弊害が大きすぎます〉


リニューアルオープン

23日から店内リニューアル。といっても壁紙の張替えだけ。
それでも結構大掛かりな工事になった。
まだ運転資金がある程度残っており、コロナ収束後の巻き返しを図るために4月に決定し、改装資金の3分の2を業者に払い込んでいた。
私の中での予定では、遅くとも6月末にはコロナ収束し、7月には6~7割程度は回復するだろうという見込みだった。そこへ「リニューアルオープン」と銘打って、7月下旬か8月上旬に、芸人さんなどを手配し、プチ祝宴をお客様とともに披く予定だった。

7月になって数日はランチも回復し、心の中で(ヨッシャー!)と叫んで間もなく、200人台の感染者数が連日続く。同時にランチ客もディナー客も急速にしぼむ。

でもね、お店きれいになったからね。壁紙だけのリニューアルだけど、見に来てね、神様、仏様、お客様。
昨日は埃だらけのグラスや食器も洗い直し、床のクリーニング、ワックスがけもすませ、スタッフ全員で明日からの準備をすませた。
今、きれいになったお店に必要なのは、お客様だけです。

お待ち申し上げます。

コロナ再び-その2-

ここへきてのコロナ感染数、連続増加の報。
ランチだけでも通常の8割程度まで戻ってきたと思ったのに、先週の金曜日、そして今日、月曜日。ランチ数の伸びが重い。
夜はさらに厳しい。
「倒産」という川を背にした「背水の陣」は、連日コロナの波状攻撃を受けると、実に厳しい。気を吐いているのは数日前にオープンした「博多ラーメン」のみ。ま、開店ご祝儀の分も手伝っているのだろうから、少し差し引いた繁盛と思ったほうが正解だろうけど。

本日3時ころ社員を集めてのミーティング。
今までは短縮勤務や休暇を薦めていたが、社員の給与は満額出していた。
しかしここにきて運転資金が枯渇してきた。
とにかく売上がない。なさ過ぎる。
お昼が戻ってきたなぁと少しホッとしていた矢先、この連日の感染者数増。

具体的に1週間のシフト表を提示し時短の指示を出した。たぶん給与は2/3程度になる。社員の生活を考えると、この減額はかなり厳しいと思う。思うが、この数日の売上や、数か月先、1年先の売上予想を考えると、会社の倒産が現実味を帯びてくる。

このブログでは、なるべく悲観的なことは書きたくない。
私は達観(開き直っている)しているのだが、この段になってもまだ生き残りを謀っている。

「色即是空、空即是色」
形あるものは、いつかはなくなる。
そうは思っていても、もう少しあらがってみようと考える。
2、3手は打つ手がある。その手が悪手かどうかを確認している最中でもある。

どうなるのかな・・・。
まったく読めないな・・・。
読めないから、どういう手が正解か、も読めない。
かといって、行き当たりばったりでも行き詰るのは目に見えてるし。
ここが経営者の力の見せ所なのになぁ。
と、最善酒を目指して

コロナ再び

コロナ感染者数が減らない・・・どころか増えている。
そのたびに”東京””新宿””歌舞伎町”と連呼されれば新宿からお客様が逃げていく。それどころか、地方から「東京の人間は来ないでくれ」と・・・・。
コロナ=東京じゃないか!

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
どう考えても騒ぎ過ぎだと思う。
コロナで倒産、自殺という方も少なからず出た、と聞いた。
このポスターに書いてある通りテレビ局が煽りすぎだ。
日テレの「スッキリ」という番組。
コロナ禍でも人手が出ている場面が欲しかったのか、アーチのかかる「歌舞伎町一番街」の看板が画面に映る。
うんざりしながら見ていると、次に映る画面は見たことのある街角が数点。1秒もしないうちに切り替わるが、間違いなく新宿三丁目の風景だ。一見、人がたくさん出ている風に見える。しかし実際はコロナ禍で通りに椅子テーブルを出して三密を避けている店舗の工夫なのだ。だから店内はガラガラ。これだけ「歌舞伎町」、「ホストクラブ」と連呼すれば歌舞伎町だってガラガラだ。
それだとテレビ的に絵にならない・・・・・・。
それが「歌舞伎町一番街」のアーチ看板であり、新宿産地丁目界隈の路上飲食だ。


コロナ前の原宿竹下通りを、コロナ後でも人通りが絶えない場面で使った、テレビ局の小汚い手口と一緒だ。
でも、たぶんこれはテレビ局は関知していない。下請けの番組制作会社の仕業だ。安易に請け負い、身勝手な忖度をし、面白、可笑しくを趣旨とする制作会社の判断だ。
もちろん最終的な責任はテレビ局にあるのだろうが、キー局もそこまで気も手も回らないというのが実情だと思う。下請けに回す制作会社の質が確実に落ちているし、そこに勤めるスタッフが仕事や世間をなめているのだ。いつかしっぺ返しがくる。

コロナが、メンタルの弱くなった日本や日本人をあぶりだしている・・・・・・・。