ウクライナ

5月連休。日本ではゴールデンウィーク。長々と続くコロナ禍が治まりそうとあって、政府はウィズコロナとともに経済を回す方向に舵を切った。おかげでゴールデンウィークは各地で混雑のニュースが入る。
息子たち家族は読売ランドに行ったそうだが人混みは多く、アトラクションに1時間待ちは普通だったと話していた。

歓ファンは3日から5日までお休みだが、初日は家でグータラしていた。夕方息子たち家族と食事をともにし、上記の混雑ぶりを聞いたのが、ヘタに出かけないで良かったと胸をなで下ろす。

そういう平和な日本に、ウクライナで戦禍のニュースは連日入る。
戦禍のウクライナ情報を移し、暴挙したソ連を非難するニュースがいろいろと流れてくる。
日本には憲法第9条に「戦争放棄」がある。
第二次世界大戦に敗北した日本が二度と戦争はすまいと決意した条文だ。
これはいい。
勝っても負けても多大なる負担が双方にかかる。
悲哀が舞い、ともなう遺恨も残る。
戦禍で亡くなる、あるいは亡くなるかも知れない家族を思いやると戦争なんて何のメリットもない。

しかし軍隊を置かない、武装をしない話しとは別な観点が必要と思う。
戦争やが起こす基本的な要因は、私は独断で2つしかないと思っている。
食料と女の奪い合い。食料は生命の維持に直結する食欲。女は子孫を残すという遺伝子レベルの欲求。
これらの欲求が満たされなくなってきた時に、マグマがたまり、集団としての先頭、つまり戦争が起こってくると思う。
食料と女の奪い合い。ほとんど動物レベルの争いだ。
でも人間も動物もレベルの差は、人が思うほどないのでは。

日本と同じ非核三原則を唱えるウクライナのニュースを聞き考えさせられる。
日本が戦争を放棄したとて、戦争しか解決方法がないと考える国から戦争を布告されたら・・・・。
ロシア、北朝鮮、中国。
領土問題を抱え、宣戦布告する可能性がある国だ。
可能性はゼロと言い切れない。

他の国から来た兵隊が日本の女を蹂躙しているのを、私は見ていられるだろうか、と問う。
もうすぐ70歳に届こうかという年の私が想像しても、指をくわえて眺めているということはできない。耐えられない。
体力でヨボヨボだとしても、女や家族をきっと守ろうとする。
戦争があってはならないし、してもいけないと思う。
でも、仕掛けられた時には、この国を守る。

息子夫婦と孫と、妻と5人で会食をしながら、家族の笑顔に(恵まれている)と感じる。その家族を無理矢理引き離される、失う、という惨禍に巻き込まれているウクライナの人たち。
惨禍に巻き込まれていても自分たちの国は自分たちで守る、自分たちの家族は自分で守る意思を示しているウクライナの人たち。

良い結果が訪れます様に。

全国的に交通安全週間パートⅡ

交通安全週間の最中は毎朝8時から45分ほど日清食品前交差点に立っているのだが、この交差点のすぐ近くは歌舞伎町であり、歌舞伎町とこの交差点の間にはラブホ街も隣接する。この交差点に立って歩行者を見ていると、いろいろな人生模様が透けて見える。

1、
時間は8時と、足早に会社に向かう方が多い。
そのなかにフラフラと歩く一組の男女。
男は空を仰ぎながらマイペースで歩く。女はそんな男の腕を捕まえながら流しのタクシーを物色する。20代後半だろうか。
あきらかに女が男に惚れている。たぶんホストとその客だと思われる。
これから男の住まいに向かうのか、それとも女の・・・。
惚れた方が負け。
大きな確率で女が泣きを見る・・・・。

2、
もう一組のカップルが歩く。
女が自分の腕を男にからませ、長身の男の顔を見つめながら歩く。
女の年齢は、まだ20代前半とみた。
女の視線に気をとめず、男はかったるそうな顔を正面に向けて無表情に歩く。
これまた女が男に惚れているのがわかる。
一波乱、蓋はランくらいはありそうだが、こちら二人の将来はまだまだのぞみがありそうだ。

3、
大きな鞄をかかえ、それ以上に大きな身体をゆさゆさ揺すりながら歩いてくる女性がいる。推定40~50歳のかなり太った女性だ。
毎朝8時10分ちょうどくらいにやってくる。土日は見かけないので近隣の会社の一般事務員ふうに見える。生活感は希薄なのでまだ独身だろうと推察。
少し痩せると、たぶん人生も身体も軽くなって楽しい未来が広がるんだろうになぁ・・と、お腹デップリの我が身を、
(オレはもう年(高齢)だから、ビジュアルによる将来は捨ててるけど、あんたはまだ間に合うよ。)

交差点での45分間。
人間観察でちょっとだけ気持ちに余裕が出来る。
ありがたい。
春の交通安全は今日で終わり。
秋の交通安全週間まで、楽しみはお預け。

全国的に交通安全週間

歓ファンが所属する町会名を東一町会という。
現在の町名は新宿六丁目なのだが、旧町名である東大久保一丁目を略して東一という。
日々進化する印象のある都心の新宿と、古くから住んでいる方たちが共存している、その境目に位置する様な町だ。
独り身の若者が住むワンルームマンションと、昭和初期から住んでいる方たちが混在している。新しくて古い、古くて新しい町だ。

私的には居心地はとても良い。
古き良き風習がまだまだ残っている町なのだ。
そんな風習の一つに、この交通安全週間の交差点での立ち番がある。
日清食品本社前、明治通りの交差点に「横断中」の黄色い旗を持って歩行者を誘導する。誘導するというより交差点の角々に旗を持ってほぼ立っているだけなのだが。
連日町会に携わる8~12名ほどが各々の場所で旗持ちする。
時間は朝の8時から45分程度。

が、メンバーのほとんどが高齢者なのだ。
69歳になろうとする私が若い部類に入る。
地方はいざ知らず、若い人たちがたくさん居るはずの都会で、でもこういうボランティアに参加する若者は少ない。
町会や商店会に若者をいかに参加させられるかが今後のキーになる。

地域に貢献する団体として消防団があるが、消防団は手当が出る。少なくない金額だ。だからなのか、消防団には比較的若者が、そして参加者数も多い。
比して町会や商店会活動はまるっきりのボランティアだ。
金も時間も使う。
もちろん町会や商店会に対しての助成金はある。しかし資金使途は限られるし、ボランティア個人個人への助成金ではないし出ない。会員に慰労するための酒肴もダメ。

赤い羽根だとか日本赤十字だとかの寄付金集めも町会員に割り振られる。町会費回収も含めて集金は心理的にハードルの高い任務だ。
これに対しても何のフォローもない。
かくして町会や商店会に参加する人たちは少なくなる。
衰退。
若者はもっともっと敬遠すると簡単に想像できる。
こういうことに関して行政や議員さんたちはけっこう鈍感だ。

数年後、十数年後は、町会や商店会はほぼ絶滅するのではないか。

そんな思いを抱きながら、今朝もまた横断中の歩行者を誘導する。

湯島天神

明日21日で蔓延防止期間が終わる。
今回のマンボーが一番効いた。
感染者数が1万人、2万人と報道されるごとに客足は極端に落ちた。
同時に売上も極端に落ちた。
12月中旬頃から売上が少し持ち直していたのに。
気持ち的に
(どうでもいいや・・・)
と投げやりになりかけていた。
無力感、徒労感が半端なかった。

そんなマンボーが明日で終わる。

歓ファンは以前から申請してあった「感染拡大防止助成金」に応募、それが受理された。
感染拡大防止で申請した詳細は
1、換気能力の強化
2、抗菌仕様床材への全面張り替え
病院で使用している床材と同等のものに張替する。
3、飛沫防止で男女トイレにウォシュレット導入。
の三点。

三番目のウォシュレット、女性用トイレだけにあり、今までは男性側には設置してなかった。.開店後18年経っていたためにトイレの床がブヨブヨしているところが各所にある。おそらく床の木下地が腐食してるためと思われる。
これを飛沫防止のためにウォシュレット導入と同時に床も客席側と同様に新調する。

店の内装は、さほどの見た目の変化は見られないと思うが、確実にグレードアップする。
改装は20日~23日の4日間で行う予定だ。
本日、工事初日。
夕方、工事屋から電話があり、古い床材をはがし新しい床材を張るための下地をきれいにした、今夜は何があっても店に来ないで(床に足を踏み入れないで)欲しい、との要望。
了解。

調理長がいなくなって1ヶ月。私が厨房に入った。
調理仕事は実に30年ぶりで、身体は相当疲れていた。
ちょうどいいタイミングで身体を休めることが出来る。
昨夜11時頃までかかって、工事がしやすい様ホールの荷物を厨房に移動した。その疲れもあったのだろうが、風呂にも入らず就寝。翌日お昼過ぎ14時まで熟睡。
普通4時間程度で目が覚めるのに、12時間以上目が覚めなかったことになる。

妻が
「ねぇ、梅見にでも行かない?」
「もう桜の時期だぞ。今更梅見かい。」
1~2週間ほど前に放映されたテレビの影響らしい。
ということで3時頃から湯島天神まで出かけた。
梅は見事に散っていた。
日曜と重なり結婚式があった。
白無垢の花嫁が境内で撮影の真っ最中。
梅の花の代わりに花嫁・・・もありかと、うららかな陽気と相まって気持ちも花の様にほころぶ。

コロナ禍、これで終わりにして欲しい。
天神様への願掛けはそんな願いで終わる。

身体が戻る

いやぁ、きつかった!
正直、身体のあちこちが悲鳴をあげた。
30年とは言わないが、それに近い年数、厨房から遠ざかっていた。
そして68歳という年齢。
瞬間的に、あるいは数日単位で厨房を手伝うことはあったが、仕入れ、仕込み、そのすべてを含めて、調理責任者としての仕事は、ホント久しぶり。

1週間ほど経て、身体は慣れてきたが私自身の厨房の中での気の回しは3割程度だろうか。自分の中で反省すべき点が毎日毎日出ており、その都度メモっている。
年を重ね、人生の終盤にかかり、そろそろまとめねばならない時期になっているのに、改良点がかくもあるとは・・・・。
我ながら不出来な自分に情けなくなる。

ま、まだ若いってことか・・・と前向きに捉えてはいるが。
今日は日曜日でお店は定休日。
11時まで熟睡していた。身体に沸々と力が戻ってきているのを感じる。

さあ、また一週間頑張るぞ!

調理人募集

コロナ禍と蔓延防止処置期間(マンボー)で客足は激減している。
手の打ちようがない・・・・というのが本音だ。
3月6日にマンボーがあけるが、7日から客足が戻ってくるとは、とてもじゃないが想像できない。

迷った。ホントに迷った。
お店を閉めようかどうか。
余力が少しでもある内に止めたほうが・・・。
昨年12月20日に、2月20日で辞めますと調理長から言われた。
私は基本的に「去りたい」という者を引き留めたことはない。
「別離」はどういう形であり、どういう時期であり必ず訪れると考えているから。

2月20日は日曜日で歓ファンの定休日だ。だから調理長が勤務するのは、実質的に19日土曜日まで。
調理師は募集していて数名の面接を経ている。が、まだ決まってない。

月曜日から私が厨房に入る。
厨房に入るのは、はてさていつ以来だろう。
忙しい時に時々助っ人として入ることはある。あった。
しかし調理補助という立場だった。
今度は違う。重みが違う。
自分でも多少の不安がある。

しかし蔓延防止処置期間であり、コロナ禍が収まっているわけでもない。
何より客足が戻ってきてない。
この情況下でコストのかかる調理人不在は、むしろ奇貨とすべきか。
新しい調理長が決まるまで、売上の悲惨な現状で店舗が正常に稼働できるまで、何としても乗り切るために。

ということで、30年ぶりくらいに鍋を振る。
当時より握力も無くなっている。
68歳という高齢者として体力の衰えもある。
が、ここは何としても踏ん張るべし!

体力や技術に対しての不安とは別の不安がある。
いろいろな状況が重なっているとは言え、私の周りから人が離れている。
私のなかでは、この不安の方が大きい。
一昨年の2021年に後楽園店を閉鎖してから好む好まざるにかかわらず人を減らした。結果的に人が離れた。

私の長所の一つは「人集め」だと自負している。
密かに自負しているのが「人脈」なのだ。
その私から人が離れている。

調理長が辞意を表明してから悶々とする日が続く。
ストレスは血糖値も危険水域まで引き上げた。
ふた月も悩んだだろうか。弱気になっただろうか。
状況はまったく変わらないが、ただ、気持ちは落ち着いた。

調理提供時間が遅くなったり、味が変わったりとお客様にご迷惑を掛けるかも知れない。贔屓にしてくれるお客様が離れるかも知れない。
そういった一切合切を含めて、
(なるようにしかならん!)

そう思った。

家庭内別居

月曜日から喉がガラガラしていた。
身体が時々寒気を催す。
あれっ?
水曜日朝、お店の掃除が終わり、10時半の弁当配達を済ませたころは、自分でも風邪をひいているのが分かった。
時が時だ。

配達から帰ったら、相棒の女性に
「このまま帰っていい?休む。」
「どうしたんですか?」
「どうも、これは、風邪だね。」
「検査受けてきたらどうですか?」
「いやだ。治療のない検査だけだったら行く意味がない。どうせ重症のないオミクロン、たんなる風邪だ。むやみに感染者数だけが増え、マスコミの好餌になるだけ。そんなマスコミの片棒を担ぐのは絶対いや。」

と虚勢を張るが、風邪はおさまらない。
体温は38度6分まで上がる。何よりのどが痛い。お茶の渋みが喉に刺激と感じるほど痛い。鼻水も時を置かずズルズルとなってきた。

家内はパートに出ている。
途中のコンビに買ってきたのど飴や風邪薬を飲み、布団に入る。
布団の中から、今日14時から出席予定だった区の高齢者ケア会議の欠席を伝える。ただそのあと16時30分から厨房機器メーカー「ホシザキ」の担当者と会う。
これはキャンセルできない。
飲食店強化支援事業助成金200万円を申し込んであり、冷凍、冷蔵庫などの見積もりが必須だ。それも申請日時が今週末の28日まで。
見積もりがあれば、それを元に申請書は作れる。
風邪くらいでもこのくらいの作業はできるはずだ。いや、やらなければ。

枕元にパソコンを持ち込むが、身体はけっこうギシギシとうなってきている。
30分作業しては一休み、30分しては一休みの繰り返しで、作業ははかどらない。

そうこうするうちに家内が帰ってきた。
家にいる私を見て
「どうしたの?」
事情を説明すると
店にいる女性と同じように
「検査をしてくれば?」
いやだ。絶対いやだ。自力で治す。
自分の回復能力を信じる。

夕方、別な部屋に布団が引いてあった。
「ここで寝て。」
わかった。
窓が一つしかない4畳半の小部屋。
隔離部屋だ。

ま、これはこれで気兼ねなく、だれからも邪魔されずに仕事ができる。
家内に風邪薬、喉薬だけ頼み、早々に布団に入る。

オミクロンによる蔓延防止期間は、多少の延長があったにしても今回で終わりだと思う。
コロナの最終章だ。
その最終章にあらがうように、私にウイルスを仕掛けてきて、見事にかかった。
少し悔しい。

蔓延防止による営業時間の変更

「蔓延防止」は出たが、東京都の具体的な要請は本日発令されるようだ。
NHKで発表されている具体策に歓ファンを当てはめると

1、閉店時間は、お酒ありの21時閉店。ラストオーダー20時。
2、期間は1月21日~2月13日まで。

となる。
1000人、2000人と感染者数が増え、昨日は7000人超え。
感染者数増加と反比例する様に、歓ファンへの来店者数は減る。
いまや営業している意味が無い、と断じるほど。

何度も繰り返すが、感染力が上がっても毒性が下がると、コロナは普通の風邪。
風邪でここまで狂騒する様は常軌を逸してます。
が、この来客数減にどうにもあらがえない。

で、上記の営業時間となります。
何度も何度も閑散とするお店に足を運んでくださっているお客様、もうしばらく不自由おかけします。

蔓延防止

蔓延防止が明後日から発令される。
詳細はまだわからない。
だが、感染者数が1000人、2000人と増える毎に町は静かになっていく。

ただいまお昼12時15分。
・・・・・・
隣りのイタリアン「生ハム」は今日は臨時休業。
けっこうお客様を集めるお店なのだが、そのお店が休みでも歓ファンは混まない。
目の前の博多ラーメンのお店も数名程度。
医大通りの人通りは、少ない・・・・。
指折り数えるほど・・と言っても言い過ぎじゃないくらい人通りはない。

コロナ禍が蔓延する様になって早2年。
新宿の外れと言っても、近隣には大きな会社はいとまがない。
が、コロナ禍でお客様の流れは変わった。いや、変わったのではなく無くなった。

蔓延防止にかこつけてお店を休みたくなる。
休業にした方が、仕入れが少なくて済む。
パートアルバイトも休ませるので人件費も少なくて済む。
本音は「休みたい」

でも歓ファンが休むと、この近辺の飲食店はほぼ全滅する。
踏ん張り処なのだ。
ここで歓ファンまでが休むと、この地域に流れるお客様はいっそう少なくなる。
ここは歯を食いしばって頑張るが、言いようのない怠さが身体をつつむ。

何度でも言うが、オミクロンだか何だか知らないが、たんなる風邪だろう、もう。
普通に戻そうよ。
普通の日常にしようよ。
マスクも、手の消毒も許容するよ。
だから、もう、実体のない影に怯えるのは止めようよ。

となりのオーナーが言った。
「営業してるより協力金貰った方が助かります。」
いや、そうじゃないだろう、俺たちは
食べて貰って、飲んで貰って、楽しい場所を提供して、
生活が成り立つんだ。
協力金で成り立つって、それを求めるのは・・違うだろう・・
と心の中で違和感を感じるが、その違和感を口に出せない。
その協力金がないと、倒産が現実味を帯びるのも正論だから。

コロナ、オミクロン・・・・
カタカナの訳の分からない脅威に、ノックダウン寸前に追い詰めらる。

オミクロン

オミクロンって何?
何語?
意味は?

ギリシア語のA B Cだそうだ。
アルファ、ベータ、ガンマー、デルタ・・・
その15番目、Oにあたるのがオミクロン。
武漢ウイルスなど地名を使うと、いろいろと支障があるらしく、ギリシア語で順番にアルファ株、ベータ株、・・・デルタ株と名付けた様だが、なぜデルタ株の次に15番目のオミクロンが来たのかは、納得できる説明はどこにもない。

そのオミクロンに悩まされている。
都内の感染者数が1000人を越えたあたりから、予約はキャンセル、キャンセル。
昼も夜も、緩やかに戻ってきていた客数がつんのめる様にブレーキがかかる。
ランチは何とか形(2/3程度)にはなるが、夜は・・、営業を辞めた方がまし、というくらいヒマな日が続く。
もちろん協力金はない。
自力で、自助努力で切り抜けるしかない。
打つ手は・・・・ない。
わずかにストックしていた協力金で凌ぐしかない。
ただただ、ため息しか出てこない。

閑散とした店に居づらく、偵察がてら、愚痴をこぼしたく、知り合いの店に出向く。が、そこも同様とみて、まだ八時にもかかわらず看板は「閉店」

感染者数が昇龍のごとく伸びていくが、毒性は弱いと聞く。
ニュースではオミクロンの初死者が確認されたと流れるが、よくみると亡くなった方は90歳。オミクロンでなくとも大往生ではないのか?
私のなかではオミクロンは単なる「風邪」なのだが。

コロナ禍のあとを見据えて、厨房を一新する予定でいる。
現調理長が2月20日で退社する。
その後任を、今日面接した。

経営見通しはまったく不透明だ。
何度も迷う。
当然ながら廃業という選択肢も迷いのなかにある。

面接に来た職人にその事を正直に話す。
そして経営サイドとして、ワガママな要求をした。
いっしょにやっていこう。でもそのためにリスクもいっしょに負ってくれ、
と頼む。
面接に来たのは50歳。
顔つきも比較的穏やかで、職人特有の頑固さの影は薄い。

これで断られても、「廃業」という選択肢を選べば良いだけだ。
と開き直っている。
彼は真剣に聞いている。

大きな名のある会社だって倒産の憂き目を見る。
「絶対」という安泰、安定さはないのだ。
それよりも、自分の生き方を自分で決定する事の意味を説いた。
会社の入り、給与や仕事内容を人任せで、それでいて、ある瞬間に解雇を言い渡される。
苦労はするかも知れないけど、自分の判断で人生を切り開こうよ、と諭す。

年を取ってくると、それも難しくなるが、彼の50歳という若さはそれが出来るギリギリの年齢と思える。

オミクロン、コロナはいろいろな面で影響が大きい。
でもその影響は悪い面ばかりではない。
自分ではどうしようもない、手の打ちようのない局面で、人の本当の胆力を試される。
ま、それも面白いかと思う。