眼の手術を終え退院したのは良いが、眼は、痒み時々痛みという状態が続く。
目の前の景色は相変わらず金魚鉢の水平線が、ちょうど半分当たりでゆらゆら揺れている。喫水線が波打ち、船酔いしそうな感じで揺れるのだ。
病院で貰った目薬が3本。
化膿止め1本とと鎮痛効果2本を貰う。
それを痒み、痛みが出るたびに何度もさす。
眼の痒みをシャツの袖で拭ったら、薄い赤い血痕とおぼしき汚れがついた。
眼の中は、手術後の違和感とまだ戦っているのだ。
無意識のうちに目をこすろうとする。
術後の眼の中は液晶対の”液”が揺れ、不安定な状態は素人の私でも分かる。
薬局で眼帯を買う。
独眼竜ばりに黒の眼帯があればかっこつけられるのだろうが、その度胸もなく普通の眼帯を購入し装着。
たったそれだけで眼は楽になった。
近くのコンビニにコーヒーを買いに行く。
知人に会った。私の異変にすぐに気がつき、話しかけてきた。
「眼、殴られたんですか?」
眼帯姿=殴られた、という発想はまったく想像してなかった。
喧嘩で殴られる・・・
うんうん、それも”あり”も知れない。
それで通してみようか・・・と思ったが
70歳前での喧嘩傷は、無理を通り越して”馬鹿”にしか見えないだろう
やっぱ止めとこ。
退院
おそらく最後であろう眼底検査が終わる。
「大丈夫ですね。順調です。眼帯とってもいいですよ。」
(やったー!)
検査室から病室までの30mほどの廊下を歩く。
昨日までの、九合目ほどにあった波打つ線が、五合目まで下がっている。
歩をすすめるごとに、この線が波打つ。かなりの違和感。
前にも書いたが、目の中に半分ほど水を入れた金魚鉢が眼の中にあるのだ。
それでも入院前にあった、黒のすりガラスも、墨汁が散った紋様がない。
見える。
娑婆が見える。
世界が見える。
(ウフッ!)
違和感はかなり残るもし、涙目なのだが、なんかウキウキが止まらない。
たった4日間の入院生活が、もう少しで終わる。
病院食
今朝のメニューは、
ご飯180g、サバの塩焼き、味噌汁、おひたし、ヤクルトジョア、小袋のふりかけ、お茶となる。
味(塩分)は控えめ。血圧を考えてのことだろう。日頃から薄味が好きな私には抵抗感はないのだが、どうしてもインパクトに欠ける。野菜とか魚とか味付けが大雑把なのだ。
でも、これは仕方ない。大勢の患者の同一メニューを同時に作り、たぶん大きなバッドに移し替え、盛り付け、患者の名前とそれぞれのNG食品などを確認、大きなカートに入れ、それぞれの階へ運び、ナースステーションでの案内、待ちかねている患者へ、最終確認して渡す。
内部のことは知らないが、想像しただけでも時間がかかるのがわかる。
美味しさでなく、患者の健康が目的なのだからさもありなん。
さて、日に三回ほど看護師がやってきて体温と血糖値を測る。
空腹時血糖値は一般の方々はだいたい90〜100程度だと思う。
糖尿病の私は、ちょっと高めの110程度。
ここから食事の中の糖質部分で血糖値は上がっていく。
前述のご飯180g。この糖質量は約70gほど。
空腹時血糖110gに70gを足すと180。他の惣菜にもそれぞれ糖質は含まれるのだが、足して合計は200前後になる。
体に悪影響を与える血糖の数値は160を超えるあたりから。
危険を感じた脳は、膵臓に血糖を下げるホルモン「インスリン」を出せと指令を出す。
糖尿病はこのインスリンの出が悪い。長年の糖質生活で膵臓が疲弊し、待遇改善を訴えて、仕事をボイコット(インスリンを分泌しない)ストライキを起こしているのだ。
ご飯やパンといった主食を減らせば糖尿病はかなり改善する。
毎日3食出される病院食でご飯(炭水化物)さえ抜けば血糖値は上がらない。
だから私はご飯を食べ・・・・る。
ご飯を含めた食事の絶対量が足りないのだ。
そして食品ロス。台風や真夏日の中でも一生懸命にお米を作っているお百姓さんへの感謝。
全ての問題が、ご飯を食べることで解決できる。
環境問題に積極的に取り組む私は来月69歳を迎える。
だが10歳の頃より欠食児童をまだ卒業できずにいる。
金魚鉢から見える雨
術後の眼では雨は確認できない。が、11階の病棟から見える、ビルの屋上のしっとりとしたコンクリート色と、駒のように見える眼下の傘は秋の雨を教えてくれる。
眼帯を押さえるテープが剥がれかけ、その隙間からガラス越しの、雨の高層ビル街が飛び込んでくる。
最初は左眼から見える景色と感じていた。
眼上に波打つ白い線が揺れている。
はて?
ここで気がついた。
右眼から見える景色なのだ。
あらためて右眼だけで確認する。
景色の上部に、確かに波打っている線がある。
眼の中に水が入り、その水が揺れているのだ。
これまでの主治医の説明と合致がいく。眼球の中に入れたのはガス(気体)であり、それが一週間ほどかけて、眼球の中にある本来の液体と入れ替わるそうだ。その入れ替わり始めた状態なのだろう。
なぜ、波線が上部にあるのかわからないが、眼球が水の中に浮いている気分だ。
観察していると、波線は動いてない。視線を移動させるごとに動くため波打つように見えるのだ。
目の前に水を張った金魚鉢を置き、その金魚鉢を通した景色に見える。
実にまか不思議な景色だし、初めての体験だ。
退院は予定通り10日土曜日と教わる。
手術翌日
朝6時起床。
一斉に病棟点灯。
病院の朝が来た。
7時検診開始。
体温、血糖値を病床で。
迎えが来て術後の経過検診。
二人がかりで『取り調べ』が行われる。
眼球は、たぶん切ったと思われる傷でキリキリと痛む。眼を開けても暗く、辺りが見えないのだが、痛みゆえに右眼は閉じる。
「手術は完璧ですね。」
検査をしているこの先生が執刀したわけではないのだが、言葉にホッとする。
「眼の中に注入したガスが90%ほど残っています。このガスが半分ほど減って来たあたりから見えるようになって来ます。だいたい一週間ほどですかね。」
説明も丁寧で好感が持てる。
何かと腰の重い東京医大だが、医大病院の方は高評価。
手術
看護婦が車椅子を持って迎えに来た。大仰なと思ったが素直に従う。点滴液がつながったポールを右手に、その車椅子を若い看護師が押していく。
東京医大は新築になってまだ真新しい。その綺麗な病棟の中を、車輪がきれいな床に時折キュッキュッと音を鳴らしながら、11階病棟から5階の手術室に向かう。
コロナも手伝っているのだろう、院内で行き交う人はまばらだ。
手術室は私が想像したような無影灯はなかった。眼の手術室のためだろう。
腕に血圧計が巻かれ、指先に血糖値を測る機会、そして胸には心拍数路を測るポッチがつけられた。
うん、うん、手術室らしくなった。
手術する眼の部分だけ穴の空いた布らしきものが顔に被せられた。
お、お、ちょっと!これは息苦しい!
これには、心中かなり焦った。同時に心拍数も自覚できるくらいに上がる。
「はい、大きく目を開けて下さい。」
先生はこちらの気持ちはお構いなく仕事をこなしていく。
眼光を開く薬だろうか、麻酔だろうか、2種類の目薬を刺す。
「少し痛みますよ。」
少しじゃなかった。反応し身体がのけぞる。
「動かないで!我慢して!」
はい・・・。
もうまな板の上の鯉だ。
眼上の、血痕らしき黒い影が幾何学模様にいろいろと変化する。
(これからどうなる?)
と、なるべくつぶさに記憶に残そうと努力するのだが、それよりも布の息苦しさと眼をくり抜かれそうな恐怖に耐えるのが精一杯。
手術室を出たのは45分程度だったが、手術そのものはおよそ20分ほど。
が、疲れた・・・。
眼を抑える布(眼帯)が、今は心地よい。
「今日だけはうつ伏せになって寝て下さい。」
30代と思える先生は、もう何例も手術をこなしているのだろう、慣れた口調で私を手術室から追いやる。
「次の患者さんを連れてきて。」
私の背中に、看護婦に伝える指示の声が届く。
網膜剥離
前回の続きだ。
貰った紹介状で、朝9時に大久保病院に行く。
緑内障でレーザー照射治療をしたのもこの病院だったが、診療カードは紛失。
なんせ10年ほど前のことだし・・・。
でも受付で念押しされる。
「永久的に使えますから取って置いてくださいね。」
大久保病院では、主に視力や眼底検査、眼の周りの検査がほとんどだった。
それでも9時頃から11時半頃までかかる。
年配の女医さんが
「東京医大を紹介します。今すぐに行ってください。タクシー使われた方がいいですね。」
はあ?
歩いて行ってもおかしくないぐらいの距離。なんてたって東京医大は西新宿。大久保病院は歌舞伎町にある。隣町に等しい。それをタクシー?
「急患あつかいです。紹介状にもそう書きました。」
えっ?オレってそんなに悪いの!
仰せの通りタクシーで東京医大に向かう。
数年前に新しくなったばかりの、ピッカピカの病院だ。
初めてなので、視力検査から、採尿、採血、心電図、レントゲン・・・。
様々な検査を受けた。
途中であちこちから電話があるが、緊急を除いて一切無視。
結果発表。
「手術は7日ですね。入院は三泊四日。10日に退院して貰います。」
「網膜剥離です。網膜に亀裂が入り、そこから血が眼底に流れ出ています。」
「網膜を支えている部分が耐えられなくなっています。重力で網膜が剥げ落ちてきています。」
説明だけを聞いていると、何だかすごい。
けど、痛みは全くない。視力障害という前方が見えないだけだ。
だから、逼迫感がない。
説明を聞いていても
(あ、そう)
何か人ごとの様に坦々と聞いている。
入院ねぇ・・・・。
コロナというご時世柄、面会、付き添いはお断りしてます。
(こっちの方がよっぽどたいへんじゃないか。)
3日間の入院生活で持って行くものを考えるだけで、入院がめんどくさくなる。
ということで、7日から三泊四日の外泊をします。
眼の手術だから、眼の周りにぐるぐる包帯など巻かれたらどうしよう。
本やゲームや・・持って行けるのかな。
時間をどうやって潰そうか。
眼上の敵
墨汁を垂らし。
墨汁を散らし。
芸術的にも幾何学模様の墨絵が目の前に広がる。
あ 何だ 見にくい。
眼に、眼の前の景色に冒頭の墨汁模様が広がる。
墨汁の線は細い。細いが視線を動かすたびに墨汁模様も眼球の上を動き回る。
ちょっとちょっと・・・
これじゃ見えないよ・・・
10年以上前に煩った緑内障を思い出す。
あの時は眼球に円状の黒い膜が広がり、正面だけが見えなかった。
当時板橋区に居を構え、新宿まで自転車通勤をしていた頃だった。
正面の信号機が見えない。周りは見えるのに、1センチか2センチの黒い丸が真正面の視界を塞ぐ。焦った。
あわてて眼科に行った。
緑内障と判断された。
眼球にレーザーを照射され、目がチリチリと焼ける。
めちゃくちゃ痛かった。
が、手術の間はまばたきが出来ないようにまぶたを固定され、それがまた痛く、涙ボロボロで手術を受けた。
それを思い出した。
今回はそれよりも弱く、冒頭に書いた墨汁を散らした感じなのだ。
が、これじゃ危なくってバイクに乗れない。
急遽知り合いの眼科に予約を入れ、走った。
1時間ほどの診察の結果、眼球に二個所の亀裂があり、そこから血が滲んでいるとのこと。自分のことなのだが、聞くだけで痛々しい。(実際は痛みはない。)
その先生が大きな病院の予約を入れてくれた。
目の中のコーキング手術だ。
これから行く。
コロナでまだランチのお客様は戻ってこない。
なんとか私抜きでも稼働するだろう。
今は、バイクを乗り回せる視力を戻すことが先決だ。
前述の眼科の先生に聞いた。
どういう手術になりますか。
「手術は亀裂の入った部分を、何らかの物質で埋め、コーキングします。」
原因は何ですか。
「老化です。」
との簡単な返事が速効で戻ってきた。
どれくらいで直りますか?
「1ヶ月ほど見た方が良いですね。」
こうやって、この文章を打ち込むのも、ほぼ左目だけで判読しながら打ち込んでいる。この左目も強度の乱視なのだ。パソコン画面に顔を寄せつつ、左右に顔をふりふり、視線と同時に動く黒影の合間に見える字を追い判断している。
芸術の秋。めっちゃ、疲れる。
同窓会
郷里鹿児島の高校の同窓会を毎年11月に開催していた。
高校全体の同窓会ではなく、私たち年代の、同じ窓から同じ景色を同時に見ていた、まさに同窓会だ。
何年前だったか、初回の開催日が11月11日だったために「1111会」と称するようになった。
場所は常にこの歓ファンだ。場所が固定できていただけでも同窓会をやりやすかったのだろうと思う。
幹事は途中から交代制になり、幹事になったメンバーに私からお節を贈った。
本来ならお店の利益に通じる幹事は私が引き受けてもおかしくない。それを他の同級生に幹事を押しつけたことに対しての感謝だった。
けっして安くないお節だったのだが、でもそれがいつしか私の励みにもなった。
その同窓会がコロナ禍で2回中止になった。
ま、しょうがないな、と諦めていたのだが、三回目の今年も
「中止になるかも。」
と幹事の一人から電話があった。コロナの再拡大の影響だ。
私の口からついつい本音が漏れた。
「やろうよ。でないと来年ここで開催できるかどうか、お店があるかどうかわかんないよ。」
同窓会や商店会など私が関係していて、多少なりとも利益が出るお店の利用は「私のお店を使って。」とは私は言えない。 そこのところは常に控えめだった。
同窓会が中止と決まったわけではないのだが、今回はやって欲しいと切実に思う。
いつしか私のモチベーションになり、
(よし、同窓会があるまでは踏んばるぞ!)
と気持ちを強くしていた。
年齢的、体力的、資金的にけっこう追い込まれて始めている今年は、その頑張るモチベーションがいつもより欲しい。
現状は、それほどギリギリで踏ん張っているのだ。経営者としての私の気持ちに、強気と弱気が交互に襲ってくる。
もうちょっとだけ頑張ってみようか・・・。
そういう気持ちにさせてくれる同窓会、なんとかならないものかねぇ。
コロナの治し方
知人のフェイスブックから流れてきた。
コロナの治し方
1、まずテレビを切る。
2、栄養豊富な食事と運動。
3、何があっても”コロナ検査”を受けない。
4、顔用オムツをつけない。
5、風邪orインフルっぽい症状が出たら、風邪orインフルだと考えていつも通りに対応する。
確かにこれだけのことで、一連の騒動は完全に収束すると思う。